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中嶋嶺雄(なかじま みねお)
国際教養大学学長。一九三六年長野県松本市生まれ。東京大学大学院修了。社会学博士。一九九五~二〇〇一年、東京外国語大学学長。現在はアジア太平洋大学交流機構(UMAP)国際事務総長、文部科学省中央教育審議会委員(大学院部会長)、財団法人大学セミナー・ハウス理事長などを兼務。主な著書は「現代中国論」「中ソ\\\\\\\\\\\\\\\\\対立と現代」「北京烈烈」(サントリー学芸賞受賞)「国際関係論」「中国・台湾・香港」など多数。平成十五年度「正論大賞」受賞。

第3回 英語教育の抜本的革命を!

2004/08/25

 いよいよ本格化するグローバル化時代に直面して、国際的なコミュニケーションの手段としての英語が、これまでの時代とは比較にならないほど重要になってきている。ひるがえって、日本人の英語力はどうであろうか。総じてあまりにも貧弱だと言わざるを得ない。国民の約半数が大学へ進学するようになりつつあるというのに、中学で三年、高校で三年、大学で四年と多くの学生が英語を十年も学んでいるはずなのに、大学を卒業して英語で仕事のできる人材(TOEFLのスコアで六百点前後もしくはそれ以上)は、毎年の大学卒業生の一%にも満たないことが統計的にも明らかになっている。だとすれば、残りの九十九%以上の大学卒業生については、十年間も学んできた英語がほとんど役立たないことになる。こんな有様で日本は二十一世紀の国際社会で十分やっていけるのだろうか。

 このような危機意識から、英語教育のあり方を抜本的に見直すべきだとの共通認識に立って、文部省の中に「英語教育指導方法等の改善に関する懇談会」が発足したのが、平成十二年一月のことであった。たまたま小学生の学習指導要領が改定され、小学校三年生からの総合学習の時間に「国際理解教育」が導入されることになっていたので、そこでの英語教育についても論じられ、さらには中学・高校・大学の英語教育の一貫性についても議論された。私はこの懇談会の座長を務めたが、一年間にわたって激しく議論がたたかわされ、最終的には国民全体の英語力を高めるという課題と、国際社会で活躍し得る人材の養成という課題との二つの座標軸を設定することによって、報告をまとめることができた。文部科学省は引き続き英語教育の改善策を文部科学大臣が有識者に直接聞く懇談会(遠山敦子文科相〈当時〉)を設け、さらに「『英語が使える日本人』の育成を目指す行動計画」を平成十四年七月に策定した。こうして英語教育の改善に関する限り、文部科学省は一貫して揺るぎのない計画を策定して、かなり早いピッチで実行し始めており、ここ数年の変化は目を見張るばかりである。

 このような蓄積の上に、この四月には初等中等教育局の管轄下で中央教育審議会の外国語専門部会が発足した。今回も私が主査を務めているが、小学校から英語教育を正課として導入するべきかどうかの結論も一年以内に出すことになっている。

 毎回真剣に討議されているのだが、そこでの一つの論点は、「学校の教育現場ではあくまでも正確な発音や文法の英語を教えるべきだ」という意見と、「要するに通ずる英語ならそれでよい」という意見の対立である。英語教育の専門家に前者の意見が多いのには当然だとしても、私のように毎日英語を使っていながら、学校での英語教育は実は高校一年生までしか受けなかった者からすれば(高校二年からフランス語を正課で習い、大学受験はフランス語で、大学では中国語を専攻した)、やはりコミュニケーションの道具(tool)としての「通ずる英語」すなわち「中身で勝負する英語」でよいのだと考えてしまう。後者の場合は、発音の流暢さより、語彙(Vocabulary)の豊富さが圧倒的に重要になる。

 このようなことを考えていた矢先、去る七月二十三日に秋田市で開かれた「北東アジア交流プロジェクト」のシンポジウムで「アジアのことばとコミュニケーション」と題して基調講演をされた社会学者の加藤秀俊氏は、カオール語(ヨーロッパと非ヨーロッパの混成語)やピジン・イングリッシュ(南太平洋地域の中国人が話す英語)にふれて、そんなに正確な英語でなくても国際語としての英語でよい旨を話され、同時に「母語、英語、アジアの言語」という三言語主義を強調された。私もまったく同感で、そのためにも英語教育の抜本的改革が必要であり、コミュニケーション能力を伴う英語教育の指導方法が早急に確立されなければならない。

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