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舘  昭(たち・あきら)
桜美林大学教授。専門は教育学。著書に『原点に立ち返っての大学改革』(東信堂)、『岐路に立つ大学』(放送大学振興会)など多数

最終回 変革期の大学改革の課題

2012/02/27

 本連載ではこれまでに、この四半世紀にわたり「日常化」といっていいほどに打ち続く大学の改革について、その全体状況とともに、短期大学、入試、キャリア教育、グローバル化、評価という切り口から考察を加えてきた。そして、それらのどの局面においても、対症療法的な改革が“終息なき改革の連鎖”の原因となっていることを示唆した。もはや大学改革は、根源的な改革を避けて通れない岐路に立っているのである。
 では、根源的な改革とは何か。それは、まずもって、政策と大学がその姿勢を、大学は本来一部エリートのものだったのに仕方なく拡大しているというものから、そもそも国民全員が享受すべきものであるという視点に転ずることである。
 現在でも大学の生涯学習体系への移行がいわれ、知識基盤社会の認識が示されているが、それらはお題目にとどまっている。そのことは、例えば同様の課題を負って改革を進めている他の諸国がこぞってアクセスの拡大のために短期高等教育の強化を政策の柱にしているのに対して、日本ではせっかく発展してきた短期大学の衰退を放置し、縮小を促しさえしていることに表れている。
 グローバル化した経済におけるポジションにおいて、今や日本に単純労働力の需要は寡少であり、国民はすべて思考力を備えた知識労働力化することが求められている。それは、これから実社会に参入する若者にだけでなく、すでに現場にいる労働者に、そしてリタイアがありえなくなった高齢者に、高等教育の機会を提供することでしか実現しえない。
 日本は、非ヨーロッパ圏の社会として近代化をめざし、それが可能であることを示した世界で最初の国である。そして、その実現には義務教育制度の確立による初等教育レベルの国民皆就学があった。その国が、敗戦による亡国寸前の淵から世界第二位の経済大国といわれるまでに復興するには、中等レベルの国民皆就学があった。そして今、失速しつつある日本を再び上昇に転ずる方策は、生涯学習化した高等教育の提供、国民皆高等教育による全国民の知識労働者化以外にはありえない。大学には、その政策の形成を促し、自らそれを体現する活動を遂行することが求められているのである。
 では、そのために、どのような具体的な取り組みがあるのか。大きく見て、すでにこの日常化した改革の中にその芽は存在しているといえよう。しかし、それは根本的な姿勢が欠けているために、単なる形式にとどまったり、逆効果だったりしている。
 先に明治維新後の近代化に国民皆就学が寄与したと指摘した。しかし、小学校への就学率が男女とも100%近くに達したのは、明治5年の学制発布時の被仰出書で、「邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん」と宣言した数十年後の明治末期のことであった。その間には就学率低下の時期さえあり、発布時点の就学率は江戸時代末期の寺子屋への就学率と変わらなかった。学制の発布は、国民皆就学の実現ではなく、その姿勢の確立だったのである。
 現在の大学改革において、欠けているのはそうした姿勢である。姿勢さえ正せれば、紆余曲折があっても国民皆就学が実現されたように、短期大学の問題も、入試、キャリア教育、グローバル化、評価の問題も、改革それぞれの歩みが根源的な改革につながり、遠からずして実現されるに違いない。

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