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最終回 高大接続と大学入試のこれから

2020/03/19

連載 入試研究からみた大学入試

最終回 高大接続と大学入試のこれから

西郡大

 昨年末に英語民間試験の活用と大学入学共通テストへの記述式導入が立て続けに見送られ、2本の柱を失った大学入試改革は大きな転換点を迎えた。大学入試に関わる関係者は、さまざまな立場で、そして複雑な思いでこの決定を受け入れているのではないだろうか。これからの方向性は、「大学入試のあり方に関する検討会議」に委ねられたが、私たちも改めて高大接続改革の原点に戻って考える機会に恵まれた。本連載の最終回は、高大接続と大学入試のこれからについて考えたい。
 この数年間、大学も高校も高大接続改革の流れの中で、「何かが変わる」「何かを変える」という機運が高まっていたのは間違いない。多くの大学や高校が新しい取り組みに着手してきた。ただし、そこに具体的な成功イメージがあったどうかは定かではない。例えば、大学自身の問題意識から生じた入試改革には具体的な課題があり、それを解決することで目指すべき成功イメージがある。しかし、政策的に進められてきた「学力の3要素」の多面的・総合的評価の導入は、大学が抱える個別の課題を解決することに必ずしも直結しないものもあり、果たしてどれくらいの大学が成功イメージを持っていたのかは疑問だ。
 では、各大学が入試改革として本質的に考えるべき点は何であろうか。それは間違いなく入学後の教育カリキュラムと連動した入試の在り方の検討だ。伝統的な知識伝授型の教育形態の場合、教科・科目の学力検査により知識や技能のバラつきが少ない集団を選抜する方が合理的だった。しかし、学習者中心の学びに向けて大学教育の質的転換が図られようとしている。教育の在り方が変われば、それに相応しい学生の選び方も変わるはずだ。連載の第4回でアドミッション・ポリシー(AP)の重要性にふれたが、まさに入学後の学びを意識してAPを精緻化することが入試改革の本質となる。
 ところで、各大学で入試改革を議論する時、評価手法の精度に注目が集まりがちだが、それ以上に重要なことが志願者集団の形成だ。例えば、志願者全員がAPで求める能力や資質を有していれば、極端な話、評価手法は“抽選”でも“ジャンケン”でも構わない。誰を合格させてもAPに合致しているからだ。逆に、志願者全員にAPで求める能力や資質がなければ、評価の精度の議論は意味がない。誰を合格させてもAPに合致しないからだ。APで求める能力や資質を持つ人と持たない人が混在してはじめて評価の精度が重要となるのだ。つまり、この点を無視した入試改革は、永久に成功に辿り着けないことになる。
 別の視点では、受験生の学習行動・学習経験をどう変えるかという点も意識したい。新しい入試方法を検討する場合、受験対策が通じない方法を模索するのが一般的だ。しかし、受験対策に取り組むことが大学で学ぶために重要な学習活動の経験(実験活動など)を喚起することにつながるのであれば、受験対策の積極的な推奨を前提とする制度設計も考え方の一つだ。
 一方で、入試における評価の在り方が、高校の教育活動や経験の画一化を招くこともある。例えば、意欲や態度などを評価する場合、明確な評価観点や基準を示すことが公平だと考えられているが、観点や基準を厳選すればするほど、それらを意識した対策や行動を誘発し、画一化を招く。結果として、均一性の高い志願者集団となれば、多様な経験を持つ学生を受け入れたい大学にとって本意ではない。むしろ、各高校の特色ある取り組みや活動を通して、多様な学習活動や経験を持つ生徒が育つことが理想だ。入試改革が本来の高校教育を歪めるような過度な動機づけとなることは避けなければならない。さて、大学入試の在り方は、多くの高校にとって多様な教育改革推進の原動力となり得るだろうか。この問いは、高大接続のこれからを考える一つの論点であり、入試研究が取り組むべきテーマだろう。


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