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第51号(令和3年7月9日発行)女優・小芝風花さん
2021/07/15
好きなこと・興味のあることから
自分の進路を見つけてみよう!
女優 小芝風花さん
中学2年生までフィギュアスケートに打ち込み、その後、「ガールズオーディション2011」でグランプリを受賞して芸能界入りした小芝風花さん。14年には映画「魔女の宅急便」で主演を務め、その後も数々の話題作に出演するなど、いま最も注目を集めている女優の一人です。小芝さんを訪ね、これまでの人生ストーリーをおうかがいすると共に、高校生のみなさんに応援メッセージをいただきました。
フィギュアスケートに全力で取り組む 中学2年時にアイスダンス大会で優勝
私は大阪府で生まれ育ちました。幼い頃からとても活発で、小学生時代はクラスの男子と一緒にドッジボールをしたり、女子のみんなで鬼ごっこをしたりと、身体を動かすことが大好きでした。また、習い事は器械体操やクラシックバレエ、空手など、さまざまなことに取り組んでいました。
私が小学3年生だった当時、2006年のトリノオリンピックに出場した荒川静香選手が金メダルを獲得して、スケートに対する注目が高まっていました。私が器械体操のレッスンに通っていた時に、友人のお母さんが「風花ちゃんはスケートも向いてそうだよね」という話題になったそうで、母から「今度家族でスケートに行ってみよう」と提案されました。実際にスケート場に行って滑ってみると、それがとても楽しくて。母には「器械体操を辞めてスケートを習いたい」とお願いし、小学3年生からスケートを習い始めるようになりました。
最初の1年間はスケートの基礎を教えていただき、スケートが大好きになりました。その後は本格的に競技として頑張りたいと思い、新しいコーチのもとで日曜日以外の週六日間、フィギュアスケートに本格的に取り組みました。
母からは「夢に向かって努力すること」「あきらめないこと」「成功した自分を想像すること」の三つを大切にするように教えられ、練習や大会ではその言葉を胸に刻んで頑張っていました。そして中学2年生の時に、男女がペアになってリンク上を滑って踊るアイスダンス(ノービスダンス)にも挑戦し、「第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会」のノービスダンス部門で優勝することができました。
私が小学3年生だった当時、2006年のトリノオリンピックに出場した荒川静香選手が金メダルを獲得して、スケートに対する注目が高まっていました。私が器械体操のレッスンに通っていた時に、友人のお母さんが「風花ちゃんはスケートも向いてそうだよね」という話題になったそうで、母から「今度家族でスケートに行ってみよう」と提案されました。実際にスケート場に行って滑ってみると、それがとても楽しくて。母には「器械体操を辞めてスケートを習いたい」とお願いし、小学3年生からスケートを習い始めるようになりました。
最初の1年間はスケートの基礎を教えていただき、スケートが大好きになりました。その後は本格的に競技として頑張りたいと思い、新しいコーチのもとで日曜日以外の週六日間、フィギュアスケートに本格的に取り組みました。
母からは「夢に向かって努力すること」「あきらめないこと」「成功した自分を想像すること」の三つを大切にするように教えられ、練習や大会ではその言葉を胸に刻んで頑張っていました。そして中学2年生の時に、男女がペアになってリンク上を滑って踊るアイスダンス(ノービスダンス)にも挑戦し、「第15回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会」のノービスダンス部門で優勝することができました。
思い切ってオーディションに応募 グランプリを受賞して芸能界へ
転機が訪れたのは、大会で優勝した年と同じ中学2年生の時です。浅田真央選手がテレビのCMにスケートをしながら出演されているのを偶然見て、「私もこんなCMに出てみたいな」と口にしたのを姉が聞いていて、オーディション雑誌を買ってきてくれたんです。それまではフィギュアスケートに全力で取り組んできて、芸能界に対する知識や理解はほとんどありませんでした。「きっと受からないだろう」と思いながら、軽い気持ちで書類を送りました。応募書類には写真を貼るスペースがあったのですが、フィギュアスケートの大会用に撮影していた規定のサイズよりも一回り小さい写真を貼って送るなど、母には応募したことすら伝えていませんでした。しかし、幸運にも書類審査が通り、連絡先に書いていた母のもとに合格の電話が届きました。
母からは「オーディションのことをきちんと説明しなさい」と言われ、事情を説明しました。すると、その後は母も応援してくれるようになりました。そして、その後の審査も通過し、最終的にはグランプリを受賞することができました。それまで一生懸命取り組んできたフィギュアスケートを続けるかどうかでとても悩みましたが、大勢の応募者の中からグランプリに選んでいただき、「こんなチャンスは二度とない」と考え、芸能界一本で頑張っていく決心をしました。
母からは「オーディションのことをきちんと説明しなさい」と言われ、事情を説明しました。すると、その後は母も応援してくれるようになりました。そして、その後の審査も通過し、最終的にはグランプリを受賞することができました。それまで一生懸命取り組んできたフィギュアスケートを続けるかどうかでとても悩みましたが、大勢の応募者の中からグランプリに選んでいただき、「こんなチャンスは二度とない」と考え、芸能界一本で頑張っていく決心をしました。
仕事の合間に勉強にも取り組む 女子高校生らしい思い出も
中学校卒業後は、芸能コースのある高校に進学しました。1年生の時は全日制に通っていましたが、入学後すぐに映画「魔女の宅急便」の主演が決まり、夏休みも含む3カ月間ほど高校を休むことになりました。仕事と学業を両立させるために、高校2年生の時に全日制から通信制に移ることにしました。
通信制は、2週間に一回ほど通学する形でしたので、仕事現場に勉強道具や課題を持ち込んで、仕事の合間に高校の勉強に取り組むという生活を送っていました。実は、放課後に友人とファミリーレストランやカフェなどに行ってテスト勉強をしたり、カラオケに行ったりという高校生活に憧れを抱いていました。そうした生活が送れなかったことには少し心残りがあります。でも、通信制に移った際に、同じく全日制から通信制に移った女の子がいて、その子とはとても仲良くなりました。下校時に一度だけその子とファーストフード店に行っておしゃべりできた経験があり、それが高校時代の良い思い出として心に残っています。
通信制は、2週間に一回ほど通学する形でしたので、仕事現場に勉強道具や課題を持ち込んで、仕事の合間に高校の勉強に取り組むという生活を送っていました。実は、放課後に友人とファミリーレストランやカフェなどに行ってテスト勉強をしたり、カラオケに行ったりという高校生活に憧れを抱いていました。そうした生活が送れなかったことには少し心残りがあります。でも、通信制に移った際に、同じく全日制から通信制に移った女の子がいて、その子とはとても仲良くなりました。下校時に一度だけその子とファーストフード店に行っておしゃべりできた経験があり、それが高校時代の良い思い出として心に残っています。
自分は自分と割り切って 好きなことを仕事にしよう
現在は女優としてお仕事をさせていただいています。私自身、演じることが大好きなので、「とにかく楽しむ」をモットーに、今後も数多くの役柄を演じて女優としての幅を広げていきたいと思っています。
そんな私から、進路選択を控えている高校生のみなさんに対してお伝えしたいのは、とにかく好きなこと・興味のあることを仕事にできるように頑張って欲しいということです。
私は芸能界に入って約10年になりますが、自分の“好き”を仕事にすることができ、毎日がとても充実しています。好きなことであれば、多少辛いことがあってもきっと乗り越えることができるはず。周りの人の意見や友人の進路も気になるとは思いますが、自分のことは自分にしか分からないと割り切って、自分のやりたいことや進みたい道に向かって全力で突き進んで行ってください。陰ながら応援しています!
そんな私から、進路選択を控えている高校生のみなさんに対してお伝えしたいのは、とにかく好きなこと・興味のあることを仕事にできるように頑張って欲しいということです。
私は芸能界に入って約10年になりますが、自分の“好き”を仕事にすることができ、毎日がとても充実しています。好きなことであれば、多少辛いことがあってもきっと乗り越えることができるはず。周りの人の意見や友人の進路も気になるとは思いますが、自分のことは自分にしか分からないと割り切って、自分のやりたいことや進みたい道に向かって全力で突き進んで行ってください。陰ながら応援しています!
こしば・ふうか●1997年4月16日生まれ、大阪府堺市出身。小学3年生から中学2年生までフィギュアスケートに打ち込む。2011年、「ガールズオーディション2011」でグランプリを受賞して芸能界へ。14年には映画「魔女の宅急便」で主演を果たし、一躍人気女優に。以来、連続テレビ小説「あさが来た」やNHK「トクサツガガガ」、日本テレビ系日曜ドラマ「美食探偵 明智五郎」、テレビ朝日土曜ナイトドラマ「妖怪シェアハウス」「モコミ〜彼女ちょっとヘンだけど〜」などの数多くの話題作に意欲的に出演。いま最も注目を集める若手女優の一人。
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