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第1回 起源は古代ギリシア

2023/04/19

連載 教養教育の謎解き:大学のカリキュラムの普遍性と現代性

第1回 起源は古代ギリシア

吉田 文

 さて、まずは読者のみなさんに対する質問から始めたい。「あなたは、大学で何を学びましたか」と問われたとしよう。それに対してあなたは何と答えるか。おそらくは「経済学です」、あるいは、もっと細分化された「ミクロ経済学です」といった回答がなされるであろう。これらは大学での専攻の回答である。それが何か問題か。いや、問題ではないが、もう少し思い起こして欲しい。確かに、大学は、自身が専攻した特定の学問(discipline)を学ぶところである。しかしながら、4年間すべてが専攻した学問分野の科目のみを履修していたわけではない。
 平成3年より前に大学教育を受けた方は、一般教育という課程があり、1・2年次に多様な分野の科目を履修したはずだ。当時の大学設置基準には、すべての大学は卒業要件である124単位のうち、人文科学、社会科学、自然科学を各3科目×4単位(当時は通年制)×3分野=36単位、外国語を2カ国語×4単位=8単位、保健体育4単位ということで合計48単位を一般教育に当てると規定されていた。実は、この一般教育は教員からも学生からも評判があまり良くなく、平成3年に大学設置基準からこの規程は排除され、大学は自由にカリキュラム編成ができるようになった。その後、この一般教育は教養教育、共通教育、全学教育などとさまざまな呼称を付与され現在に至る。ここで強調したいのは、大学には自身の専攻した専門学問以外に、多様な分野の学問を学習する課程があることだ。
 本連載では、ここに着目したい。専攻を選択して大学に入学しているのに、なぜ、それ以外の領域を学ぶ課程が設けられているのか。それは、どこに端を発し、なぜ、現代の日本の大学教育を構成する要素となっているのか、日本以外ではどうなのか。あまり光を当てられることのない教養教育(多様な名称があるが、本連載ではこれで代表する)に焦点を当て、これがはるか昔からの普遍性を持つ教育内容であると共に、時代に合わせて姿を変え、そして現在どのような姿で大学に存在しているか、その謎解きの旅に出ることにしよう。
 初回は、その起源をたどろう。単純化の誹りを覚悟の上で教養教育の起源をたどれば、古代ギリシアにたどりつく。もちろん、当時「大学」という教育機関はなかったが、奴隷ではない自由市民への教育は重要と認識されていた。自由市民は、将来の指導層になる。指導層たるべき者はすべての学問を学び、欠けたるところのない円満な人格を形成し、徳を涵養せねばならないというのが、当時の教育の目的であった。その後、紀元前1世紀、ローマ時代に入ると、こうした教育内容に対して「アルテス・リベラレス(altes liberales)」という名称が付された。これが、英語の「リベラル・アーツ(liberal arts)」となって現代に至る。
 では、アルテス・リベラレスを構成するすべての学問とは何か。それが「自由七科」であり、「トリヴィウム」(3科)と「クワドリウム」(4科)に分類される。前者は、文法、論理学、修辞学といった言葉を操る学問、後者は、幾何学、算術、天文学、音楽といった数字を扱う学問だ。なぜ天文学や音楽が数字を扱う学問なのか、首をかしげる面々もおられよう。天体運行の規則を考える天文学、音楽を構成する音律や音階は、いずれも数字が必要なのだ。
 そして時は流れて11世紀頃、中世大学がヨーロッパに誕生する。現在の大学の起源だ。それは、法律家、神学者、医師という専門職の養成機関だったが、13世紀頃それらの学部の下級に学芸学部が置かれ、そこでこの自由七科が教えられた。特定の専門職になる教育を受ける前に、多様な学問を幅広く学ぶことが必要とされたのだ。
 教養教育は、すでにここまで1500年ほどの命脈を保ってきた。では、それから現在まで、どのように生き延びていくのか。次回は、アメリカについて取り上げよう。



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