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第5回 大綱化とそれ以降

2023/10/02

連載 教養教育の謎解き:大学のカリキュラムの普遍性と現代性

第5回 大綱化とそれ以降

吉田 文

 平成3(1991)年の大学設置基準の大綱化により、一般教育に関する規程は廃止された。大学設置基準から「一般教育」という呼称が消えたため、その後は教養教育、共通教育などの名称があてられ、専門教育と区別された。大学の自由裁量に任せられた教養教育は、その後、どのようになっていくのか。今回は、その様子を見ていこう。
 すでに前回記したように、大学設置基準には、一般教育として人文・社会・自然を各12単位(通年で4科目)、合計で36単位設置することが記されていた。しかし、大学はそれを専門基礎科目などで読み替え、一般教育の単位を減少する傾向があった。大綱化直前のデータで見ると、36単位を厳守している大学は半数に過ぎない。ほとんどが学部学科に細分化された入学者選抜を行っている日本の大学の場合、教員も学生もいち早く専門教育を教えたい・学びたいと志向するのであり、一般教育の比重低下はやむなしだ。そうした状況下、大学の自由裁量に任された一般教育・教養教育の比重はさらに低下することは容易に想像される。大綱化から十年を経た2000年代初期の頃の調査によれば、教養教育の必修に充てている単位が36単位以下である大学は、70%に及ぶ。大学は、競うように教養教育の必修単位を減少させていったのだ。
 これに対し、日本の教育の在り方を審議する中央教育審議会は、繰り返し注意喚起をする答申を発出している。すなわち、教養教育は大学教育の根幹として幅広い知識を身につけ、それによって学生の能力は多様に涵養される。教養教育をもっと重視すべきというメッセージだ。教養教育に付託された理念を重視する審議会と、現実の要請をもとに改革を進める大学との大きな懸隔を見ることができる。
 ところが、さらにそこから十年強を経過した折の調査を見ると、教養教育の必修に充てられている単位数は、不思議なことに2000年代初期の頃とあまり変わっていない。なぜか。そこで、教養教育の必修として提供されている科目を検討したところ、興味深い事実が浮かび上がってきた。旧来の人文・社会・自然のカテゴリーの科目は減少している。しかし、初年次教育としてまとめることができる科目群、すなわち、補習教育に始まり図書館の使い方、ノートの取り方などの科目を教養教育として必修にする大学が増えているのだ。単位数における変化はあまりないが、その内容が大きく変化している形だ。
 確かに、平成3年の大綱化の時期には大学・短大進学率は30%台半ばだった。それが18歳人口の急減によって大学進学率はおよそ60%にまで上昇した。それは取りも直さず、従来と比較して大学教育への準備が不十分な学生の増加につながっており、その対策として、初年次教育の重要性は高まった。それを教養教育の理念に裏づけられた教育と言うのか否かに関しては議論の余地があろう。
 他方、大綱化によるカリキュラム編成の自由化は、別の動向をも引き起こした。それは高年次教養教育の登場だ。従来、一般教育は学部の1・2年次に実施されるものとされたが、平成22(2010)年前後から3・4年次生、場合によっては大学院生を対象とする教養教育科目を設ける大学が登場した。これが従来の教養教育と異なるのは、分野横断的な問いに対して多様な専門を学ぶ学生が集まり、その見地から議論するといった工夫がなされていることだ。確かに、特定の学問分野の一定の知識をベースに議論する高年次教養教育の試みは興味深い。とはいえ、これが日本の教養教育の切り札になるとは思われない。専門教育中心の3・4年次にこれを組み込むことは、教員にとっても学生にとっても容易ではないからだ。このように、米国に倣って導入した一般教育・教養教育は、常にその位置を模索してきた。
 次回は、日本と同様な経験を経てきた近隣諸国の教養教育を見ることにしよう。




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