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第7回 中国

2023/12/01

連載 教養教育の謎解き:大学のカリキュラムの普遍性と現代性

第7回 中国

吉田 文

 中華人民共和国における高等教育は、細分化され、理工系に特化した専門教育、またその専門のみを教授する単科大学が多いという特徴を持つソ連型と呼称されるものだった。1990年前後に改革開放政策に舵を切り、市場経済を導入したことで、それへの対応を目指した高等教育改革が始まった。第一が、大学合併だ。総合大学化することで経営効率を高め、かつ学生への多様な教育の提供が可能になった。第二に、特定の大学への資源の集中的投下により、世界に伍する卓越大学をつくろうとした。「211プロジェクト」「985プロジェクト」がそれである。
 第三が、教養教育の導入だ。狭い専門教育を脱し、文理にわたる幅広い知識の教授が必要とされ、95年、国家教育部は教養教育の実施を求める通知を出した(中国では、教養教育を意味する言葉として「文化素質教育」や「通識教育」がある。以下、通識教育と表記する)。日本・韓国・台湾と比較して、専門教育主体の教育へ通識教育を導入した点は同様だが、政府が事細かにその内容を規定しなかったことが大きく異なる点だ。政府が全国一律に必修として規定したのは、政治・道徳、軍事理論、体育、英語、ITである。それは、教育部に指定された必修科目だが、それ以外は大学の自由裁量に任された。おおむねどの大学も文系の学生には自然科学科目を、理系の学生には人文・社会科学科目を履修させることで通識教育は実施された。卒業単位に占める通識教育の比率は、大学の持つ教員や財政という資源により大きく異なっている。
 通常、通識教育科目は学部の教員が提供する方式が採られ、通識教育のみを担当する教員やその教員の組織が置かれることは稀だった。教員の全学出動という点では、日本などで問題になった教員間の身分的差別はないが、教員が関わる責任組織がなく、加えて中国では、教員ではなく職員が調整・執行等のマネジメントを行う体制だった。そのため、通識教育は体系性に欠け、専門教育重視の姿勢は大きく変化しなかったのだ。
 こうした状況下、政府は通識教育の拠点校を定め、そこに資金を投入して、活性化を図ろうとした。2000年代に入ると、通識教育に新たな展開が見られる。それはエリート大学における創造性の高いエリートの養成を目的とした、書院制度による通識教育の始まりである。書院とは、1・2年次の学生が学寮に居住して通識教育を履修する仕組みだ。北京大学の元培学院のように選抜された優秀者のみを対象にするケースと、復旦大学の復旦学院のように入学者全員を対象とするケースがある。中国の多くの大学では、学生は入学時に専門を決定しているが、その専門に関わらず文理にわたって幅広く学修し、学修支援のためのチューターが学生の個別指導を行い、授業の一環として学外活動をする仕組みなどの工夫が凝らされた。学生自身による課外活動も活発に行われている。一定の評価を得た書院の中には、中山大学の博雅学院のように4年間の文理学部に昇格した例もある。
 しかしながら、これらの書院制度が教育効果を上げているか否かを評価するのは容易ではない。なぜなら、そもそも優秀な学生が集まる大学で書院制度が採用されている上、一部の大学はさらにそこから優秀層を選抜して教育しているからだ。また、専門教育が不十分だという批判があっても、これらのエリート大学では大学院進学率が高いため、大学院において専門性を深めることが可能である。
 中国の場合は、通識教育の自由度は大学にあるという条件のもと、そこにエリート養成の意義を見い出したエリート大学群の存在があったことこそが、通識教育の普及につながったと言うことができる。専門教育主体の高等教育システムに教養教育を導入しても、教養教育が一定の成功を示した事例だ。
 次回からは専門教育主体の高等教育という常識を塗り替えた西欧の例を見ていこう。




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