トップページ > 学窓 > 〔第 75 号〕

前の記事 | 次の記事

〔第 75 号〕

2011/04/08

新学期だというのに、この切なさはやり切れない。3月11日、大地震が発生した。こうした天災や大惨事に接する時いつも思うのは、そのような局面で大学や学問がどう貢献できるのかということだ▼地震のメカニズム、原子力開発など、科学技術の分野。被災者支援では、医療や福祉といった知見も必要とされるだろう。さまざまなケースの分析を積み上げてきた大学だからこそ、難局で果たすべき役割があるはずだ▼研究者が遺した文献や古典の中で、地震の描写を見つけることも珍しくない。今回の大地震との類似性が指摘されている貞観地震(869年)にしても、なるほど、平安時代の歴史書『日本三代実録』に確かに記されている。ことの大小・軽重を問わず、歴史の中にこそ、謙虚な姿勢で学ぶべきことがまだまだたくさんあるのだと思い知らされた▼学生時代の恩師が、「大学の勉強は、すぐに役立つものばかりではない。しかし、いつか必要とされる時が来る」と力説していた。すでに四半世紀以上も前のことだが、師が引いたその例は、ある文学作品で語られた実際の地震だったことを思い出した。日本再生の示唆は意外なところに潜んでいる。共にがんばろう、日本。

前の記事 | 次の記事