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第2回 新学制の発足、綻び、そして改革へ

2014/05/14

連載第2回 大学を変えよう!大学維新へ!

石川洋美

◆「学歴エリート主義」から「受験戦争」へ
 第二次世界大戦の敗戦により、押しつけられた形で新教育制度が屈辱と期待の中で出発した。しかし、やがてさまざまな問題が発生した。一つは、「民主化、平等化」の基本方針から発する諸問題だ。
 例えば「受験戦争」。その底流となったのは、新教育制度が発足しながらも依然として続いた「エリート志向進学」である。新学制で「誰でも平等に大学に進学してエリートを目指せるはず」という意識から進学率が急増、大学が「狭き門」となった。そして、この「狭き門」への入学をめぐって「受験戦争」が勃発した。
 また新制高等学校では、平等化方針を受け「学区制」などが敷かれ、旧制中学校などにあった「学校間格差」の是正が図られたが、結果として公立校の全体的なレベル低下を引き起こし、公立校離れが起きた。そして私立校が受験校化し、大学と高校を舞台にした激烈な受験戦争が起きるに至った。
 この受験戦争は「記憶知識の量」による競争となり、いわゆる「偏差値入試」といわれ、教育界の大問題の一つとなるのだ。

◆新制大学の目玉「教養課程」の崩壊
 一方、新制大学は戦前の教育制度の一つの特徴であった「教養の固まり旧制高校」を廃し、教養課程として大学に吸収する形で発足したが、この教養課程が次第に問題となっていく。「幅広い教養の上に専門が乗る」という理想は、いつしか教養が専門によって押し潰されるようになり、教養課程の崩壊へと向かったのだ。大学進学率の急進は、「大学の大衆化」から「ユニバーサル化」へと進み、大学が変質し、ついに「大学設置基準の書き直し」にまで至る。さらに大学の諸問題は続発する。この間の大学の変化について特集を続けた中央公論誌は、2006 年の「大学の失墜」から始まり、2009年「大学の絶望-下流化した学問は復活するのか? 亡び行く日本の理工教育」、2011 年「大学の耐えられない軽さ-大学再生は今一度の1945 年(註、終戦)を」、2012 年「大学改革の混迷-日本の大学の何が問題か」。そして、2014 年には「大学の悲鳴-大学の強化と淘汰は時代の要請」と切迫してきた。かくて大学の根本的改革を促す「研究中心大学から教育重視大学への流れ」が発生する。

◆改革への動き、46答申など
 しかしながら、こうした新教育制度の諸問題が放置されてきたわけではない。新制度発足後20年余りを経て、昭和46年6月に中央教育審議会からいわゆる46答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策」 が出され、「教育の立て直し」が図られた。この46答申にはそれまでに発生した諸問題がほとんど取り上げられ、いくつかの提案がなされていたものの、その後この答申の実現は遅々として進まなかった。
  大問題の受験戦争にもいくつかの改革が試みられた。進学適性検査の試行、統一学力テスト、AO 入試の実施など、一つひとつの問題についてそれぞれ個別対症療法も試みられている。しかし全体的に必ずしも成果があがっているとは言い難い状況だ。

◆教育再生へ
 そしていま、遂に「教育は死んだ」との認識のもとにその再生を図るべく、「教育再生会議」が立ち上げられ諸提案が検討されるに至った。現場からも「東大の秋入学」などインパクトの強い提案が出され、グローバル人材の養成や学期制の再考などの議論に波及している。また初等中等教育でも小・中一貫、中・高一貫など新学制の根幹6・3・3制を見直す議論が起こっている。改革の機運が盛り上がってきた。
 教育制度の根本的改革の秋は熟したようだ。私が年来提唱している「大学維新」への道が見えてきた。

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