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第34号(平成29年4月30日発行)お笑い芸人 小島よしおさん

2017/05/11

大学での出会いが人生を変えた!
高校生のみんなも目標に向かって頑張れ!


お笑い芸人 小島よしおさん




























 平成19(2007)年、彗星のごとく芸能界に現れたお笑い芸人・小島よしおさん。持ちネタである「そんなの関係ねぇ!」や「おっぱっぴー」は、当時多くの人たちの笑いを誘い、いまもなお芸能界の第一線で活躍しています。早稲田大学(東京都新宿区)を卒業した〝インテリ芸人〞としても知られる小島さんを訪ね、これまでの人生を振り返っていただくと共に、進路選択に悩む高校生のみなさんにメッセージをいただきました。



――小島さんの幼少期からの人生ストーリーをお聞かせください。お生まれは確か沖縄でしたね。

 生まれは沖縄ですが、すぐに千葉に移ってきたため、物心がつく頃にはもう千葉のイメージしかありませんでした。小さい頃から活発で、小学校に進んで少年野球を始めると、その傾向にさらに拍車がかかり、授業や学校行事にも積極的に参加するようになっていました。
 とにかく目立つことが好きで、学級委員長に応援団長、中学では生徒会長にまでなってしまって。野球でも小・中学校とキャプテンを務めるほどでした。


――高校時代について振り返っていただけますか?
 
 野球一色という感じでしたね。朝練から始まって放課後までずっと野球漬けで、正直なところ、授業はきちんと受けていなかった気がします(笑)。授業中に野球部の日誌を書いていたり。そのため、入学直後からどんどん成績が落ちていって……。
 一方、先輩が引退した後は主将を任され、最後の大会ではファーストのレギュラーで、4回戦まで進出しました。


――高校卒業後は1年間の浪人生活を経て早稲田大学に進学されました。受験生時代のエピソードをご披露ください

 高校時代は野球にすべての情熱を傾けていたこともあり、残念ながら現役で大学に合格することはできませんでした。その結果、浪人生活を送ることになりましたが、僕は追い込まれると力を発揮するタイプだと分かっていましたので、実は本格的な受験勉強は浪人時代の夏頃から始めたんです。4月から勉強を始めると11月頃には息切れしてしまう気がしたので、あえてスタート時期をずらすために、8月頃までアルバイトをしていたんですよ。
 目標としたのは早稲田大学。父が卒業生だったことに加え、負けず嫌いな性格でしたので、早稲田大に入学することができれば周りの人たちからも「オォー」となるのではないかと考えて志望しました。
 アルバイトなんかしてたら早稲田大なんて絶対に入れない、とよく言われていましたが、天邪鬼な性格なので、その言葉で逆に燃えました。受験勉強に対するモチベーションを高めるためにアルバイトをしていたのかもしれませんね。
 実際、夏を過ぎてからは一日に16時間くらいは勉強に没頭しました。睡眠以外、入浴でも食事中でも勉強をしていましたので、両親からも「大丈夫?」と心配されるほどでした。しかし、その努力が実り、無事に早稲田大に合格することができました。


――大学生活はとても起伏に富んでいたとうかがいました。

 大学での思い出はお笑いサークルの「WAGE」に尽きますね。大学に入学してすぐに、キャンプサークルのお花見に参加したところ、そこにWAGEとかけ持ちをしている人がいて。お笑いライブに誘われたのをきっかけにWAGEに入ることになりました。その時点ではまだサークルでしたが、僕が1年生の頃にお笑いの大会でスカウトされて、5人組のお笑いグループとして芸能事務所に所属することになりました。
 サークルのメンバーは20人くらいいたのですが、マネジメントできるのは5人くらいだと事務所に言われて、一晩中メンバーで会議をして、どの5人を選ぶのかを決めたことをいまでもよく覚えています。
 振り返れば、もしもあの時お花見に行っていなければ、WAGEにも入っていなかったですし、お笑いの道に進むこともなかったでしょうから、僕の人生を大きく変えた出会いだったと思います。


――そして、2007年にピン芸人としてブレイクされました!

 WAGEは01年からコントなどを中心に活動していましたが、足掛け5年間で残念ながら解散してしまいました。その後、ピン芸人として独立しましたが、不慣れなこともあって、仲の良い先輩のみなさんにひたすら同行する日々が続きました。
 そうした毎日の中、趣味でDJをしている先輩のイベントで、突然マイクを渡されて「とりあえず盛り上げろ!」と言われたんですね。ムチャぶりに焦りながら、何とかギャグを披露したのですが、それが思い切り滑ってしまって……。
 その時に、「滑ったけど“そんなの関係ねぇ!”」と繰り返していたら、フロアに人が集まり出して(笑)。それが「そんなの関係ねぇ!」が誕生した瞬間でした。あの時、中途半端におもしろいネタができていたら、「そんなの関係ねぇ!」は生まれていなかったでしょうね。


――これから進路選択に直面する高校生に、応援メッセージをお願いします。

 高校生のみなさんはとても若くて、まだまだ将来に対する可能性は無限大だと思います。だからこそ、この時期にしっかりと将来のことを考えて、勉強などを頑張って欲しいですね。
 もしもいまの時点で将来なりたい職業が決まっているのであれば、強い意志を持ってその目標に向かって突き進んでみましょう。
 育った環境や才能などは人それぞれですが、最も大切なのは自分の意志です。進むべき道を目指して精一杯頑張ってみてください。応援しています!


こじま・よしお●
昭和55(1980)年11 月、沖縄県島尻郡久米島町生まれ。幼少期に千葉市に転居し、千葉市立稲毛高等学校から早稲田大学教育学部国語国文学科に進学・卒業。平成19(2007)年の「第5 回お笑いホープ大賞」で激励賞を受賞し、大ブレイク。持ちネタの「そんなの関係ねぇ!」と「おっぱっぴー」の二つは、新語・流行語の大賞候補にもノミネートされた。現在は子ども向けのネタでさらに注目を集めている。


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