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第3回 大学入試の公平性を考える

2019/07/19

連載 入試研究からみた大学入試

第3回 大学入試の公平性を考える

西郡大

 昨年、一部の大学の医学部で行われた、女子や浪人生を不利に扱ったり、特定の受験生を優遇したりするなどの不適切な入試が話題となった。これをきっかけに、文部科学省の有識者会議において、大学入試の公平性確保に向けた共通ルールが検討され、「令和2年度大学入学者選抜実施要項」から適用される。今回は、大学入試の公平性について改めて考えたい。
 まず、大学入試が選抜試験である以上、受験生全員が満足する合否決定はありえないという前提に立たねばならない。その原理を分配の公平性という観点から考える。例えば、募集人員50人に対して受験生が150人の場合、50人の枠を均等に分配することはできない。また、他大学に合格している受験生Aよりも、どこの大学にも合格していない受験生Bを優先的に合格させることもありえない。そのため、選抜試験は試験成績に基づいて合否を決定(分配)するという考え方が最も公平だと考えられている。
 ここで、時給1000円のアルバイトの例を考える。5時間の労働に対して5000円、2・3時間の労働に対して2300円というように、両者の労働時間に応じて給与を支払うことが公平な分配となる(1円単位の分配も原理的には可能)。しかし、選抜試験では、受験生の試験得点に応じて、合格の権利を細分化して分配できない。試験成績が60点の合格者と59点の不合格者では得られるものが決定的に異なる。だからこそ、評価手続きの公平性が大きな注目を集めるのだ。
 こうしたことから、同一条件・同一処遇を伴う学力検査による評価が最も公平という観念が日本では根強い。一方、AO入試や推薦入試が拡大し、大学入試の多様化が進んだ。同じ学部に多様な入試で合格した学生が混在するのだ。ではなぜ、絶対的な公平性が必ずしも担保されていない入試が受け入れられてきたのだろうか。筆者は、選抜性の高い大学において、入試全体に占める「一般入試」の割合が高いからだと考える。学力検査を中心とした一般入試が大半を占めるうちは、一部の入試でどのような評価が実施されようと例外的な存在として受容されてきた。そのため、学力検査以外の多面的・総合的な評価を伴う入試の割合が、ある水準を超えた途端、評価手続きの公平性に対する社会の注目が急激に高まるのだと思われる。
 実際、一般入試における「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」の評価について各所で議論が行われており、評価の公平性が必ず論点となっている。主体性という情意的な資質は、客観式の学力検査によって評価することは困難であり、面接試験や書類審査などが一般的な手法となる。人が人を評価する場合、さまざまなバイアスが評価に影響することが知られており、1点差で得られるものが決定的に異なる選抜の性格を考えれば、バイアスが介入する方法を忌避するのは当然だろう。しかし、受験生の能力や適性等を多面的に評価しようとすれば、この矛盾を克服しなければならない。高大接続答申(平成26年)では、「入学者に求められる能力を『公正』に評価し選抜する方法へと意識を転換していく」ことで、この矛盾を克服することを試みている。
 先の有識者会議では、「❶合理的で妥当な入学者選抜の実施方針・方法等を具体的に定めること」「❷ ❶を社会に公表し、周知すること」「❸ ❶を遵守して、入学者選抜を実施すること」「❹入学者選抜の実施結果の妥当性を説明できること」の4点を公平性確保の重要事項とした。これは、アドミッション・ポリシーに基づく人材獲得が、公正かつ妥当な手続きで行われたことを合理的に説明する責任が大学にあることを意味する。合理的な説明には、評価方法の信頼性や妥当性の検証、入学者の追跡調査などの専門的な技術が欠かせない。多面的・総合的評価の導入が進む中で、入試研究を基盤とした説明責任は、公平性確保の重要な要素となるはずだ。



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