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第1回 高等教育政策の目的

2020/04/16

連載 大学改革と高等教育政策

第1回 高等教育政策の目的

濱中 義隆

 今日の大学・高等教育機関の在りようを考える上で、政策との関係を抜きにして語ることはできない。そもそも近代以降の社会において大学は、国家の庇護と統制の下に存立してきた。政府支出による財政支援、大学の名称利用や学位授与権をめぐる正統性の保証、学問の自由を背景とした自律性の付与が認められる一方、公教育システムの一部としてさまざまな規制を受けている。 
 それでは、国家ないし政府にとって高等教育政策の目的とは何なのか。筆者は「質」「アクセス」「規模」の3点が特に重要と考える。一つ目の「質」とは、文字通り、教育研究の質を高めることである。そのために必要な財政措置を行うと共に、設置基準の制定、大学評価制度などを通じて、教育研究の質を維持・向上させる。二つ目の「アクセス」は、相対的に不利な社会階層出身者の進学を後押しすることにより、教育の機会均等を達成することだ。奨学金制度等による経済的支援策に加えて、初・中等教育段階における就学援助や学力向上のための取り組みも広い意味ではここに含まれる。三つ目の「規模」は、社会的に適切な規模の高等教育機会を供給することだ。国・公立の機関による教育機会の直接的な供給のみならず、私学への財政補助を通じて、国民の進学需要や経済社会の人材需要に応じた高等教育機会を提供する。いずれの目的も市場による自由な教育機会の供給と進学志願者の選択によって達成できるものではなく、何らかの政策的な介入が必要とされるものだ。
 ただし「質」「アクセス」「規模」の追求は常に調和するわけではなく、互いに矛盾することも起こりうる。例えば、高等教育の規模拡大は、不利な社会階層出身者にとってもアクセスの向上につながる。だからと言ってむやみに規模だけを拡大すれば、教育研究の質の劣化を招くし、入学者の資質(平均的な学力水準や学習意欲など)も変化するだろう。一方、教育の質向上に注力すれば、その分、コストが上昇し、公財政の逼迫あるいは学費(自己負担)の高騰を招くだろう。学費の上昇がアクセスに対して悪影響を及ぼすことは言うまでもない。高等教育政策には、相互に関連する上記の目的を均衡良くかつ効率的に達成するための制度設計と、それを具現化するための資源配分の検討が求められる。
 考えてみれば、今日の大学教育に対する懐疑(世論)は、質・アクセス・規模という三つの価値の間のバランスに向けられたものであると言えよう。イノベーションと高付加価値化への要求など産業社会の変容に伴う高度な知識・技能を有する人材需要の高まりは、一方で国民の大学進学需要を高め、進学機会の不平等と教育の質に比して高い(と思われる)学費の負担に対する社会的関心を集めた。他方で、産業界からは、大学教育の内容と人材ニーズとの乖離をもとに、大学教育と卒業生の質に対する不満が表明される。さらには経済の低成長時代にあって、財政当局からは、教育投資の有用性は認められつつも、限られた財源の効率的利用と社会への説明責任が要請された。
 こうして2000年代以降、国立大学の法人化、認証評価制度の導入、各種GPなど競争的資金の導入、修学支援新制度(高等教育の無償化)とそれに伴う実務経験を有する教員配置の義務化など、さまざまな「改革」が実行されてきたのだ。
 ところが、これら一連の改革は早くから「改革疲れ」の声が聞かれるなど、大学関係者の評判が良くないだけでなく、改革の時代が20年近く続いていることからも必ずしも奏功しているわけではなさそうだ。その理由を直ちょく截せつに明らかにすることは困難だが、本連載では、「質」「アクセス」「規模」を切り口として大学教育の現状をデータで紹介すると共に、近年の高等教育政策において、どのような論点が欠けていたのか、今後何が重要となるかについて検討してみたい。




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