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第2回 2000年代の高等教育政策
2020/05/21
連載 大学改革と高等教育政策
第2回 2000年代の高等教育政策
高等教育政策の目的として、教育研究の「質」の向上、教育の機会均等のための「アクセス」の改善、社会的に適切な「規模」の高等教育機会の供給の3点が重要だということを前回述べた。
2000年代以降の高等教育政策を振り返ると、このうち「質」に関すること、とりわけ学士課程段階の教育改革の比重が増していることが分かる(なお、今年度より導入された修学支援新制度は、「アクセス」に関わる大きな制度変更であるが、元々は2017年に閣議決定された「新しい経済パッケージ」が端緒となっていることからも明らかなように、高等教育政策として議論が尽くされたものではない)。
第2回 2000年代の高等教育政策
濱中 義隆
高等教育政策の目的として、教育研究の「質」の向上、教育の機会均等のための「アクセス」の改善、社会的に適切な「規模」の高等教育機会の供給の3点が重要だということを前回述べた。
2000年代以降の高等教育政策を振り返ると、このうち「質」に関すること、とりわけ学士課程段階の教育改革の比重が増していることが分かる(なお、今年度より導入された修学支援新制度は、「アクセス」に関わる大きな制度変更であるが、元々は2017年に閣議決定された「新しい経済パッケージ」が端緒となっていることからも明らかなように、高等教育政策として議論が尽くされたものではない)。
中央教育審議会の答申で政策のトレンドを追ってみると、2005年の「我が国の高等教育の将来像」の時点では、18歳人口の減少も見据えて、高等教育の全体「規模」や地域配置に対する考え方を答申の冒頭で提示しているものの、今後は「高等教育計画の策定と各種規制」の時代から「将来像の提示と政策誘導」の時代へ移行することを宣言し、「規模」のコントロールの役割は後退した。直近の答申「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(2018年)では、「規模」についての言及は、「教育研究体制」の改革、「教育の質の保証と情報公開」のうしろに位置し、記述量もこれらの事項に比べて非常に少ない。この間、「学士課程教育の構築に向けて」(2008年)、「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」(2012年) において、卒業認定・学位授与の方針など三つのポリシーの策定・公表、単位の実質化、厳格な成績評価、シラバスの充実、講義形式中心の授業から能動的学修(アクティブラーニング)への転換など、「質」に関わるさまざまな具体的施策が提言され、実行に移されてきたことをご存知の方も多いだろう。
それにしてもなぜこの時期に「質」への関心が高まったのか。その理由を「大学過剰論」に求める向きもあろう。1990年代の初め頃に比べて、大学数は約200校増加し、大学生数も50万人近く増えた。この間18歳人口が大きく減少したこともあり、大学進学率は30%未満であったのが50%を超えるに至っている。こうした急激な量的拡大に加え、行政改革の一環でもある規制緩和により設置認可が簡素化されたこともあって、質の低下が懸念された。それゆえ事後的な評価(質保証)が必要になった、というのである。もちろん消費者保護の観点から継続的なモニタリングは重要であり、筆者自身も大学評価の制度化についてこのように解釈していた時期もあった。しかし、いまとなって思うのは、これはかなり短絡的な見方だということである。
確かに大学数は増加した。志願倍率の減少により入学が容易な大学が増えたことも事実だろう。しかし、1990年代半ば以降に新設された大学の学生数をすべて足しても、大規模大学上位20校の学生数の3分の1程度に過ぎず、マクロに見ればその影響は必ずしも大きなものではない。既存の大学、むしろ学生募集の観点からは問題を抱えているわけではない有力大学の学生の学習経験の「質」を高めることのほうが、我が国の高等教育全体の底上げに与える効果ははるかに大きい。
そこで政策的にも着目されたのが、大学教育の日本的特質(と言うのは憚られるが)、学生の授業外学習時間の少なさである。かつての高度経済成長期に、急速に規模を拡大した日本の伝統的大学は、一方で国民の進学需要の高まりに応えたものの、他方でいわゆるマスプロ型の講義形態を常態にしたとされる。ゼミナール・卒業論文・研究室での指導などごく一部を除き、多数履修している講義形式の授業科目では、出席こそしているものの、その学習経験の密度は決して高いものではなかった。そうした日本の大学教育の構造的特質からの脱却が企図されたのである。
それにしてもなぜこの時期に「質」への関心が高まったのか。その理由を「大学過剰論」に求める向きもあろう。1990年代の初め頃に比べて、大学数は約200校増加し、大学生数も50万人近く増えた。この間18歳人口が大きく減少したこともあり、大学進学率は30%未満であったのが50%を超えるに至っている。こうした急激な量的拡大に加え、行政改革の一環でもある規制緩和により設置認可が簡素化されたこともあって、質の低下が懸念された。それゆえ事後的な評価(質保証)が必要になった、というのである。もちろん消費者保護の観点から継続的なモニタリングは重要であり、筆者自身も大学評価の制度化についてこのように解釈していた時期もあった。しかし、いまとなって思うのは、これはかなり短絡的な見方だということである。
確かに大学数は増加した。志願倍率の減少により入学が容易な大学が増えたことも事実だろう。しかし、1990年代半ば以降に新設された大学の学生数をすべて足しても、大規模大学上位20校の学生数の3分の1程度に過ぎず、マクロに見ればその影響は必ずしも大きなものではない。既存の大学、むしろ学生募集の観点からは問題を抱えているわけではない有力大学の学生の学習経験の「質」を高めることのほうが、我が国の高等教育全体の底上げに与える効果ははるかに大きい。
そこで政策的にも着目されたのが、大学教育の日本的特質(と言うのは憚られるが)、学生の授業外学習時間の少なさである。かつての高度経済成長期に、急速に規模を拡大した日本の伝統的大学は、一方で国民の進学需要の高まりに応えたものの、他方でいわゆるマスプロ型の講義形態を常態にしたとされる。ゼミナール・卒業論文・研究室での指導などごく一部を除き、多数履修している講義形式の授業科目では、出席こそしているものの、その学習経験の密度は決して高いものではなかった。そうした日本の大学教育の構造的特質からの脱却が企図されたのである。
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