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第5回 学習行動調査の可能性

2020/09/14

連載 大学改革と高等教育政策

第5回 学習行動調査の可能性

濱中 義隆

 近年、大学教育における内容・方法面での改革は急速に進行したものの、学生の自律的な学習行動にそれらはほとんど反映されていないこと、その理由として、教室での講義と自律的な学習の組み合わせに関するコンセンサスが欠如しているからではないかということを前回述べた。
 大学教育とは「自律的学習を通じた知的鍛錬の場」であるという観念がそもそも希薄ならば、学生にとって出された課題以上に自ら学習するインセンティブは働かないし、教員側も自分だけが過度に負担の大きな課題を学生に課すことはためらわれる。卒業生を受け入れる社会の側も、「学術的な専門知識・理論の修得の場」としての大学教育観が優勢な場合、学生生活を謳歌しつつ要領良く試験の関門をくぐり抜けてきた学生のほうがむしろ有能だという評価になりかねない。しかも、職場で求められる知識・技能と大学で学ぶ学問的知識は必ずしも一致するものではないから、在学中の学習経験にもさほど関心が向かない。こうして自律的学習を重視しない大学教育の日本的特質が維持されているのであろう。
 知識や人材の流動化が進む今日、学校で獲得した専門知識を直接的に活用できる機会は限定的となる一方、青年期における知的鍛錬の経験は、社会で求められる課題発見・問題解決力や、論理的なコミュニケーション能力を獲得するための源泉(基本的資質)として、ますます重要になる。いささかステレオタイプではあるが、こうした認識自体はすでに一般的になりつつあると思う。「質的転換答申」以降の高等教育政策も、日本の大学がこうした要請に応えていないという危機感に貫かれているように見える。問題は、知的鍛錬の手段としての自律的学習を、いかにして大学教育の中に有機的に取り込んでいくかという点にある。その実現には、先に述べたような日本社会に根ざしている大学教育観そのものの転換が求められるわけだが、果たしてそのきっかけを何に求めれば良いのだろうか。
 手前味噌な話で恐縮だが、(本連載で紹介した調査のように)学生の学習経験の現状をデータで可視化し、互いに比較可能とすることにより、問題点を自覚・共有することがやはり近道ではないかと考える。政策の話に戻すと、文部科学省は令和元年度より、すべての大学3年生を対象とする学生調査を開始した。当面は「試行」の位置づけで、参加希望大学の学生のみが対象であるが、初年度は約500校、11万人の学生から回答を得ている。
 当初は大学・学部ごとに結果を公表することを想定したがゆえの大規模全数調査であったが、個別の結果公表は見送られた。限られた調査項目では、多様な大学の教育の質を正しく把握できないばかりか、集計結果の数値が一人歩きしてしまうと、大学間の不適切な序列化につながりかねないというのが反対の主な理由だという。
 しかし我が国では、入学難易度を基準として大学間に堅固な階層的構造が存在することは誰もが知るところだ。それゆえ有名大学に対する超過需要を生み出し、教育改善をめぐる競争を生じにくくさせているのではないか。もし、社会的通念とは異なる調査結果が得られた時には、各大学に対する世間の評価に一定のゆらぎを与え、改善のきっかけを与えるに違いない。
 周知のように、今年度は新型コロナウイルス感染症による影響で、ほぼすべての大学がオンライン授業を展開し、通常よりも多くの課題が課されたため、学生が疲弊しているとの声も聞く。強制された自律的学習とはいえ、そこから学生が知的成長の実感を得られたならば、対面授業に戻った後も授業外学習時間が増す方向に進むかも知れない。それとて、客観的データがあって初めて分かることである。入学後にどのような学習経験を得ることができるのか、個々の大学の教育上の実力を可視化するツールとしての学生調査のさらなる活用に期待したい。



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