トップページ > 連載 大学改革と高等教育政策 > 最終回 大学進学率60%時代の高等教育

前の記事 | 次の記事

最終回 大学進学率60%時代の高等教育

2021/03/19

連載 大学改革と高等教育政策

最終回 大学進学率60%時代の高等教育

濱中 義隆

 高等教育の「規模」をコントロールすることは、高等教育政策の重要な役割の一つだが、前回も紹介したように、社会的に適切な進学者数を推計したり、国民の進学需要を正確に予測したりすることは難しい。一方、明らかなのは、国内の18歳人口が、2040年には約88万人と、現在の7割強まで減少することである。ゆえに、直近の中央教育審議会答申「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(2018年) では、個々人の生産性向上の観点から「できるだけ多くの学生が進学すること」は今後も重要であるとしつつも、これまでのような「18歳中心主義(高校卒業後すぐに進学する日本人の学生を主な対象とする)」を脱却しなければ、各高等教育機関が現在の規模を維持することはできず、教育の質の維持向上の観点から、規模の適正化を検討する必要があるとしている。
 具体的には「社会人や留学生の受け入れ拡大」を提言しているのだが、中教審答申等の政策文書で、社会人学生や留学生の受け入れは、実は1990年代から繰り返し言及されてきた。ただし、当時は後ろのほうに少しふれられるだけで、あまり本気度を感じるものではなかった。直近の答申において、それを前面に押し出しているのは、少子化の影響がいよいよ深刻な局面に入ったことの証左とも言えるが、政策手段としてはやや行き詰まりを感じないこともない。従来型の学生の補完として社会人や留学生に期待するだけで、教育内容や学習方法の抜本的な改革なしでは、これまで同様、実効性をあげることは期待できない。
 同一年齢人口における大学進学率が50%を超え、高等教育に進学しないことの不利益が大きくなった今日、これまで進学しなかった層(端的にいえば学力中〜下位層)における進学需要は今後もむしろ高まる可能性を否定できない。高等教育の「無償化」に対し社会的な期待が集まったのも、「アクセス」の格差を解消すべきという理念より、進学することからの将来的なリターンに不確実性を伴う、(従来の基準から言えば)ノンエリート層の進学機会や費用負担がどうあるべきかが問われたからだろう。
 であるならば、「大学進学率60%時代」の大学ならびに高等教育のあり方を考えるべきではないか、というのが私の主張だ。18歳中心主義の進学行動が不変のまま、進学率が上昇すれば、学生の基礎学力はもちろん、学習意欲や大学教育に対する期待が多様化することは避けられない。卒業後の進路との対応関係も変化するだろう。従来型の「大卒ホワイトカラー」、すなわち企業等の基幹的な従業員として昇進型のキャリアを期待される層だけでなく、高度な職業的スキルを有する人材の養成も大学の役割としてますます重要となろう。大学の「就職予備校化」を批判する意見は根強いが、「専門職大学」制度の創設など、近年の職業実践的な高等教育への要請は方向性としては正しいものと考える(もちろんすべての大学がそうあるべきだと主張するものではない)。
 当然、専門学校など非大学の高等教育機関と、大学との垣根は低くならざるを得ない。学習成果の等価性を担保する仕組みを構築することが前提だが、短期高等教育機関からの編入学や、職業経験から得た能力の単位認定等も、さらに柔軟に対応していく必要がある。編・転入学が一般化することは、一旦地元の短大・専門学校を経て、大都市圏の大学に進学することを可能にするなど、「アクセス」面での貢献も期待できる。こうした柔軟な高等教育システムのあり方は、高校卒業直後の進学者の実態に対応するだけでなく、実は社会人学生や留学生にとっても学びやすい仕組みだと気づくだろう。18歳中心主義からの脱却とは、より多くの国民が各人の人生設計に応じて、必要な時に適切な高等教育機会を享受できるような社会の構築を目指すことにその本質がある。そうした社会が実現することを期待して本連載を終えたい。




[news]

前の記事 | 次の記事