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第89回 京都大学 第27代総長 湊 長博氏

2022/03/23

〝原点回帰〞し、理想の大学像を追究する
京都大学 第27代総長 湊 長博氏




 京都大学(京都市)は、令和4年に創立125周年を迎える。教育機関としての役割はもちろん、日本を代表する研究機関としての期待も大きく、これまでにもノーベル賞をはじめとする世界的な賞の受賞者を数多く輩出している。
 第27代総長の湊長博氏に、これまでの大学教育を振り返っていただくと共に、京都大学が目指すビジョン、そして、これからの大学教育の在り方について聞いた。




若者の興味を引き出す教育
――令和4年、京都大学は、創立125周年を迎えます。
 125周年を迎える上で、本学が掲げているのが〝原点回帰〞です。本学の創立は明治30(1897)年。本学は2番目の帝国大学として誕生し、それ以前の帝国大学は、現在の東京大学の一大学のみという状況でした。
 当時は、官僚や高等技術者、政治家などの育成が目的で、リベラルアーツやヒューマニティの醸成が主軸であり、いわゆる研究は民間企業が多くを担っていました。
 大学が研究機関としての機能を期待されるようになったのは、現在の東京大学の前身、旧帝国大学の創立から10〜20年にかけてのことです。ちょうどその頃、ヨーロッパやアメリカの大学も変化の過渡期にあり、大学の主たる機能として「研究」が注目されるようになりました。
 ごく簡単に言えば、オリジナルで何かを発見したり、作り出したりなど、社会をより良い方向に導く知的な役割を大学が担うべきだという時代となったのです。そうした潮流から新たにつくられたのが、京都帝国大学でした。
 本学は、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが掲げた、研究に主軸を置いた教育理念に基づき設立されました。当時は座学というよりは、教授の周りに学生が集まり、議論を交わしながら講義を進めたと聞いています。東京帝国大学が時の政府と深い関係性を持っていたのに対し、京都帝国大学はむしろ自主性の高い独立した校風で知られました。
 そうした当時から現在に至るまで、一時期、座学が中心となるような、半ばマスプロ教育的要素が強くなりかけた時期もありましたが、最近は、少人数のゼミナール方式に戻し、平成10年度には「ポケット・ゼミ」として開講。現在は、「ILASセミナー」として、入学初年度から大学における勉学の視野を広げることを目的に、少人数ゼミナールを開講しています。

――少人数だからこそ、自己表現力の醸成にもつながりそうです。
 大教室に集まった多数の学生に対して教員が一方的に講義を行うのであれば、日常のゼミになりかねませんが、15人程度であれば、自分の考えを発表したり、議論を交わしたりしていく中で、自分の存在が明らかになってきます。そうしたプレッシャーを乗り越えることが学問の上ではとても重要です。
 社会に進出すれば、外国人材と交流する機会も少なくないでしょう。そうした時に、英語力もやはり重要になってくる。本学の場合、一学年に3000人程度も在籍しているため容易ではありませんが、学生一人ひとりのことを考えた教育体制を整えていく一手段として、教員の増員も積極的に考えています。

――日本の大学生の勉強不足が指摘されています。
 そうした客観的データがあるということは聞いています。一つの要因として考えられるのは、おもしろいと思える教育を提供できていないのではないか。単位数などに拘泥するあまり、教育する側の思い入れやその大切さが希薄になっているおそれがあります。若者は興味が惹かれることでなければ学びにくい。だからこそ、若者の興味を引き出すような教育を提供していく必要があります。
 例えば、以前の本学では、第一線で活躍中の著名な有識者・研究者たちが登壇し、1・2年次を教えていました。このように自分が知っている有名な人物から直接学べる環境があるという何気ないきっかけが学問のおもしろさの気づきを与えます。
 実は、私も全学共通科目(教養・共通教育)の「生物学のフロンティア」で一年に一度だけ教鞭を執っています。私に限らず登壇者は、90分という限られた時間の中で、若者に自分の研究を分かりやすく伝える必要がありますから、工夫せざるを得ません。その内容や訴求力次第で若者の心をつかむことができます。興味を持った若者は、それをきっかけに、自らが主体となってどんどんと調べていくでしょう。通り一遍の画一的な教育では若者は決してついてきません。
 若者の学習意欲を掻き立てるには、教える側の努力が欠かせません。教員と学生の間で円滑なコミュニケーションが行われることで、より良い循環が生まれることを期待しています。

――これからの大学が目指すべきビジョンについてうかがえますか。
 今後、グローバル化がより進展した地球社会で日本の大学が競合していくべきは、海外大学だけにとどまらず、むしろ、「MOOC(Massive Open Online Courses)」ではないかと考えることもあります。もともと、アメリカのスタンフォード大学などの取り組みから波及してきたこの仕組みの中では、世界中の人がオンライン上でさまざまな講義を受けることが可能となりました。優れた内容のものが多く、テクノロジーが発展して、質疑応答ができるものも増えてきているようです。
 もちろん、MOOCとは異なる形で、単に情報を提供するだけにとどまらず、教員と共に考え、議論を交わしながら学べる姿の構築が理想です。実現できれば、教員と学生の対話の応酬の中で、時に方向性がズレてしまうようなことが仮にあったとしても、そうした過程が興味深いものと映り、新たな発見につながる可能性があります。学生だけではなく、教員にとっての学びにもつながるはずです。オンデマンド方式で学生一人ひとりにフィットするような教育を提供することができれば、MOOCをも超えるような仕組みになるのではないかと考えています。


学生ファーストの環境整備
――学修環境の整備に関する取り組みを教えてください。
❶ILASセミナー
 「ILASセミナー」は、主に1年次を対象に、各教員が自身の研究などさまざまな分野を提示し、これを見た学生が、興味のある講義を選択・受講します。
 学生は、自分が選択した講義に立つ教授のもとで議論を交わしながら、勉強を進めていくというスタイルが定着しています。
 こうしたスタイルをより一層広げて座学から移行していき、教員と学生が考えや意見を交わしながら学びを深められる機会を増やすことを目指しています。

❷自己表現のための〝語学〞
 現在、本学では英語教科において8単位を必修に設定していますが、果たして本当にそれらは必要な科目なのかということは常に議論しています。それというのも、本学の英語教育が高校の英語教育の延長線上にとどまっているのではないかという懸念があるからです。だからなのでしょう、「英文学」の講義なのか、「英語」自体の講義なのかが分かりにくくなっている。私が、大学で扱う「語学」はあくまでコミュニケーションの手段であり、自分の意見を伝えたり、議論を交わしたりするためのツールとしての存在であると考えているのは、そうした理由からです。
 本学に入学してきた学生は、教科としての英語は優秀な人が多いのですが、その一方、自分の意見を述べるためのコミュニケーションの手段となる英語力はまだまだ不足しているように感じます。英語を駆使して自己表現する機会が圧倒的に不足しているのでしょう。こうした現状の打破を目指しています。

❸リベラルアーツの見直し
 教養教育の在り方に少なからず危機感を覚えています。見直す必要があるのではないか。これまでは、例えば人文科学系で何単位、自然科学系で何単位、社会科学系で何単位など、数に縛られ過ぎていたように思います。そうした状況を打開すべく「CAP制」を導入しました。具体的には各学期に履修する科目の単位数の上限を定めることで、個別科目の学修時間を確保し、課題レポートや定期試験の準備に集中できる体制を整備しなければならないようにしました。
 リベラルアーツを身につける場でなければならないにも関わらず、現在は形式的なものになり下がってしまい、学問間の関連性等を無視してバラバラに選択するという状況に陥っている懸念があります。端的に言って、形骸化しています。本来のリベラルアーツは、学生の志向に応じてまとまった形でオーダーメイド式に、広く選択できるものであるべきだというのが持論です。
 もちろん、私たち大学人が反省すべきところもあります。一つには、卒業に必要な単位が多過ぎるのではないか。文部科学省では、卒業に必要な最低単位を124単位と定めています。本学の場合、学部により異なりますが、140〜150単位を修得する学生が多い。これなども、修得単位数は多ければ多いほど良いという教員側の思い込みがあるのではないか。卒業要件単位数が多過ぎるがゆえに、学生が単位集めに走らざるを得なくなる現状があるのではないかと危惧しています。
 卒業要件単位数を減らし、なるべく学生が自由に自分の興味のある分野の学びを深める機会を確保できるカリキュラムを編成するのが目下の目標です。
 こうした仕組みは少しずつ変化してきてはいますが、全学的になじませるにはもう少し時間がかかりそうです。

❹転学部の受け入れ
 転学部の受け入れにも柔軟に対応しています。大学進学後に、籍を置く学部の学びが合わないと感じたり進路を変更したいと考えたりする学生もいるでしょう。そうしたケースでは、かつては転学部する学生がいましたが、最近は無理して卒業まで頑張るという者が少なくないようです。
 例えば、医学部に入学したものの、2年ほど学ぶと自分には向いていないと自覚する学生が数人現れてきます。そうだとすれば、無理して6年間学ばせるのではなく、他学部に転じる道を用意してあげるべきなのではないのか。厳しい受験を突破して得られた学生生活を無理して過ごさせるのではなく、途中で道を変える手段を用意し、これを示すことで、興味に応じた学修をあきらめることなく求める学問を自由に追究できる仕組みを確立させ、フレキシブルに対応していきます。学生がもっと自由に動けるようにしたいのです。
 「人生100年時代」が喧伝されますが、これからの時代は失敗を恐れるのではなく、挑戦してダメだったら別の道を進めば良いという価値観を定着させたいのです。高校時代の進路選択でその後のすべての人生が決まってしまうなんてことはありません。より柔軟に、しなやかに考えてみてください。


研究モチベーションを高める
――研究大学として、教員や研究者育成にどのように取り組まれていますか。
 研究大学のレベルは、端的に教員の研究力に直結します。魅力的な教員がどれだけ在籍しているのか、研究力のある教員がどれだけいるのかが重要です。
 それでは、そうした教員を擁するためには、何をするべきなのか。一つは、例えば、競争力のある海外大学などの外部機関から優秀な教員を集めるという方法。しかし現実的には、日本の大学は予算の関係等で難しいのが現状です。
 そうだとすれば、一体どのような対応ができるのかを考えると、日本の研究者が研究しやすい環境を整備し、そして好条件を示すのが最も効率的だと考えています。日本の研究費は、世界的には到底恵まれているとは言えません。そうした状況でより重要となるのは研究者が研究に集中できる時間と環境を担保することです。しかし、残念ながら、定員の削減を余儀なくされるのに加えて、教育や事務処理などが増大しているために、研究に集中できないというのが日本の現状です。実際にアンケート調査では、「研究時間がない」ことに困っている研究者が最も多いことが分かりました。
 研究とは、その後の一手、次のアプローチをどうするべきかなどを考えることも含まれますから、本来は想定以上に膨大な時間が必要となります。こうした研究時間を確保し、捻出するには、それら研究者の研究以外の教育活動や事務作業等の負担を軽減する必要があり、その部分を代行してくれる人材の確保―人的支援が不可欠です。文部科学省が主導する形の整備事業である研究マネジメント人材――URA(University Research Administrator)の役割がまさにそれで、本学でも「学術研究支援室(KURA)」を設置し、基本的に博士号を取得したURAが50人ほど在籍しています。研究の何たるかを理解した人材ですから、研究者も安心してURAのサポートを受けながら、研究に集中することができています。こうした人材の育成や定着、増員が喫緊の課題となっています。

――研究における施設支援についてはいかがですか。
 本学が現在重点的に取り組んでいるのが、コアファシリティの強化です。最先端の研究活動を進めるには、最新の機器や機材・機械類が欠かせません。備品類などを含む各種施設・設備の物的資産を集約した大型施設を設置することで、研究者が気軽に利用でき、また技術者が常駐することで、技術指導も受けられたり、相談に応じてくれたりする環境を実現する必要があります。
 日本では、トップ5%に分類されるような、いわゆるハイクオリティな学術論文の数が減少してきていると言われますが、その実態としては個別の優秀な論文が多いにも関わらず、例えば最終段階でゲノム解析等を求められたときに、対応し切れないというケースが少なくないようです。そこで止まってしまうという事態を何とか回避できないか。これなども、コアファシリティの整備により、クリアできるようになるはずです。アメリカやヨーロッパのメジャーな研究機関ではこうした体制が整備されており、例えば、ハーバード大学では生物関係だけでも20カ所程度のセンターがあり、その内容も顕微鏡や遺伝子関係、あるいは動物関係など、細分化されています。こうしたハードとソフトの両面で支援が待望されています。

――研究モチベーションの低下も指摘されています。
 残念なことに、日本の場合、そもそも研究に対するモチベーションがそれほど高くない傾向があります。それが、日本社会における博士号の評価にもつながっているような気がしてならない。なぜそうなってしまうのか。若い研究者の立場に立てば「博士号を取得するメリット」が感じられないのではないか。実際、若手に向けたインセンティブが低いことも事実です。
 こうした環境では、研究の世界に飛び込む意欲がそがれてしまいます。例えば、大学院を修了し学位を取得した後の道筋をいくつか用意するなど、最低限キャリアパスを明確にする必要があります。研究者を目指すなら、ポストドクターから助教などを経て、テニュアとなるようなイメージです。
 研究者を志す者にとっては競争的ではありますが、目指すべき道は頑張った者にしか見えてこないというのが、海外ではごく一般的です。しかし、日本ではまだその段階には達していません。私はこうした仕組みの改革を常に訴え方策を考え続けています。
 その第一段階として重要なのは、人件費の比重を重くすることではないでしょうか。現状、研究といえば、試薬や機械等に重きが置かれがちですが、最も大切なのは人材です。ポスドク時代に、研究を進めるのと同時に独立研究者のプロセスも学び、経験を積む中でやがて独立していく。そうした流れを構築するべきでしょう。一つの大学だけが構築するには効果が限定的にならざるを得ませんが、できることはやっていきたいのです。
 そこで本学では、「白眉プロジェクト」というものに取り組んでいます。国籍を問わず、博士の学位を有する方、あるいは博士の学位を取得した方と同等以上の学術研究力を有する方であれば誰でも応募が可能なプロジェクトです。幸いにも世界中から支持を頂戴していて、倍率は20倍超と、世界からさまざまな背景を持つ方々の応募があります。こうした取り組みをどんどん広げていきたい。日本の研究力を強化するべく良い人材を育成する一環として、プロセスを明確にするシステムの構築を全体に広めていくことで、若い研究者の研究に対するモチベーションを高め、社会的なメリットや評価体制の整備を目指しています。
 しかし、こうした体制構築は大学だけでなく、企業のみなさまにもご協力いただきたい。企業側が優秀な人材を採用できるのに比べて、研究者は待遇の関係で敬遠されてしまいがちです。彼ら・彼女らは研究者としてトレーニングを積んできているのですから、相応の評価をお願いしたいのです。研究に対する仕組みや評価を厚くすることが、結果として日本社会の厚みを増すことにつながるのではないかと期待しています。
 押し出していきたい特定の研究だけに研究費を注ぎ込むのではなく、私たちが想像できないようなマイノリティな研究に心血を注ぐ方が数多くいらっしゃいますから、研究の多様性を受容し、保持していくことも大学の責務であると考えています。


人類のための知見を残す研究大学へ
――総長就任時に掲げた「基本方針」を進めていく中で新たに見えてきた課題はありますか。
 本学が注力する取り組みの一つに「男女共同参画」があります。それというのも女性教員の数が他の国立大学と比較して多いとは言えないからです。その原因を追究していくと、バイアスがあることが見えてきました。例えば、本学は理工系分野に強みを持っていますが、「理工系=男性の学問」という偏った思考が根強い一面もあります。意図的に女性を遠ざけているわけではありませんが、アンコンシャスバイアスによって女性が敬遠する学問となってしまっているのが実情です。
 バイアスの効果的な解消には、女性に対する支援策を講じる必要があります。家庭運営や育児など、女性に多くの負荷がかかりがちな生活環境を、女性研究者がキャリアを積む上で必要なサポートを提供することで支えていきたい。場合によってはアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)が必要となるでしょう。残念ながら、女性研究者に良いポジションを与えることに対して不公平を訴える人がいるのは事実ですが、これはいままでこうした問題と向き合わずに放置してきてしまったからです。そのために、2027年度までに女性教員の比率を2割に引き上げるという具体的な数値目標を掲げ、必達を目指しています。

――創立125周年を迎える上で、貴学が目指す新たなビジョンをお示しください。
 国が掲げる「強い研究大学をつくりましょう」というビジョンに、私たち国立大学もベクトルを合わせています。世界に対して日本はこれまで、「独創性」で競合してきました。
 現代社会は、「イノベーション(革新)」にばかり注目しているようですが、本来は「インベンション(発明)」が先に来るべきというのが持論です。例えば、量子コンピュータを見てみましょう。量子力学において、何十年間も費やして量子コンピュータが発明されましたが、新たな発明がまた別の何かに展開し、また新たな発明が生まれる。こうした流れを途絶えさせないことが重要なのです。社会発展や経済成長に直接資する研究ばかりが重視されがちで、もちろんそれらも重要ではありますが、研究者としてより大切なのはインベンティブな新しいものを発見し、興味や関心に従った研究を究めていくことです。興味が惹かれるものに導かれることは、やがて思いもよらない応用に結びつく可能性が高まっていくことにつながります。いうなれば「発明が必要の母」――。インベンティブなことに取り組むためには好奇心が必要ですが、そこから想像を超える技術が生まれ、そのようになって初めて本当のイノベーションと言えるのだと思います。
 大学や各研究者が目指すべきは「人類のためにどれだけの知見を残すことができるのか」ということに尽きますが、一口に言っても、5年間で成果を出すというのは、容易ではありません。むしろ研究は「結果的に15年、20年以上かかるかもしれない」というような領域です。研究にはどちらのスタンスも必要で、新しいものやコンセプトも重視し、そうしたものに興味を抱く研究者をしっかりと育成し、揃えていきたい。そうした人たちができる限り挫折しない形をつくり上げるのが京都大学らしいやり方ではないかと考えています。


大学で見つける本当の自分
――貴学の学生に、卒業後どのような活躍を期待していますか。
 本学の卒業生全員が研究者を目指しているわけではありません。むしろ研究者になるのはごく一部です。多くは、一般企業等に就職します。彼ら・彼女らに伝えたいのは、善良なシティズン、つまり市民になっていただきたいということです。具体的には、自分がこの社会を構成する一員であるという意識を明確に持つと同時に、クリティカルシンキングを身につけて欲しい。感情や主観に流されることなく、物事を中立的な立場で分析しながらこれを自分で判断し、自己主張をするだけではなくて、他者と協調しながら市民としての自己を確立することが、どのような職業に就くにしても大切なことだと思います。
 本学の「日立京大ラボ」では、企業と学生などが日常的に議論を交わしています。日立製作所に入社した卒業生の様子を聞いてみると、「答えがない問題に挑戦することをいとわない人が多い」と評価されます。与えられたことを単純にこなすのではなく、チャレンジしたがる人材が多いというのです。そうしたチャレンジ精神は研究者として大切ですが、研究者に限らず、一般企業への就職であっても何ら変わりません。自分の意志でチャレンジしたいという考えを持った〝おもろい〞人材になることを期待しています。
 本学の学生に接していると、どのようなことに対しても前向きにとらえて挑戦している人材が確かに多いように思います。成功してきたと評価される卒業生の多くも多様な分野で活躍し、市民としての責任を果たしたいという強い意識を持った人ばかりです。その意志に従えば結果がどうであれ気にならない。大学としては、そうした人材を途絶えさせることなく社会に送り出していきたいのです。

――貴学への進学を目指す高校生に向けてメッセージをお願いします。
 京都で学ぶことはみなさんにとってプラスに働くことが多いでしょう。京都で起業する人が多いことや文化遺産に恵まれている点など、京都で学ぶ魅力はあげたらキリがありません。何よりもコンパクトなのが良い。だからこそ、多くの人が交錯し、無限のチャンスが身近に潜んでいます。そうした京都で過ごす4年間はとても貴重なものとなるはずです。
 また、本学は学生と教員の距離が近いことも魅力です。思いもつかないような研究をしている人がたくさんいますから、新たな発見が満ちあふれているはずです。仮に、大学に進学したのであれば、高校までのことは一度リセットして、興味のある分野を徹底的に学んでみましょう。
 高校生を対象に講演する機会がありますが、私はその際に「高校までのみなさんは、まだ本当の自分ではない。大学で出会った人や学びの題材などにより、ある時突然自分が思いもしないような場面でカチッとはまる。本当の自分が見つかる」ということを伝えるようにしています。私自身がそうでした。その意味では、高校を卒業したら一度弾けてみて、本当の自分を発見するようにしてください。

――進路指導に当たる高校教員に向けて投げかけてください。
 近年は入学試験もパターン化されて、高校の先生方もご苦労されていることかと思います。
 私自身の高校時代を振り返ると、寛容な先生方が少なからずいらっしゃり、なすべきことをなしてさえいれば良いという姿勢で見守ってくださっていました。その当時、ある先生から言われた「揉まれて来い」という言葉がとても印象に残っています。多少無理してでも自分の実力より上を目指して、鍛えられたほうが良いとも、導いていただきました。
 高校と大学では評価の価値観が180度変わります。評価基準がモノサシ化してしまうと、その人自身の将来を縛りつけてしまいかねません。その人自身のキャラクターを見ながら、より良い進路に導いてあげることができればベターですよね。場合によっては、合格ラインギリギリで入学してきた学生が大学進学後に飛躍的に伸びるということも珍しくはありません。
 本学では、さまざまな可能性を発見するために、「特色入試」を設けています。今後、募集人数を増やしていくことも検討しています。例えば、これまでに物理オリンピックでメダルを獲得していたり、興味深い小説を執筆したりする生徒を受け入れてきました。そうして認められることから、若者が自信をつけて、〝おもろい〞人材に育っていくのだと思います。



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