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第4回 「国立大学授業料値上げ検討」問題に際して

2024/07/22

連載 高校生のための大学四方山話

4回「国立大学授業料値上げ検討」問題に際して

村澤 昌崇 


緊急寄稿として、先週の予告に反して今回から2回程度、国立大学の授業料値上げ問題にふれたい。国立大学協会は令和667日に、国立大の危機的な財務状況に対する国民への理解を求める声明を発表し、記者会見では国立大の授業料値上げについて「大学の裁量に任せるほかない」とした。また東京大学が年間10万円の授業料値上げを検討していることが表面化し、それに続くかのように広島大学や熊本大学でも授業料値上げの検討が表明された。高等教育の研究者としては、さすがにこの問題を避けることはできそうにないため、賛否は別としていくつか議論する材料を提供したい。
 まず議論の前提として、国立大の経営を支える収入源を理解する必要がある。それは主として運営費交付金=税金からの拠出、授業料収入、寄付・産学連携等による収入の三つがあり、法人化以降多角化したとはいえ、税が依然として大きなシェアを占める。授業料収入の総収入に占める割合は大学によって異なり、東大の場合は5%程度であるが、地方国立大だと3割前後を占める場合もある。国大協はこれまで繰り返し国立大の授業料は低廉であることが望ましいことを国に訴えてきたが、国からの運営費交付金が減少し続け、これ以上の増収が見込めないことから、やむなく収入源の拡大を学生や保護者の懐へと切り替えたと見ることもできる。
 とはいえ、国立大の授業料引き上げはいまに始まった話ではない。昭和501975)年から実は漸増して、私立大学授業料との格差を縮めてきた。しかし、およそここ20年間は授業料の値上げが据え置かれてきた。ところが、令和元(2019)年から東京工業大学、東京藝術大学、千葉大学、一橋大学、東京医科歯科大学、東京農工大学が相次いでおよそ10万円の値上げを実施し、そしてつい先日東大も10万円の授業料引き上げ案検討が明るみに出たのだ。
 ただ、東大に関しては、もともと授業料収入は全体の5%に過ぎず、仮に10万円値上げをしてその対象となる入学生に全学生が置き換わったとしても、増収分は単純計算で全収入の1%未満(令和4年度収入決算ベースで099%)であり、苦しいとされる台所の補填としては何とも心許ない。それゆえおそらく10万円の値上げは今後の継続的・段階的な値上げの端緒に過ぎない恐れがある。
 こうした国大協の声明や各大学の対応に対し、すでに各所から反対や批判の声が上がってはいるが、それでもこと東大に限っては、その是非は別として、10万円の値上げなら保護者や受験生から総スカンを食らって定員割れすることは、おそらくないだろう。そもそも東大の学生(学部生に限定)の家庭は日本の一般家庭よりも豊かであり、東大が毎年実施する学生生活実態調査では、家庭の世帯収入が950万円を超える学生が5割を超えている。つまり、10万円の値上げは、中流から富裕層の寡占状態である東大の学生の家庭の状況を念頭に、そうした東大受験層からの批判は覚悟の上で、それだけの競争力とブランド力があると見込んだ価格設定のようにも見える。国立大学全体も、日本学生支援機構による学生生活調査(令和4年度)によれば、学生の家庭の年間平均収入額が国立大では847万円と、私立大(864万円)とほぼ同等であり、高所得者層の子弟を多く受け入れているという現実がある。
 しかし、授業料収入の拡大には責任も伴う。過去30年間の大学改革では、大学に税を投入することの説明責任が問われ続けてきた。しかし、授業料の値上げは、税金投入に対する説明責任以上に、保護者や学生から直接的に大学の教育やサービスについて授業料に見合った価値や質があるのかどうかを問われ得る余地を作ることになる。そこで次回は、大学生が大学教育にどの程度の価値を見い出しているのか、授業料を支払うだけの価値を見い出しているのかについて、アンケート調査を基に探っていくことにする。

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