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第8回 言語と大学と社会の関係
2026/02/10
連載 関係性から考える大学のアレコレ
第8回 言語と大学と社会の関係
佐藤 万知
「関係性から考える大学のアレコレ」ということで、今回は言語と大学と社会との関係について考える。
日本では、どの教育段階であっても日本語で学ぶことが当たり前である。ところが世界を見渡すと、母国語で高等教育を受けることが可能な国は多くはない。例えばフランス語を教授言語とするカメルーンやセネガル、英語を用いるフィリピンのように、植民地化された歴史的背景や多言語国家という事情から、母国語とは異なる欧米言語が教授言語として用いられている場合もある。このような状況はグローバルな時代において、メリットのように捉えられるかもしれない。
しかし、高等教育の使用言語が母国語ではない、ということは、高等教育で扱われる知へのアクセスが限定的になることを意味する。つまり、その言語ができないと知にふれることも用いることもできない、ということになる。例えば、昔、医師はドイツ語でカルテを書いていた。それはつまり、ドイツ語の医学用語が分からないと診断を理解することができないことを意味した。近年は医者・看護師・理学療法士・ソーシャルワーカーなどさまざまな専門職がチームとなって医療を提供するため、カルテも日本語で書かれるようになっている。
このように言語によって知へのアクセスが限定されることを課題として、国家レベルでその対応に取り組んでいる事例としてマレーシアについて紹介する。
マレーシアは、マレー系・中華系・インド系民族によって構成される多民族国家であり、英国植民地下では、各民族がそれぞれの言語を用いた学校を持っていた。しかし、エリート層の育成は英語でなされ、大学も英語を教授言語としていた。最大のジレンマは、世界の共通言語になりつつあった英語とマレーを中心とする国家統合政策の関係にあった。すなわち、高等教育や行政で用いられていた英語を廃止し、マレー語に置き換えていくのか、それとも英語を公用語として使い続けるのか。その場合、国語としてのマレー語の地位は実質形骸化することが予想された。結局、独立当初は両言語を同じ公用語として扱い、少しずつマレー語を普及していくという手段が用いられたが、1969年に起きた民族紛争以降、マレーを中心とする国家開発政策にシフトし、大学における教授言語もマレー語に変更された。
そこで70年に設立されたのが、マレーシア国立大学(UKM)だ。UKMはマレー語の高度化をミッションの一つとし、マレー語を教授言語とする。マレー語が英語と同じように社会で活用できるよう行政用語や専門用語をマレー語に翻訳、流通させるというミッションだった。従って、UKMの教員の重要な職務の一つは、学術用語のマレー語への翻訳およびマレー語による研究発信であった。
その成果もあり、人文社会科学系については、マレー語での学術書や研究論文も多く出版され、母国語で教育研究に取り組むことが可能になっている。しかし、工学や自然科学系は学問の発展速度が速いため、テキスト等は英語で書かれたものがメインとならざるを得ない。そこで、UKMでこれらの分野を学ぶ学生は、英語で学び、論文を書いた上で、マレー語に翻訳をする、という作業に取り組む。そのようなステップを踏まなければならないことについて、工学部の数人の学生に聞いたところ、「多少は面倒だけれども、地方に行けばマレー語しか通じない中、自分の身につけた専門性を使おうと思ったら、やはり母国語で説明やコミュニケーションができないと困るから、意味がないとは思わない」「大学で学んでいることを社会に還元するのは当たり前」という答えが返ってきた。
言語は、大学と社会をつなぐ仕組みの一つである。よって、母国語で教育・研究活動ができるということは、学術知を社会に開放し、大学が持つ機能を社会が活用する上で重要なことである。
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