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どうする?基礎学力向上

2007/12/11

ちょっと長いですが、指導要領改訂に関するコラムです。

PISA調査の結果などをみると、「学力低下」論争が激しくなりそうですね。

「ゆとり教育」の失敗のように語られることも少なくありませんが、それを議論するよりも、これから求められる指導の形を考える方が建設的だといえるでしょう。

先日、10月に行われた教育講演会に出席したのですが、そこで審議会委員でもある市川伸一・東京大学大学院教授が、「教えて学ばせる」授業法を推進しておられました。

最近の日本の教育は、知識の詰め込みへの批判から、「教える」ことへのためらいがある、と市川氏は指摘しています。「教える」ことの替わりに、「考えさせる」ことがもてはやされるようになった中で、「考えさせる授業は、塾や独学ですでに予習して『知っている』状態の生徒と、まったくついていけず、雲の上の会話のように聞いている生徒に分かれるだけで、本当に授業場面で考えているとは言えない」と。

教え込んで覚えさせて……、というのが「受験戦争」とも呼ばれた時代の教育でした。しかし、それが批判の的になったからといって「教えること」を否定するのは間違いなのだ、と感じました。考えるのも、活用するのも、元になる知識がなければいけないわけです。

そこで、授業で必要な基本知識をまず教え、その知識を使って、教科書を読むだけではわからない、「見る」「聞く」「感じる」「考える」を授業でするべきだ、というのが、市川氏が推奨する「教えて考える授業」。

例えば理科の実験であれば、教科書に載っている実験をする際に、「この実験の結果はどうなるか考えてみよう」などと言われるよりも、予習している生徒もしていない生徒も「結果はこうなります」と、同じ知識を持った上で、どんな風に試薬が反応するか、どんな臭いがするかなどを、自分で感じ取るといったやり方です。

ただし、こうした「感じ、考える」ことと「知識を学ぶ」ことがバラバラに行われては意味がないですよね。市川氏は「これらの2つのサイクルをバランス良く組み入れることで、学習意欲や探究意識を育てることになります」と説明していましたが、どの程度の先生が、そういった授業を実践できるのでしょうか。

「教えて考えさせる」それ自体は大賛成ですが、それは、生徒に対してだけのことではないですよね。

先生達に対しても、文科省が提示するような抽象論だけで良いはずがありません。どんな方法がいいのか、「まず教える」ことが必要なのではなかろうか…と強く感じた次第です。

(はっち)

 

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