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吉川徹(きっかわ とおる)

大阪大学准教授。専門は計量社会学。著書に『学歴分断社会』(筑摩書房)、『学歴と格差・不平等』(東大出版会)など

第1回 変わり行く大学の「価値」

2010/04/01

吉川 徹
(きっかわ・とおる)。大阪大学准教授。専門は、計量社会学。著書に『学歴分断社会』(筑摩書房)、『学歴と格差・不平等』(東大出版会)など




 入学シーズンがやってきた。私は縁あって自分が入学した大学の同じ学部で教鞭をとっているので、若々しい後輩たちと対面する機会がある。親子ほども世代が離れているのだから、自分たちとはさぞかし違っているだろうと思うのだが、じつはそれほどでもない。確かに女子学生が増え、情報化によってキャンパス・ライフは便利になった。だが暮らしぶりや学びの態度に大きな変化はない。入試の仕組みや就職先も以前とほぼ同じ状態が続いている。
 昭和の終わりから現代まで、日本の大学は制度や組織の外形上は安定を保ってきた。しかし学生を受け入れる側にある産業社会をはじめ、大学をとりまく社会環境は大きく変貌している。他方では大学生の学力低下やコミュニケーション能力の欠如、学ぶ意欲・働く意欲の喪失を危惧する識者もいる。日本の大学は、一見しただけでは見定めにくい変化の中にあるといえる。
 この連載では、学歴分断社会という考え方でこの時代変化を捉えていく。これは大卒層と非大卒層の生活がはっきり分かれ、その格差構造が世代を越えて再生産されていく実態を指す言葉である。詳しい仕組みはあらためて説明することとして、今回は、学歴分断社会日本に潜在する変化を二点指摘しよう。
 第一は、大学進学があらゆる高校生にとっての憧れではなくなったということである。四年制大学進学率は、この数年再び漸増傾向にあり、ついに50・2%と18歳人口の過半数に達した。だが、少子化の影響もあって進学希望者数がこの先さらに増えることは予測されておらず、「大学全入時代」が迫っていることが言われる。
 このように半数強のところに進学希望の「天井」があるということは、「だれしも大学に行きたいに決まっている」という昭和の学歴主義の「常識」が、もはや万人に通用するわけではないことを示している。大学生活や大卒学歴に強い興味を示す層と、「脱大学」の価値観をもった層が分断されつつあるのである。「大学全入時代」の進学行動には、学費負担の軽減では解消しきれない、学歴観の二分化に起因する部分がある。
 もうひとつの水面下の変化は、大学が地位上昇を手助けする場ではなくなりつつあるということである。いま親たちの学歴を大卒/非大卒に二分し、子どもの学歴も大学進学/非進学に分けて組み合わせると、四つの親子類型ができあがる。このうち親が非大卒で子どもが大学進学した場合を学歴上昇家族、親も子も大学に行った場合を大卒再生産家族と呼ぼう。
 計量データによって推定すると、昭和の終わりごろの大学キャンパスでは、学歴上昇家族の出身者が7割以上を占めていたことがわかる。かれらの多くは非大卒の親たちの期待を背負い、経済的な支えを受けていた。ところが現在では、大卒再生産家族が7割近くを占め、学歴上昇家族は少数派になっているのだ。いまや多くの大学生とその親たちにとって、大学進学は輝かしい希望への階段ではなく、地位下降を防ぐための必須要件に過ぎない。
 もはや大学キャンパスは万人が夢見る理想郷ではない。では、平成生まれの若者たちの眼前に広がる新しい学歴社会はどのような姿なのか。次号以降ではそのことを考えよう。

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