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吉川徹(きっかわ とおる)

大阪大学准教授。専門は計量社会学。著書に『学歴分断社会』(筑摩書房)、『学歴と格差・不平等』(東大出版会)など

第3回 同窓「リピーター」を考える

2010/07/01

 大卒層の親たちの子が再び大学へ―。そういう大卒再生産家族が今日の大学進学の主流となりつつある。このことは、各大学の生き残り戦略を考える糸口にもなる。
 デフレ不況の中、外食産業や小売業では「リピーター」顧客の確保が安定経営の決め手となるというが、大学経営にも似たようなところがある。我が子が出身大学の同窓というのは、親にとって誇らしいことだが、大学側にとっても嬉しい実績といえる。例えば早稲田大学の校友会は今、四代続けて早稲田卒という家系を探しているという。二世代でも驚きなのに四世代というのは、伝統校ならではの目の付け所である。
 日本の新制大学は、年月をかけてその数を増やしてきた。戦後間もなく全ての地方県に設置された(旧)国立大は、少ない負担で通える高等教育として、地方出身者の学歴上昇を牽引した。その後70年代後半から80年代には私大を地方に誘導する政策がとられ、90年代には各地方の特色を生かした公立大の拡充がなされた。こうして全国津々浦々、だれもが四年制大学に行くことができる、高等教育のユニバーサル・アクセスが実現したのである。
 ところがこうした地方大学の多くが、学生数の減少に喘いでいるという。比較的長い歴史をもつ地方国立大も楽観は許されないようで、厳しい組織評価が導入されている。けれどもこれらの大学の経営戦略を考えるときは、次の点にも目を配るべきではないだろうか。
 地方国立大は、地元からの進学者を多く受け入れてきた。正確な数字は手元にないが、私が知る島根や静岡では、国立大が親たちよりも高い大卒学歴へと進む地元の高校生たちに身近なモデルケースを提供し、加えて医療、教育、工科系などの専門職の人材を地域に供給していた。地域社会の高学歴化を加熱する原動力となっていたのである。
 しかし少子高齢化が進む今、かつて主流であった地元の非大卒家庭からの学生の「掘り起こし」に期待することは難しい。むしろ、大卒再生産家族をいかに呼び込むかが、各大学の大学経営の課題となっていくだろう。そのとき地方国立大の頼みの綱は、長い年月をかけて地域に根ざした大学のブランド力である。設立から60年の歴史は、親・子・孫の三世代に相当するわけだから十分に長いといえる。都市部の名門伝統校の場合とは少し違う意味合いになるが、これらの大学でも同窓「リピーター」の数を把握してみると、ブランド力の自己評価の材料になるのではないだろうか。
 ただし私は、その結果について楽観していない。なぜならば地方国立大卒の親たちは、わが子の学校歴にもう一段のステップアップを目指しがちなので、同窓「リピーター」というケースは多くはないと予測するからである。かりにそうだとすれば、これらの大学は学歴上昇の中継地点として過渡的に利用されただけで、大卒再生産の時代にはその役割を失ってしまうおそれがある。
 かつて女子に手軽な高等教育を供給した短大は、高学歴化を牽引する役割を終えた後は四大化、共学化していった。同じように地方大学も、高学歴化の原動力という古い役割に安住するのではなく、新しい戦略を模索する必要があるだろう。

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