トップページ > 連載 学歴分断社会の大学像 > 第2回 大卒再生産の時代

前の記事 | 次の記事

吉川徹(きっかわ とおる)

大阪大学准教授。専門は計量社会学。著書に『学歴分断社会』(筑摩書房)、『学歴と格差・不平等』(東大出版会)など

第2回 大卒再生産の時代

2010/06/01

 今年度の大学生の就職活動は、企業の新規採用手控えから一段と厳しさを増している。そんな中、我が子の「就活」を様々なかたちで支援する保護者が増えているという。他方では、新入生の保護者に対して、キャンパス・ライフや単位のとり方などについて懇切丁寧に説明し始めた大学もある。
 大学生活から就職活動に至るまで、大学生の親たちが仔細に関与する風潮については、「近頃の親は子離れができていない」「いや、若者を取り巻く社会情勢がそれだけ厳しいのだ」などいろいろな見方ができる。だがこうした現象の背景には、そもそも親たちが、大卒学歴の意味や効能をよく理解しているということがある。
 日本の短大¥大学進学率は、半世紀前はわずか10%に過ぎなかったが、高度経済成長を経た70年代中盤にはそれが4倍になった。戦後日本は目覚しい「高学歴化」社会だったのである。
 しかしその後の四半世紀の進学率をみると、はじめのうちは40%で横ばい状態が続き、最近になって緩やかに伸びて50%を越えたに過ぎない。この点で平成日本は、「高学歴持続」社会だとみることができる。ただし、この高原状態の継続の間に、社会の水面下では「大学」の意味を揺るがせる大きな変化が進行した。
 それは、親世代がすっかり高学歴化したということである。昭和の日本ではだれもが高学歴に価値を認め、子どもたちはみな親が経験したことのない高い学校段階へと進んで行った。これを教育社会学者の苅谷剛彦氏は大衆教育社会と名付けた。
 けれども今、日本の子育て世帯の親をみると、その半数近くはすでに自らが短大や大学を経験しており、これは世界でも類例が少ないほどに高い水準である。この高学歴の親たちは、我が子を同じ学歴水準に進ませようと手を尽くす。教育社会学で再生産と呼ばれるこの力は、「お受験」から「親の就活」までの現代日本に特徴的な教育現象の原動力となっている。
 大学生の保護者では7割ほどが、自らの経験として大学ブランド名や偏差値に一喜一憂し、大学生活を謳歌し、新卒就職から現在まで大卒学歴を自分自身で使ってきた経験をもっている。初めて経験する子どもたち以上に、親たちが「大学というもの」を熟知しているのである。
 その反面、親子二代続けて学力、受験、大学進学に関心を示さない家庭も少なくない。そうでなければ、大学進学率がかつてのように伸びないことのつじつまがあわなくなる。このように大卒の家族、非大卒の家族がそれぞれ再生産している状態を、苅谷氏はインセンティブ・ディバイド(意欲分断)社会と呼び、私は学歴分断社会と呼んでいる。
 政権交代以後、大学進学機会について学費や学校外教育投資など家庭の経済的な問題を中心に考える「教育格差」論を今よく耳にするようになった。政策を考える上では経済格差は重要なことだが、例えば「子ども手当」を各世帯に支給することが、数年後に非大卒学歴の世代間連鎖を断ち切ることにつながる保証はどこにもない。私はむしろ、この問題の核心にあるのは経済格差ではなく、親の学校経験の格差ではないかと見ている。そうだとすれば問題はもっと根深く、深刻なものなのである。

前の記事 | 次の記事