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吉川徹(きっかわ とおる)

大阪大学准教授。専門は計量社会学。著書に『学歴分断社会』(筑摩書房)、『学歴と格差・不平等』(東大出版会)など

第4回 非進学層にこそ人生設計を

2010/09/08

 「学歴」と聞いたとき、世間では大学名や大学ランクを思い浮かべる人が多いようだ。だがこれらは「学校歴」と呼ばれているもので、研究者が扱う学歴の本質ではない。私も他人の出身大学が気にならないわけではないが、今の日本では大卒と非大卒の人生の歩みの違いのほうが深刻で切実である。
 教育経済学者の荒井一博氏のデータ分析によると、20代前半では高卒層と大卒層の年収の格差は22万円ほどに過ぎないが、40代前半では246万円へと拡大し、定年前には300万円を越えるという。他にも非正規雇用者の7~8割が高卒層だというデータがあるし、不況のあおりで雇用を失うリスクが高いのは高卒層なのに、景気が上向いたときに先に恩恵を受けるのは大卒層だという理不尽な実態もある。そのためか若い高卒層の7割が自分を「下流」だと位置づけている。かれらには、「学歴」と聞いて卒業した学校名を思い浮かべるような暢気さなどない。まさに学歴分断社会というわけだ。
 だからこそ学歴を手にする瞬間が重要になる。ではそれはいつなのかを考えてみると、日本人のほぼ8割の最終学歴が高卒時に水路づけられる実態に気がつく。ところが、この事実は高校生に対して十分に説明されていない。大人たちはむしろ「若いうちは大きな夢をもって突き進んで欲しい」「何度も悩んで、やり直しながら自分だけの人生を探せばいい」などという耳障りのいいアドバイスを好む。加えて日本の成人年齢は、高卒2年後という学校段階でみると中途半端なところに設定されている。結果的に高卒時が人生の岐路だという自覚は曖昧化して、職業人としての大切な決断は先送りにされる。
 今、少なからぬ若者たちがこうして「人生の切符」を渡されて、大人の格差社会への改札を不用意に抜けていく。このことについて教育社会学者の本田由紀氏は学校における「教育の職業的意義」の欠如を問題視する。職業人としての能力や気構えを学校教育でしっかり教えなければ、今の若者たちは厳しい雇用情勢を生き抜くことはできないというのである。
 この考えには私も同意する。もっとも全員が「生きる力」として職業人としての気構えを学ぶのでは、学歴と格差が直結する状況は改善しない。大学短大への進学者は、社会人になるまでに数年の時間的余裕がある上に、高い学歴を繰り返し履歴書に書くことになるのだから、高卒時に職業人としての見通しや能力に欠けていても放っておけばよい。これに対し、高卒後ただちに社会に出たり、就職を前提に専門学校で職業スキルを身につけたりする若者たちには、職業的な将来設計は必須である。非進学層にこそ「教育の職業的意義」の確保が期待されるのである。
 昭和の若者たちを振り返れば、勤労青年は堅実で辛抱強いが、大学生は遊んでばかりでろくに勉強もしないというのがお決まりの評価だった。だが今は少し違う。高卒後に、お気楽?な大学生にはならず、かと言って勤労青年とも呼び難い状態になる若者たちが数多くいる。
 Not in Employment, Education or Training―。ニートという言葉は、学歴分断社会における「教育の職業的意義」の欠如が生み出す新しい集団を当意即妙に表現している。

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