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吉川徹(きっかわ とおる)

大阪大学准教授。専門は計量社会学。著書に『学歴分断社会』(筑摩書房)、『学歴と格差・不平等』(東大出版会)など

第5回 重学歴の負担と軽学歴の価値

2010/11/09

 大卒の人生にメリットが多いことは明らかなのに、進学しない高校生がなお半数近くもいる。これは学費の個人負担額がずば抜けて高い日本で、涙を呑んで進学を断念している若者たちがいるからに違いない。貧困社会が叫ばれる中、こうした見方が自明のこととされている。
 実際、複数の東大教授が「経済的な負担さえ解消してやれば、だれだって大学に(可能なら東大に?)入りたいはずだ」という前提に立って、学費負担軽減の政策提言をしている。けれども識者・政治家・中央官僚という大卒エリート側が、大卒学歴至上主義の価値観を押し付けたうえで、教育格差をお金の問題として解決しようとする考え方に偏りはないだろうか。ここは視野を広くもって冷静に考えるべき局面だと思う。
 私は、教育費の家計負担を減らせば、大半の若者が喜々として大学をめざすだろうと単純に考えてはいない。希望者全入時代の到来がいわれている今、大学進学者はもはや全員参加の競争の「勝ち組」ではなく、学歴ゲームの参加希望者にすぎなくなっている。大卒学歴至上主義の価値観を持たず、18歳で学びの段階を終え、社会へ出ようとする若者たちの決断には、それなりに強い理由があるのではないだろうか。
 それに、もし大学進学率80%超などとなれば、産業界は大きな構造転換を余儀なくされる。この点を考えると、一定数の高卒層の存在が日本社会を安定的に支えているともいえるわけで、もっと積極的にこの層の人生を考える必要がある。
 学歴や資格を得ることを、「自分に投資する」ということがある。大学入学から卒業までにかかる経済的な「投資」額は確かに大きい。しかもその間に働いていれば得られるはずの賃金を放棄しているわけだから、大卒後は、ただちに高収入の職を得て、30歳過ぎまで中断なく働き続けなければ「初期投資」を回収できない。また大学進学には年数もかかる。受験生時代から就職活動を終えるまでの20歳前後の数年は、人生の中で最も溌剌とした時期である。この間を受験・単位取得・就活に費やしておけば、老後に振り返ったときの生涯賃金が多くなる、という気の長い「投資」話は、高校生にとって魅力的だろうか?大学進学にはメリットは確かに多いが、時間とお金に関してリスクもとることになるのだ。
 だが、本来は望ましさがあやふやなはずの大学進学を、理想の進路とみる風潮があまりにも強く、これが社会の一翼を担う多数の高卒就職層を「低学歴」と見做す状態を生み出してしまっている。けれども12年間の教育年数はOECD平均とほぼ同水準なのだから、絶対的な意味では決して低くなどない。
 そこで進路についての多様な価値観に再考を促すために、大卒層を高学歴ではなく重学歴、非大卒層を低学歴ではなく軽学歴と呼び変えてみてはどうかと私は考えている。
 身動きがとりにくい大学進学ではなく、必要十分な高卒学歴を手にして社会に出る。そういう脱学歴の価値観をもつ若者たちの軽快な生き方も尊重されていいはずだ。もちろんかれらの前向きな選択を実利のあるものにするためには、社会の側からの強力なサポートにより、雇用機会や賃金について、大卒有利の現状を大幅に改善しなければならないが。

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