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第3号(平成21年7月10日発行) アニメーション作家 加藤 久仁生さん

2012/06/04

人の心を動かす作品を作りたい

 

米国アカデミー賞 受賞 アニメーション作家 加藤 久仁夫

 

「つみきのいえ」作者インタビュー

アニメーション作品として、2009年米国アカデミー賞を受賞した「つみきのいえ」。鉛筆を幾重にも重ね、淡い色彩の世界で表現される物語に心打たれた人も多いでしょう。

 世界を感動させたアニメーション作家・加藤久仁生さんは、どのような進路ストーリーを歩んできたのでしょうかー。

 

◆「絵を描いていこう」と自分の生きる道を決定

 幼いころから絵を描くことが好きでした。ずっと描いていきたいという気持ちはありましたが、将来に関しては深く考えていなくて、高校で進路に関する書類もいい加減に書いて提出していたくらいです。それでも、心のどこかで絵に対する思い入れがあって、高校3年生のときに、絵を描くことを仕事にしようと決めたんです。

 

◆大学か専門学校か、悩んだ末に美大進学を決意

 美術系の進学先を探していると、大学や専門学校など、実に多くの学校があって、どこにしようかと決めかねていました。

 そこで、東京にある芸術系大学に通っている従兄弟に相談すると、「大学は4年間あって、都内だと、全国からいろいろな目標を持った人が集まるから、その中にいれば自分がやりたいことが見えてくるはず」と美大進学を勧めてくれました。絵を描くこと以外にはっきりとした目標がなく、幅を広げたいという気持ちもあって、美大受験を決意しました。

 

◆「自分だけの表現」を探した4年間

 いくつか美大を受験しましたが、現役では残念ながら不合格。1年間浪人して、東京にある多摩美術大学に入学しました。

 大学では、自分が考えもしない表現や見せ方で絵を描く人がいて、とても刺激を受けました。周りが、「自分だけの表現」を追求する人たちばかりで、僕も自然と「自分らしい表現」を考えながら作品を作っていましたね。2年生までは、絵画など、平面での表現が多かったのですが、3年生になってアニメーションの授業に出会いました。そこで、自分の描いた絵を動かす面白さに惹かれて、表現方法の一つとして作品に取り入れるようになりました。

 

◆「自分の作品で世に出る」と、アニメーション作りに没頭

 アニメーションの技法を知ってからは、より作品作りに没頭するようになりました。卒業を目前にしても、就職活動を一切せず、制作活動に熱中していました。作品を通じて社会に出たいという思いがあったんだろうと思います。ですから、卒業後は自主制作活動を続けていこうと考えていました。

 

◆突如舞い込んだ社員への誘い

 ある日友人から、「アニメーションのアシスタントスタッフを探している」と、現在の会社(ロボット)を紹介されました。プロの現場を体験するのもいいかなと軽い気持ちでアシスタントとして働き始めたのですが、自分の作品を見てもらったところ気に入って頂き、入社しないかとの話をもらいました。ロボットでは自分自身の企画が採用される道もあったので、最終的にオファーを受けることにしました。

 

◆思うようにいかない制作

 自主映画からプロの現場で働くようになって、さまざまなことに悩むようになりました。自分の表現が見てくれる人に伝わるのか不安になって、「自分はアニメーション作りに向いていない」と考え込んでしまったり…。自分が作りたいものと会社が求めるものとのギャップに悩むようになったり…。それでも、頑張ることができたのは、作り手の気持ちを大切にしてくれる社風があったからです。「つみきのいえ」は、そうした自由な制作環境があったからこそできた作品なんです。

 

◆作りたいのは、見る側を意識した僕なりの作品

 「つみきのいえ」で米国のアカデミー賞という大きな賞を頂きましたが、それを変に意識せず、良いと評価される作品を作っていきたいと思います。僕の仕事では、社会全体を変えることはできませんが、人の心を動かす力は多少なりとも持っているのではないかと思います。今後もアニメーション作家として、見る側を意識した作品を発表していきたいです。

 

■プロフィール

 1977年、鹿児島県出身。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。2001年、株式会社ロボット入社。同社のアニメーションスタジオCAGEに所属。

 

 


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