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第2回 単位制度の実施と標準化

2012/09/04

大学の単位制度を考える

第2回 単位制度の実施と標準化

                    清水 一彦


          単位制度の緩やかな始まり

 単位制度の始まりは比較的緩やかなものであった。ハーバード大学においてすべての学年を通じて選択の自由が与えられることになったのは、選択制導入から15 年後の1884 年であった。

 初期の段階では、コース履修や卒業要件において統一的な量的規定という形で広まっていった。B.A. 学位(学士号)取得の要件では、当初18.4コースと定められた。

 教授要目も、それまでは学年ごとに必修、選択についてそれぞれ週当りの授業回数が提示されていたが、大きくフルコースとハーフコースに分類され、学位要件に合わせた表示の仕方がとられるようになった。

 これより先、ミシガン大学では、1878 年に異なる学位要件が主に量的な測定で与えられ、その統一的な要件は、学士レベルで24 26 のフルコースというものであった。1 フルコースは、1セメスターに週5 回の授業で、それはレシテーションや実験あるいは講義形式が混合されていた。

 同年には、カリキュラムの自由化によって選択制が導入され、4 年以内でも卒業できる制度も導入された。


          システムとしての単位制度の出発

 単位制度にクレジットという概念を初めて導入した大学は定かではないが、少なくともそれは1892 年のミシガン大学の大学案内の中に見出すことができる。

 同大においては、すでに1877 年の大学院修士レベルや翌年の学部レベルでの履修制度を単位制度(credit system)と呼んでいたが、1892 年の大学案内の中で、各コースの後に単位(credit hour)が記載された。B.A. 学位は120 単位を必要とし、1 単位は1 セメスターにレシテーション、実験、講義による週1 回の授業が必要で、しかも満足な学習成果に対して与えられることになっていた。

 ワシントン大学では、1902 年からB.A. 学位の要件が大学案内に記載され、翌年から「クレジット3 単位」がそれぞれのコースリストの頭につけられ、1908 年からはそれが授業科目ごとにつけられることになった。

 平均的な学生の場合、レシテーションや講義の1 時間は、およそ2 時間の準備を必要とし、2 時間の実験は1 時間の準備を必要とすることを想定していた。この考えに立って、同大では1909 年から大学院にも適用し、大学院のM.A. 学位(修士号) 27 単位、Ph.D. 学位(博士号)に72単位という量的規定が設定・実施された。

 こうして19 世紀後半から20 世紀にかけて今日の大学単位制度の骨格が形成された。重要なことは、それは単なる量的規定にとどまらず、当初から「満足な学習成果」という質的要素を包含していたことである。

 

          単位制度の標準化と質的要件

 アメリカの高等教育の発展とともに、単位制度は各地に広がっていくことになり、単位制度を標準化する共通の基準となるものが設定されること

になった。

 例えば、地域の資格認定機関としての北中部基準協会では、卒業要件については、大学の場合は最低120 セメスター単位もしくはそれ相当量で、やはり学問的質的要件を加えていた。

 1 単位についての規定も見られ、それは50 分以上週1 回の授業を1セメスターで18 週と定めていた。

 このように、基本的には大学の卒業要件として120 セメスター単位、短期大学ではその半分の60 セメスター単位が、しかもいずれも単位数と同時に学問的質的要件という、教育の質を維持するための工夫や努力が求められていたことが分かる。しかも、その運用基準はきわめて大綱的な部分にとどまっていたのである。

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