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第90号 ロンドン五輪ボクシング競技・ミドル級 金メダリスト 村田 諒太 氏

2013/02/12

今夏開催されたロンドンオリンピックのボクシング男子ミドル級で日本人男子として48年ぶりに金メダルを獲得した村田諒太選手。今回は偉業を成し遂げて大
注目の村田選手をクローズアップする。
 ボクシングに関する興味深いエピソードや、指導する大学生とのふれ合いなどのお話を中心に、女子栄養大学常任理事・染谷忠彦氏がホストとなって迫る。


心のコントロールが重要
染谷 ロンドンオリンピックでは本当に大活躍でしたね。優勝した瞬間の心境をお聞かせください。
村田 ずっと目標にしていた大舞台でしたから、達成感というよりは夢見心地だったような気がします。 
 優勝のかかった試合の途中で「この試合で勝つと金メダルだ」という欲のようなものがフッと心の中に沸いた瞬間がありました。おそらくそれが隙というものなのでしょう。世界選手権ではそうした経験はなかったため、「これがオリンピックには魔物が棲むと言われる所以なのか」と思い知らされる経験でした。
 やはり普段できることを普段通りに大舞台でもできるメンタルのコントロールが本当に重要なのだなと痛感しました。
染谷 メンタルコントロールの重要性に気づかない選手が意外に多そうですね。
村田 私は大会前になると怖じ気づいたり弱気になることがしばしばあるんです。北京オリンピック予選の時もそんな自分の弱さをさらけ出した苦い思い出があります。
 スポーツ心理学を学び始めた理由の一つには、そうした自分の弱さを克服したいという願望がありました。「心・技・体」という言葉がありますが、ある文献によると、試合で大事な
ことは何かと選手に聞くと、「心」50%、「技」20%、「体」30%と考えている選手が大半だったそうです。
 一方、トレーニングにおいては「技」の技術や「体」の体力部分ばかりに目を奪われがちで、「心」のトレーニングは0~10%程度とほとんど行っていない傾向があるということでした。
 メンタルを強化すれば、どのような状況でも普段通りの成績を残せるのではとその時教えられました。失敗したらその次に頑張ろうと言う人もいますが、二度とこないたったいま、この瞬間が大切なんです。その意味でメンタルの重要性を学べたことは本当に良かったと思います。
染谷 弱い部分もあるという村田選手がなぜボクシングを始めたのですか?
村田 自分という存在を周囲に認めてもらいたいという自己顕示欲が強かったのかもしれません。周りと比較されること自体にも反発心があり、一番強くなって注目されたい気持ちがありました。 
 サッカーなどの団体競技も魅力的だと思いますが、複数のプレーヤーが活躍してみんなで盛り上がるというよりは、一対一で戦い、勝っても負けてもすべて自分の責任に帰するボクシングに魅力を感じました。


続けることに意義がある

染谷 途中で何度か辞めたこともあったのだとか。
村田 中学生からボクシングを始めましたが、正直何度も辞めました(笑)。けれども、何よりも一生懸命に夢中になれるものが私にはボクシングしかなかったので、そのたびごとに起ち
上がって、これまで続けてこれたのだと思います。
染谷 継続するためには相当のエネルギーが必要ですよね。
村田 東洋大学ボクシング部のコーチを引き受けて5年目になりますが、1年次から4年間の学生生活を伴走して、逆に学生たちから教わることが多々ありました。そのうちの一つが継続する力の大切さです。いまの4年生が1年生の時に部の不祥事などがあって1年間大会に出場できない苦しい時期があり、そこで辞めていくメンバーも少なからずいました。彼らにとってその出来事は悲劇でしかなかったでしょう。ただ、そこで踏ん張った学生たちはその後、部を立て直し、一時はⅢ部にまで落ちたチームを最後にはⅠ部リーグにまで引き上げてくれたんです。その過程を間近で見て「やり切りました」と、毅然とした態度で話す彼らの頑張りには大いに感動を覚えました。
 私の好きな言葉にチャップリンの「人生はクローズアップして見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇である」というワンフレーズがあります。まさに4年間ずっと続けて頑張ってきた学生たちは、悲劇をキャリアというか、自分の強みに変えていくことができたのだと思います。これは、途中で辞めてしまっては味わうことのできない感覚だと思います。


高校時代の恩師に感謝の日々

染谷 現在はご自身がコーチとして指導する立場でもあるわけですが、心に残る恩師を挙
げていただけますか。
村田 高校時代の武元先生には本当にお世話になりました。先生がいたからこそいまの私がいると思っています。武元先生は決して私たちを否定することはなかった。厳しかったのは事実ですが、その言動の中に私たちに対する愛情を感じない日はありませんでした。おそらく、成長させるための厳しさだったのでしょう。
 当時の私はとてもヤンチャで、ある時感情的になって同級生に手を出してしまったことがありました。これは武元先生に大目玉をくらうだろうなと思っていたのですが「もうお前は素人
とは違う。軽く打っても体重がのる。それだけ力を秘めているのだから大事な力をそんなことに使うな」とたしなめられたんです。その時は「怒られなくてラッキー」としか思いませんでしたが、いまではとても深い言葉をかけていただいたのだなと感謝しています。
染谷 ずっと後になって恩師のありがたみが分かるというのは世の常ですね。
村田 「影響」という言葉は〝かげがひびく〞と書きますよね。その人の存在や人間性、魂がまさに響くものなんだと思います。武元先生が情熱を傾けて教え子を指導してきたことが響い
ているからこそ、月日が経ったいまでもこれだけ先生のことを尊敬できるのだと思います。


前を向けば必ず道は開ける
染谷 将来に向けた力強い第一歩を踏み出せるよう若い人たちにメッセージをお願いします。
村田 あまり立派なことは言えませんが、ただ一つ、ぜひ良い出会いをして欲しいということを伝えたい。
 何でも否定的にとらえるのではなく、前向きに明るく楽しく、とにかく一生懸命取り組めば、必ず良い輪が広がると思います。自分のことを幸運だと思えるかどうか、それって単純かも
しれませんが、なかなか難しくとても大切なことだと思うんです。
 もしまだやりたいことが見つからないという人も、前向きに進んでいけばきっといつか見つかる。うつむいていては何も見つかりません。だからこそ、決して卑屈にならずに明るく前向
きに頑張って欲しいと思います。

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