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連載第6回 大学改革を問い直す
2015/02/07
連載 大学改革を問い直す
第6回 大学ガバナンス改革の行方
藤田英典
平成26年6月、学校教育法と国立大学法人法が改正され、大学運営における学長権限の強化と教授会の諮問機関化が図られた。この法改正の狙いは、グローバル化や知識基盤社会の進展を背景にして「国際的な大学間競争が激化しており、我が国の大学の国際競争力を高め、高度な教育研究を行い、グローバル人材を育成する拠点として世界の大学と伍していく」ことができるようにする点にある(中教審大学分科会「審議のまとめ」平成26年2月)。そして、そのためには「戦略性を持って大学をマネジメントする」ことが不可欠であるから、そのマネジメント権限を学長に集中させ、部局教授会の権限と影響力を縮小するというのが、主な改正内容である。しかし、この改正には、いくつか重大な問題がある。
第一は781 校に及ぶ大学の多様性――設置主体、大学規模、期待される役割、従来の部局自律性の程度や実態の違い等――を考慮せず、一律に学長権限の拡大を図った点である。第二は平時・改革期と有事時・充実期の違いを考慮していない点、第三は学長のマネジメント(M)やリーダーシップ(L)の内容と在り方が曖昧な点、第四は学内の合意形成や協力態勢の確保を軽視している点、第五は常に賢明かつ有能な人が学長に選任されると想定している点である。
まず第二点だが、教育も研究も社会貢献の多くも、実質的な主体となるのは部局(教員)であるから、平時や充実期にはその活動や機能の充実を図る上で学長のM・L として重要なのは財政面・施設面や外部資源への橋渡し等の条件整備とモラルサポートであろう。しかるに、改正法令もそのもとになった中教審「審議のまとめ」も、想定しているのは主に有事時や改革期である。しかし、この想定には少なくとも三つの点で問題がある。①制度・組織や教育課程関連の改革は部局の利害や考え方の調整が必要となる場合が多いだけに、トップダウン型のM には妥当性・適切性や前記第四点の部局の理解と協力・モラルの確保という点を中心に難点がある②有事や改革が頻繁ないし長期にわたるなら、改革への対応に振り回され、混乱と時間の劣化やモラルの低下が起こりかねない③学長の在任期間は長くても8年程度以内が一般的であるが、その程度のサイクルで学長が独自色を出そうとすると、無用/有害な改革やM が増えかねない。
第三点のM やL の内容と在り方では、組織面・事業面を中心に教員人事(特にポストの部局間再配置)を含む改革や新たな取り組みを想定しているようだが、その一方で、例えばアメリカの学長や部局長に期待されている外部資金の獲得や橋渡し等の条件整備の役割が日本ではあまり重視されていない。こうした傾向が強いところで学長権限が拡大・強化されると、学長のM は、教員の昇任・報酬や役職配分といった側面での教員人事や予算等の資源配分の側面を中心に歪みや不満が起こりかねない。この傾向は、前記第五点とも関連するが、今回の法改正に対して学長M のチェック機能が担保されないとの批判もなされており、実際、学長の不見識や独断専横として問題化した大学があることも知られる。
この20年ほど大学を取り巻く環境が激変してきたことは言うまでもない。国際競争力の強化やグローバル人材の育成だけではなく、社会貢献・地域貢献、質保証・説明責任や18歳人口の減少期にあっての学生確保・生き残りも重要課題となる中、多くの大学はさまざまな改革・改善を進めてきた。その努力を実りあるものとするためにも適切かつ有効なM・L が重要であることも言うまでもない。しかし、そのM・L の適切性と有効性が今回の法改正によって担保される保証はどこにもない。各大学には上記のような危惧される面が実際に問題化しないように賢明な判断・運営をしていくことが期待されるが、国は学内規則の改定等に過剰な介入をしないようにすることも期待される。
第6回 大学ガバナンス改革の行方
藤田英典
平成26年6月、学校教育法と国立大学法人法が改正され、大学運営における学長権限の強化と教授会の諮問機関化が図られた。この法改正の狙いは、グローバル化や知識基盤社会の進展を背景にして「国際的な大学間競争が激化しており、我が国の大学の国際競争力を高め、高度な教育研究を行い、グローバル人材を育成する拠点として世界の大学と伍していく」ことができるようにする点にある(中教審大学分科会「審議のまとめ」平成26年2月)。そして、そのためには「戦略性を持って大学をマネジメントする」ことが不可欠であるから、そのマネジメント権限を学長に集中させ、部局教授会の権限と影響力を縮小するというのが、主な改正内容である。しかし、この改正には、いくつか重大な問題がある。
第一は781 校に及ぶ大学の多様性――設置主体、大学規模、期待される役割、従来の部局自律性の程度や実態の違い等――を考慮せず、一律に学長権限の拡大を図った点である。第二は平時・改革期と有事時・充実期の違いを考慮していない点、第三は学長のマネジメント(M)やリーダーシップ(L)の内容と在り方が曖昧な点、第四は学内の合意形成や協力態勢の確保を軽視している点、第五は常に賢明かつ有能な人が学長に選任されると想定している点である。
まず第二点だが、教育も研究も社会貢献の多くも、実質的な主体となるのは部局(教員)であるから、平時や充実期にはその活動や機能の充実を図る上で学長のM・L として重要なのは財政面・施設面や外部資源への橋渡し等の条件整備とモラルサポートであろう。しかるに、改正法令もそのもとになった中教審「審議のまとめ」も、想定しているのは主に有事時や改革期である。しかし、この想定には少なくとも三つの点で問題がある。①制度・組織や教育課程関連の改革は部局の利害や考え方の調整が必要となる場合が多いだけに、トップダウン型のM には妥当性・適切性や前記第四点の部局の理解と協力・モラルの確保という点を中心に難点がある②有事や改革が頻繁ないし長期にわたるなら、改革への対応に振り回され、混乱と時間の劣化やモラルの低下が起こりかねない③学長の在任期間は長くても8年程度以内が一般的であるが、その程度のサイクルで学長が独自色を出そうとすると、無用/有害な改革やM が増えかねない。
第三点のM やL の内容と在り方では、組織面・事業面を中心に教員人事(特にポストの部局間再配置)を含む改革や新たな取り組みを想定しているようだが、その一方で、例えばアメリカの学長や部局長に期待されている外部資金の獲得や橋渡し等の条件整備の役割が日本ではあまり重視されていない。こうした傾向が強いところで学長権限が拡大・強化されると、学長のM は、教員の昇任・報酬や役職配分といった側面での教員人事や予算等の資源配分の側面を中心に歪みや不満が起こりかねない。この傾向は、前記第五点とも関連するが、今回の法改正に対して学長M のチェック機能が担保されないとの批判もなされており、実際、学長の不見識や独断専横として問題化した大学があることも知られる。
この20年ほど大学を取り巻く環境が激変してきたことは言うまでもない。国際競争力の強化やグローバル人材の育成だけではなく、社会貢献・地域貢献、質保証・説明責任や18歳人口の減少期にあっての学生確保・生き残りも重要課題となる中、多くの大学はさまざまな改革・改善を進めてきた。その努力を実りあるものとするためにも適切かつ有効なM・L が重要であることも言うまでもない。しかし、そのM・L の適切性と有効性が今回の法改正によって担保される保証はどこにもない。各大学には上記のような危惧される面が実際に問題化しないように賢明な判断・運営をしていくことが期待されるが、国は学内規則の改定等に過剰な介入をしないようにすることも期待される。
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