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第2回 高大接続はどう変わるか

2015/05/12

連載 社会の地殻変動と大学

第2回 高大接続はどう変わるか

金子 元久


 前回に述べた背景から、中央教育審議会でも高大接続に関する議論が行われてきた。私は中教審での議論に関わってきたが、議論は率直に言ってかなり難航してきた。入試というものの、これまでの日本の社会における役割の特殊性、同時にそもそも人間の知識・能力をどのように捉え、評価するかという、極めて根源的な問題に関わっていることを考えればそれも当然であったと言えるかもしれない。いずれにしても、そのような過程を経て、中教審が描く高大接続のイメージは、次の三層からなるものとなった。
 ①「高等学校基礎学力テスト」(以後「基礎テスト」)。 
 高校1、2年生を対象として、基礎的な学力を確認することを目的とする。その結果は就職の選考、あるいは専門学校の入学、短大・大学への推薦・AO入試にも用いる。
 ②「大学入学希望者学力評価テスト」(以後「大学進学テスト」)。 
 現在の大学入試センター試験に相当するものであるが、現在の29科目を大幅に整理し、教科ごとに括るか、さらには教科を超えた総合的な学力を測る形式も考えられる。 
 ③個別大学の選考。
 これは独自に出題する学力試験、面接、学習活動履歴などを個別の大学が選択して行う。上述の大学入学希望者学力評価テストの難易度の幅を広くすることによって、個別大学では学力試験を全く行わない、という意見もあったが、私はそれは困難であり、個別大学の主体的な選択に任せるべきであると考える。
 一応は以上のような三層からなる接続メカニズムとすることには合意があるものの、詳細においてまだ意見の相違は少なくない。特に以下の三つの基本的な点でまだ大きな見方の相違が残されている。
 第一は、能力・学力をどのように捉えるのか、という点である。前述のように、従来の教科や学問領域の内的論理によって体系化された知識と現代社会のニードは大きくかけ離れつつある。2007年の学校教育法改正では初中教育の目的について「たしかな学力」、「生きる力」、などという表現が用いられてきた。
 しかしそれを高大接続、大学教育をめぐる議論に直接に当てはめると、議論に混乱が生じる。教科と、さらに基礎的な学力・能力との関係を明確に意識することが必要だからである。
 第二は、広い意味での知識・能力をどのような方法で測定するか、という点である。各教科・科目についての知識・能力は、その範囲が限定され、特定の論理を持っているから、それをもとにした設問を設定し、その答えから客観的に計測できる。しかし汎用的な能力や思考・応用力は、そのままでは測定することは極めて難しい。そこで一般には特定の仮設的な状況を設定して、それに対する反応をもとに測定する手法が用いられるが、それがどの程度の信頼性、妥当性を持つかには常に問題がある。さらに自己認識や意欲については、どのような方法や根拠で判断を下すかが大きな問題であることは言うまでもない。
 第三は公正性・透明性をどのように確保するか、という点である。教科・科目に体系化、限定された知識・学力については、一定の設問に対して一定の範囲の正解が存在するから、測定結果は客観的であり、その限りで公正性をもつ。しかし汎用能力については、その具体的な内容について社会的な合意があるとは言えず、その測定には一定の誤差がある。
 また意欲については、そもそも18歳の時点で、特定の将来像を設定していることがなぜ求められなければならないのかに問題がある。いずれにしても、従来型の硬直した公正性に固執しないとしても、それは選抜が恣意的に行われることを意味するのであってはならない。
 こうした点を踏まえていま、文科省に置かれた専門家会議で検討が行われている。それに高校関係者や大学関係者が積極的に意見を表明していくことが必要だ。

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