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第7回 大学で何を学ぶか(1)教育理念

2015/11/13

連載 社会の地殻変動と大学

第7回 大学で何を学ぶか(1)教育理念

金子 元久

  「どの大学」に行くのかは話題になることが多いが、「大学で何を学ぶか」はあまり語られることがない。しかし、それこそが大事なのではないか。ただしそう聞いてみても、人によって答えはさまざまだ。一般に大学教育の理念としては、次の三つの考え方がある。
 第一は「職業準備」だ。大学で修得しておかねばならないのは、一定の職業に就くための知識や技能だという考え方だ。
 歴史的に見ても、中世の大学は、医者、聖職者、法律家の三つの高度専門職を養成するために、医学、神学、法学を教育する機関だった。
 さらに19世紀後半以降には産業化の進展にともなって、工業・農業技術者、教師などの職業が拡大し、その養成が大学で行われるようになった。
 第二の考え方は「専門学術」知識の修得だ。体系化された専門知識を学ぶことが、社会に出てからも、結局は役に立つ、という考え方だ。
 これは19世紀初めにおけるドイツの大学にさかのぼることができる。教育と研究の双方を行うことこそが大学の使命であり、学術的な知識に取り組むことが、学生の知的、人格的な成長に役立つ、と考える。
 それは、世界の近代大学に大きな影響を与えたが、日本もその例外ではない。「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究する」という現在の学校教育法の規定は、こうした考え方の影響を強く受けている。
 第三の考え方は「教養」だ。広く社会や人間、自然に関して知識を得て、ものの考え方を身に着け、人格を形成することが重要だと考える。
 こうした考え方の源流はイギリスやアメリカで形成された「リベラル・アーツ」の大学教育にある。現在の大学の「一般教育」はこうした考え方を受け継いでいる。 
 以上の三つの考え方のどれが最も重要なのか。大卒の社会人へのアンケート調査をすると、上の三つの考え方は、それぞれほぼ同程度の支持を得ている。しかし現実には、そのそれぞれが問題をはらんでいる。
 まず教養教育については、その理想はよく分かるとしても、実際に大学で行われているのは単に雑多な分野での知識を与えるにすぎない、という批判も強い。実際、大学の一般教育については、学生の間でも、必ずしも評価は高くない。
 学術・専門的な知識を得る、という考え方にも批判は少なくない。学術的な専門知識はたしかに体系化されていて、いわば科学や文化の根幹を成すものだ。それを得るところは大学しかない。
 しかし他方で、そうした専門知識は、卒業後の職業や生活で直接に役に立つことは少ない。大卒の職業人に行った調査では、「大学でならった専門知識を職場で使ってきた」という設問に〈よくあてはまる〉と答えたのは技術系で2割弱、事務営業系では3%にすぎなかった。
 それではむしろ実践的な職業の準備が良いのだろうか。たしかに最近では、実践的な職業教育、いわば「手に職をつけさせる」教育を強化するべきだという声が強い。
 実際、医療、教育などの専門職分野、工学、農学などでは、将来の職業を念頭において教育課程が組まれているし、その学習が重要なことはいうまでもない。
 しかし多くの大卒が果たす職務は極めて多様で、そこで必要な知識は職場の中で作られ、伝達される。また職業で要求される知識技能は非常に多彩で流動的になっている。大学の入学の時点で、どのような職業に就くかを決めるのも難しい。
 要するに、上記の三つの考え方のどれかだけではなく、いずれも大事なのだろう。しかしそれでは何かすっきりしないかもしれない。それでは大学教育の理念ではなく、大学教育を通じて個々の学生が何を「獲得するか」に着目してはどうか。次回ではその点を考える。

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