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第7回 多様な入試で多様な生徒を選抜できるか

2016/11/15

連載 高大接続の理想と現実

第7回 多様な入試で多様な生徒を選抜できるか

中村 高康

前回取り上げた「知識の暗記・再生」は、さすがに時代錯誤感が強いので、専門家でこれを強調する人はあまりいないように思われる。しかし、ややもすると専門家であっても陥ってしまいそうな、落とし穴のようなロジックが、選抜方法をめぐる議論ではしばしば用いられる。それは、「多様な人材を選抜することは良いことであり、そのためには多様な選抜方法を用意しなければならない」というロジックである。
 例えば、2014年の中央教育審議会答申では、「多様な背景を持つ一人ひとりが、高等学校までに積み上げてきた多様な力を、多様な方法で『公正』に評価し選抜するという意識に立たなければならない」と述べている。多様な生徒を多様な方法で選抜できるという考え方はかなり一般的といえる。
 「多様な人材を選抜すること」が良いことなのかどうかという点については、条件次第で良い場合も悪い場合もあり得るのではないかと個人的には思うので、それを一律に「良い」と決めつけることには少々違和感がある。しかし、ここでは百歩譲って、それは「良い」としよう。その上で、多様な人材を選抜するためには「多様な選抜方法」を用いる必要があるのか、というのがここで考えたい問題である。
 私たちは、単一の選抜資料を用いて選抜すると、画一的な人材選抜になってしまうと思い込みがちである。しかし、それは論理的にはまったく正しくない。例えば、数学の点数だけで入試を行った場合を考えてみよう。その場合、合格者は数学優秀層に画一化される。しかし、その他の特性はどうなるだろうか。おそらく数学と関連が薄い特性はむしろ多様になるはずである。なぜなら、数学以外の要素は合否には無関係であるからである。国語や英語がまったくできなくても、数学さえできれば合格できてしまうわけである。
 さて、ここで「多様な生徒を合格させるべきだ」と目標を定めたとして、数学のほかに国語も、理科も、英語も、社会も、体育も……と選抜資料を多様化してみよう。そうすると、数学以外の他の教科も合否に関わることになるので、それらも相対的に得意な層が合格しやすくなる。先ほど述べた数学だけが得意な生徒は合格しにくくなるだろう。結局、選抜資料を多様にすることは、どれもほどほどにできるオールラウンダー的特性の生徒たちを画一的に選抜する傾向を強めてしまう可能性がある。
 こうしたことが起こらないようにする入試多様化の方法は、選抜資料の多様化を図るのではなく、選抜方式の多様化を図ることである。つまり、ある入試方式では、数学だけできれば合格させる、別の入試方式では総合点の高い者を合格させる、また別の方式ではスポーツ推薦で合格させる、などといった具合にやっていけば、おそらく入学者層は多様化していくだろう。もうお気づきの方もおられると思うが、これは現在の私立大学においてすでに十分過ぎるほどやってきた方法であり、目新しくもなんともない。では私たちに求められているものは一体何か。実は、平成29年度大学入学者選抜実施要項では、「学力の3要素のそれぞれを適切に把握するよう十分留意する」とした上で「入試方法の多様化、評価尺度の多元化に努める」とある。この「評価尺度の多元化」という表現には、選抜資料の多様化が強く含意されている。
 はたして、これは私たちが本来目指すべき方向なのだろうか。私にはそうは思えない。私たちは、政府の定める「入試多様化」という画一的なシステムを強制されかねない状況に置かれている。そしてそれは実際には、多様な生徒の選抜という理念とは逆の、「多様性への画一化」とでもいうべき事態を招きかねないものであることを、私たちは理解しておく必要があるのである。

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