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第9回 複数回受験の夢と幻

2017/02/09

連載 高大接続の理想と現実

第9回 複数回受験の夢と幻

中村 高康

 これまで見てきたように、昨今の高大接続改革の目玉となっているのは、通説的な日本の大学入試像を打破する意図を持った諸案である。いま「通説的な」のところに傍点を付したのは、通説が必ずしも実態を反映しているとは限らないからである。「多様な選抜」も「記述式」も、いずれも実際にはさまざまなところですでに導入されている方式であり、これをことさらに新しいものであるかのように語ることの愚を、私たちは避けなければならない。
 同類のことは、もう一つ、「複数回受験」についても言うことができる。日本社会で育ってきた人の多くは、ある特定の日に実施される「一発勝負」の入学試験に対して、大きなプレッシャーを感じて過ごした受験生時代の日々をほろ苦い思い出として想起する。だからこそ、「何度でも受けられる入試」に夢を見ることは当然なのかもしれない。失敗してもすぐ挽回のチャンスが訪れるのだから、受験競争の弊害を解消する秘策のようにも映るのだろう。
 しかし、日本の大学受験では、大学ごとに日程をずらして行うことが、私立大学では昔から一般的で、そのうえ同じ大学でも学部が違えば複数回の受験ができた。また、入試の多様化が本格化したここ数十年においては、同じ学部に入学するのに複数の受験方式が用意されるのが常態化しており、日本の大学の約8割を占める私立大学では、受験機会は実質的に複数化している。現在の国・公立大学にはそうした「一発勝負」感がまだ残っているところがあるが、それでも推薦入試・AO入試などの多様化入試は、ほとんどの大学で取り入れられてきた。このように考えてみると、センター試験の後継テストでの「複数回受験」のメリットがどれだけあるのか、よく分からなくなってくるのである。
 一方で、導入が困難な理由はかなり明確である。年に複数回のテストを実施して、しかもどのテストの得点を使っても良いということになれば、それぞれのテストの結果を公平に比較できるようなテスト技術を使わなければならない。具体的には、第一回のテストの結果を使うAさんと第二回のテストの結果を使うBさんを比較できなければ、合否判定には使えない。ところが、それを全員が納得する形で比較可能にすることは想像以上に難しい。項目反応理論というテスト理論を用いて能力値を算出し、複数のテストの結果を調整(等化)して比較する、などの方法が取り沙汰されている。しかし、いずれもそれを可能とする条件があり、簡単ではないことから現在も検討課題になっており、新テスト案では複数回の受験はすぐには導入しない方向で調整されている。
 しかし、問題はこのような技術的難点だけにあるわけではない。少し想像すれば容易に分かることだが、現在の高校教育では、入試や就職などの日程を見据えながら、授業計画や学校行事、定期試験日程など、さまざまなスケジュールが立てられている。ここに、年に複数回もセンター試験のようなテストが入ってくるということになると、従来の教育活動に著しい困難を生じさせる可能性がある。それだけではない。複数回受験によって、「何回受けるのか」「いつ受けるのか」といった新たな要素が受験戦略に組み込まれることになり、高校の進路指導は、ただでさえ入試の多様化で複雑化しているのに、より一層の複雑さを増すことになる。さらには、高校3年生の早い段階で受験が可能になる場合には、教育課程が消化されない時期での受験となり、高校教育軽視という批判が生じ得る。
 もちろん、これらの困難は、高校・大学および受験生がこのシステムに慣れることによって解消できる部分もあるため、現状のみを基準として否定すべきではないだろう。しかし、いかに良い改革案でも、拙速であってはならない。今後も慎重な審議を期待したい。


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