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第2回 学生支援の根拠 その①
2017/05/15
連載 教育費負担と奨学金
第2回 学生支援の根拠 その①
小林 雅之
前回は、本論に先立ち、今年度より導入された新所得連動返還型奨学金の選択の難しさについて保護者・生徒への説明をお願いした。今回からは学生への経済的支援制度について、順次解説をしていく。まずは、なぜ学生への経済的支援(以下、学生支援)が重要であり、必要なのかについて考えてみたい。
学生支援が重要である最たる理由は、教育の機会均等の要請である。教育の機会均等は、日本でも憲法と教育基本法に定められている、教育にとって最重要な理念の一つである。
憲法第26条:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
教育基本法第4条第1項:すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
同条第3項:国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。
このように、第3項は、政府に学生支援(奨学)の義務を課している。これが学生支援の根拠となっている。
こうした教育の機会均等の重要性は、日本のみならず国際的に広く合意がなされている。たとえば、国際連合の「世界人権宣言」(1946年)第26条は「高等教育は、能力に応じ、すべての者に等しく開放されていなければならない。」と規定している。
また、「国際人権規約」(1966年)第13条第2項Cは、現在議論されている「教育の無償化」についても「高等教育は、すべての適当な方法により、とくに、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」と規定している。
日本はこの条項を2012年に批准し、政府は高等教育の「漸進的な無償化」を国際公約とし、その実現に努めなければならないのである。
しかし、それでは教育の機会均等とは、具体的にどのような状態を指すのか、教育機会の均等は、公正に関する価値概念のため、一義的には定義されず、さまざまな概念がある。ここでは、教育の機会均等は単なる概念にとどまらず、教育基本法などのような教育政策の理念として掲げられてきたことを考慮して、教育機会均等のための政策すなわち格差是正政策の原理あるいは平等化の基準として、次の三つを挙げたい。
①教育のインプットの平等、②メリットクラティックな平等、③教育のアウトプット(結果)の平等
①の教育のインプットの平等は、学生の属性や社会経済的背景は考慮せず、同等の教育を受ける条件整備に徹するという考え方である。しかし、この基準では、次にみる学力などの差が原因となり、結果の平等は保障されない。
これに対して②のメリットクラティックな平等とは、能力あるいは学力によってのみ異なる教育をするべきだとする考え方で、同じ学力の学生を同等に競争させる政策をとる。憲法の「能力に応じてひとしく」あるいは教育基本法の「ひとしく能力に応じた」もこうした考え方に近いとみなすことができよう。
しかし、学力のみの競争の実現は容易なことではない。個々人の学力自体が個人の経済水準によって決定されているためである。学力と経済水準が強い関連を持ち、結果として教育の平等が損なわれることになる。教育機会と所得階層の結びつきが世代間で再生産されれば、高所得層は学歴を取得することで高所得になるのに対して、低所得層は低所得になるという、教育による階層再生産あるいは貧困の連鎖が生じる危険性がある。つまり、学力のみを基準にして、教育の結果の平等を達成することは困難である。
第2回 学生支援の根拠 その①
小林 雅之
前回は、本論に先立ち、今年度より導入された新所得連動返還型奨学金の選択の難しさについて保護者・生徒への説明をお願いした。今回からは学生への経済的支援制度について、順次解説をしていく。まずは、なぜ学生への経済的支援(以下、学生支援)が重要であり、必要なのかについて考えてみたい。
学生支援が重要である最たる理由は、教育の機会均等の要請である。教育の機会均等は、日本でも憲法と教育基本法に定められている、教育にとって最重要な理念の一つである。
憲法第26条:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
教育基本法第4条第1項:すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
同条第3項:国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。
このように、第3項は、政府に学生支援(奨学)の義務を課している。これが学生支援の根拠となっている。
こうした教育の機会均等の重要性は、日本のみならず国際的に広く合意がなされている。たとえば、国際連合の「世界人権宣言」(1946年)第26条は「高等教育は、能力に応じ、すべての者に等しく開放されていなければならない。」と規定している。
また、「国際人権規約」(1966年)第13条第2項Cは、現在議論されている「教育の無償化」についても「高等教育は、すべての適当な方法により、とくに、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」と規定している。
日本はこの条項を2012年に批准し、政府は高等教育の「漸進的な無償化」を国際公約とし、その実現に努めなければならないのである。
しかし、それでは教育の機会均等とは、具体的にどのような状態を指すのか、教育機会の均等は、公正に関する価値概念のため、一義的には定義されず、さまざまな概念がある。ここでは、教育の機会均等は単なる概念にとどまらず、教育基本法などのような教育政策の理念として掲げられてきたことを考慮して、教育機会均等のための政策すなわち格差是正政策の原理あるいは平等化の基準として、次の三つを挙げたい。
①教育のインプットの平等、②メリットクラティックな平等、③教育のアウトプット(結果)の平等
①の教育のインプットの平等は、学生の属性や社会経済的背景は考慮せず、同等の教育を受ける条件整備に徹するという考え方である。しかし、この基準では、次にみる学力などの差が原因となり、結果の平等は保障されない。
これに対して②のメリットクラティックな平等とは、能力あるいは学力によってのみ異なる教育をするべきだとする考え方で、同じ学力の学生を同等に競争させる政策をとる。憲法の「能力に応じてひとしく」あるいは教育基本法の「ひとしく能力に応じた」もこうした考え方に近いとみなすことができよう。
しかし、学力のみの競争の実現は容易なことではない。個々人の学力自体が個人の経済水準によって決定されているためである。学力と経済水準が強い関連を持ち、結果として教育の平等が損なわれることになる。教育機会と所得階層の結びつきが世代間で再生産されれば、高所得層は学歴を取得することで高所得になるのに対して、低所得層は低所得になるという、教育による階層再生産あるいは貧困の連鎖が生じる危険性がある。つまり、学力のみを基準にして、教育の結果の平等を達成することは困難である。
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