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第3回 学生支援の根拠 その②

2017/06/16

連載 教育費負担と奨学金

第3回 学生支援の根拠 その②

小林 雅之

 前回は教育機会の均等の定義として、①インプットの平等と②メリットクラティックな平等を取り上げた。
 これらに対して、③の教育のアウトプットの平等は、学習環境の相違などによる学力と所得階層の結びつきに対して、最も積極的に政策の介入を進め、集団間や階層間の教育機会の格差是正を意識的に図ろうとするものである。したがって、この場合の均等の達成(格差の是正)は、集団間や階層間の進学率の平等化の程度でなされる。具体的には、男女間で高等教育進学率が等しい場合に、機会均等が達成されたとする。
 教育機会の均等論に大きな影響を与えた、1966年のアメリカの『教育の機会均等』(通称コールマン報告)以降の教育の機会均等政策は教育の結果の平等の考え方に基づくものが多い。ここでも、教育の機会均等を「個人が人種、性別、社会・経済的出身階層などの属性によって差別されないことによって、さらに偶然性によって支配されることを最小にすることによって、教育を受ける機会が、国民として平等に保障されること」と定義する。
 この定義の中で、「偶然性に支配されることを最小にする」とは、少々説明が必要である。偶然性とは個人の責任に帰すことができないものである。例えば、入試当日に急病や交通事故等の偶然性によって受験ができない場合、個人の責任ではないから、追試の機会を設けているのである。教育基本法第四条が「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」としているのも、これらの属性は個人の責任に帰することができないからである。
 このように高等教育政策でも教育の機会均等は最重要な理念であり、それに基づいて前回説明したとおり、教育格差の是正と学生への経済的支援が行われている。
 奨学政策について、日本学生支援機構は貸与型奨学金制度しかなかった。この問題は次回以降取り上げる。
 実は、高等教育政策で最も注力されたのは、高等教育機関の配置の地域間格差の是正であった。「東京への一極集中」は、高等教育の場合にも大きな問題であった。もともと大学は都市に立地することが多い。しかし、日本の場合には、東京周辺と京阪神に立地が集中している。これは明治以来の日本の特徴である。この是正のために、さまざまな政策がとられてきた。戦後では1975年からの高等教育計画で大都市圏における大学学部の新増設の抑制政策がとられた。
 学生支援との関連で、高等教育機関の配置の地域間格差が問題なのは、教育機会の提供に格差が生じるからである。自宅から通学できる場合と自宅外から通学する場合には学生の生活費に大きな差が生じる。自宅通学できる高等教育機関があれば、それだけ高等教育機会に恵まれる。
 この場合、自宅外通学者、具体的には地方から東京圏や京阪神への進学者に給付型奨学金を提供したり、廉価な学生寮を用意したりすることで生活費を抑えることもできる。実際、早稲田大学の「目指せ!都の西北奨学金」などは、そうした地方からの学生への支援である。
 しかし、自宅からしか通学できない場合も少なくないし、高等教育機関が地域に存在することは高等教育機会の提供だけではなく、地域の社会・経済・文化に貢献することが期待できる。こうして高等教育機関の配置の地域間格差の是正が重要な政策課題となったのである。しかし、当初は地方の国立大学を中心に大学学部の新増設を目指したものの、オイルショック以降の経済状況から、現実には大都市圏の大学の新増設の抑制という極めて消極的な政策にならざるを得なかった。この結果、大都市圏と地方の大学進学率の格差は縮小し、1974年には最も大学進学率の高い東京と青森の差は、33%であったが、1990年には18%まで縮小した。


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