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第35号(平成29年7月10日発行)戦場カメラマン 渡部陽一さん

2017/07/19

あせらなくても大丈夫!
自分のペースで頑張ろう!


戦場カメラマン 渡部陽一さん











 






 ここ数年来、〝戦場カメラマン〞としてメディアを賑わしている渡部陽一さん。独特のゆったりとした話し方と身振り手振り、ベレー帽が特徴的で、一躍時の人となりました。戦場カメラマンを志した印象的なエピソードを交えつつ、これまでの人生をなつかしく振り返りながら、高校生のみなさんに応援メッセージを送っていただきました。


――温暖な静岡で生まれ育ち、剣道に明け暮れた小・中学校時代
 
 私は静岡県の富士市で育ちました。実家からは駿河湾を望むことができ、幼少期はよく魚釣りをして過ごしていました。その頃想い描いていた夢は、将来は魚や海に関する研究職の仕事に就きたいということでした。 小学校に入学してからは剣道を習い始め、以来、中学校を卒業するまでの9年間、剣の道を突き進みました。平常心を保つことの大切さや自らを律する精神、目上の人に敬意を払う姿勢などは、この時に学ぶことができたのだと思っています。
 高校進学後は心機一転、バドミントン部に入部しました。高校内では厳しい部で、朝練から始まり放課後の練習、そして土・日・祝日と、毎日のように練習や試合を繰り返していました。大変ではありましたが、苦楽を共にした当時の部員たちとはいまでも交流があります。その意味では、高校時代は一生涯続くであろう友を作ることができた貴重な時間となりました。


――浪人生活を経て大学に進学 転機はピグミー族との出会い

 高校卒業後は予備校の寮に入り、朝から晩まで受験勉強に集中し、明治学院大学の法学部法律学科に進学しました。
 受験生時代に「困っている人を助けたい」「SOSを発信している人に寄り添える仕事に就きたい」という想いに突き動かされ、法律の力がそうした困っている方々を助けられるのではないかと考え、法律の道に進むことを決心したのです。
 そして、進学後は法律の勉強を頑張る一方、教養科目として受講した生物学の講義で、狩猟生活を送る「ピグミー族」と呼ばれる人たちがアフリカ中央部に住んでいることを初めて知りました。自分の目で実際に確かめてみたいと思い、海外に渡ったことが人生の大きな転機となりました。
 アフリカで強く感じたのは「日本で当たり前のことが、世界ではそうとは限らないということ」。日本では考えられないことがごく日常的に起こっていたのです。
 また、ピグミー族はジャングルの奥地に住んでいるのですが、当時はルワンダ紛争中であったため、途中でルワンダの少年兵に襲撃されてしまいました。その時に、情報をほとんど持たずに現場に飛び込んでしまったことを後悔しました。私は立ち上がれないほどに打ちのめされ、自分の荷物・カメラ機材もすべて略奪されました。しかし、不幸中の幸いだったのは、こちらから現金を差し出したことで、何とか命だけは助けてもらえたことでした。
 こうした少年ゲリラの蛮行は、ここでは連日至極当たり前に起こっていました。私は強い衝撃を受け、世界の惨状を伝えるジャーナリストの必要性を感じ、自分自身がなろうと決意をしました。その瞬間に、“戦場カメラマン・渡部陽一”が誕生したのです。


――戦場カメラマンとしてのモットー 「生きて必ず帰ること」

 現在は戦場カメラマンとして世界中を飛び回っています。特にイスラム国の問題で戦争が続いているイラクは、これまでに数え切れないほど足を運んでいます。
 イラクには私の家族ともいうべき友人がたくさんおり、彼ら・彼女らの懐の深さや日本人である私を温かく受け入れてくれた精神など、一般市民の方々は非常に素晴らしい国民性を持っています。そうしたイラクが大好きなので、定期的に訪れるようにしています。
 そんな私が戦場カメラマンとして最も大切にしているのは「生きて必ず帰ること」です。イラクに限らず、国外に出れば宗教も違いますし、考え方も多種多様です。ですから、決して取材を欲張らずに、相手の方々に敬意を払うことを意識して行動をするように心がけています。そうしたリスペクトの姿勢が、思わぬ事件に巻き込まれる確率をグッと下げてくれるのだとこれまでの経験で学びました。
 現在は戦場カメラマンとして活動を続けていますが、私の一番の願いは世界から戦争がなくなって戦場カメラマンの必要性がなくなることです。テロをはじめ、世界情勢はまだまだ予断を許さない状況が続いていますが、もしもそうした不安が一切なくなった時、私は学校カメラマンに転身しようと思っています。楽しい学校生活を送る子どもたちの笑顔を撮影できる、そんな素晴らしい仕事に就くことを夢見ながらこれからも頑張っていくつもりです。


――周りの動きは気にせずに、自分のペースでゆっくりと!

  高校生のみなさんには「あせらなくても大丈夫!」ということを強くお伝えしたいですね。現代社会はインターネットが発達し、情報があふれています。進路選択に関する情報は積極的に収集して欲しいところですが、あまりインターネットばかりに頼り過ぎると、自分自身を見失ってしまう可能性があります。積極的にオープンキャンパスなどにも参加するようにしましょう。
 また、世界に出れば、時刻表通りに電車やバスが来ないなど、意外とゆっくりとした時間が流れています。だからなのでしょうが、日本人は真面目過ぎるというか、少し焦っているような印象があります。
 これから長い人生がみなさんのことを待っています。だから、自分のペースでゆっくりと歩を進めていけばきっと大丈夫です。周りの友人の進路も気になるところでしょうが、「自分は自分」と割り切って、納得のいく進路を目指して頑張ってみてください。そうすれば、自ずと道は開かれると思います。


わたなべ・よういち●
昭和47(1972)年9 月1 日生まれ、静岡県富士市出身。明治学院大学(法学部法律学科)卒業。戦場カメラマン。これまでにイラク戦争やルワンダ内戦、コソボ紛争など、数多くの戦場を取材。一方、近年はメディアにも多数の出演を果たしており、戦争の悲惨さを伝えるルポルタージュからバラエティ番組まで、マルチな活躍を見せている。


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