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第2回 変わる保護者の経験と環境

2018/05/14

連載 現代大学進学事情

第2回 変わる保護者の経験と環境

濱中淳子

 数年前に首都圏のある高校を訪問した際、次のような話を聞いた――「進路指導をしていると、『この生徒は私たちの話を聞いて考えようとしているな』と手応えを感じることがあります。時間をかけて話し合い、背伸びすることになるけれども、手が届かないわけではないところに挑戦しようという結論に至る。しかし、翌日になると『親と相談して、やめることにしました』と。やはり親には敵わないと痛感するわけです」。
 高校教員は、指導のプロとして生徒の適性や事情を考慮した助言を与える。他方で保護者なりの判断があり、我が子を導こうとする。もちろん、子どもの進路に積極的に関わろうとする保護者は昔からいた。おそらく、現在の状況をもう少していねいに表現すれば「学校の方針と大きく異なる意向を示す保護者の存在が目立つようになった」ということなのだろう。
 この背景をどう捉えればいいのか。一つ考えられるのは、親子関係の在り方が変質した可能性である。別の高校を訪問した際、卒業式の景色が大きく変わったことが話題になった。PTA役員のほかは、20〜30人ほどの保護者が参加するに過ぎなかった卒業式が、ほぼ全員の両親が出席するものになったそうだ。親の関わりを拒む高校生が少なくなったからではないかという話だったが、こうした関係性が進路選択の場面にも現れているのかもしれない。
 しかし考えてみれば、親子の関係性以前に、保護者を取り巻く環境も、そして保護者自身の経験も、この数十年で変わっていることに気づかされる。ここでは3点について指摘しておきたい。
 第一に、大学進学をめぐる社会的イメージの多元化が挙げられる。かつて大学進学と言えば、学力試験競争に勝った者に許される道として捉えられていた。そして、少しでも高い威信の大学への進学が、その後の人生を豊かにする。こうした理解は、いまもなお一部の層で確固たるものとして共有されている。
 しかしながら他方で、90年代末頃から大学進学に新しいイメージが加わった。「大学全入時代」や「学力不問入試」といった言葉がささやかれ、バブル経済の崩壊によって「いい学校、いい会社、いい人生」という図式に疑問が投げかけられるようになる中で、「無理をしない大学進学」が身近な選択肢として浸透していったからである。大学進学は、いわば「険しい顔」と「柔らかい顔」の両方を持つようになった。
 第二に、母親の社会(職業人)経験が増していることが推察される。内閣府『男女共同参画白書』などによれば、世帯を「共働き世帯」と「専業主婦世帯」に分けた時、90年代半ばに前者が後者を上回り、いまや専業主婦世帯はかなり少なくなったという。出産・育児期の継続就業の難しさや、正規と非正規の壁といった問題はあるが、それも含めて、社会で働くことがどういうことか、より望ましい働き方をするためには、どういう条件が必要かなど、自分自身の実体験に照らし合わせながら考える母親が増えている蓋然性は高い。
 そして第三に、保護者が収集する情報の量や質に変化が起きている。90年代から徐々に普及したインターネットは、誰もが使うものへと成長した。インターネットによる情報収集は日常茶飯事となり、メールやSNSによる情報交換も盛んになっている。学校や予備校の先生、家族や親戚など、限られた情報源を頼りに進路を選択することしかできなかった時代から、多様な情報の中で進むべき道を考える時代へと、状況は大きく変わっている。
 大学進学をめぐるイメージ、職業人としての経験、そして情報――これらをめぐる変化は、保護者の志向にどのような影響を与えているのか。どのような保護者に特に強い影響が確認されるのか。次回から探ることにしよう。



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