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第6回 「世間」と「社会」の間

2019/05/06

連載 現代大学進学事情

第6回 「世間」と「社会」の間

濱中淳子

 これまでの連載で強調してきたことの一つに、子どもの進学選択をめぐる母親の安定・安全志向がある。資格領域への進学や推薦入試、現役での合格を望む傾向からは、我が子の困る姿は見たくないという願いが感じられる。
 しかし他方で、「高い目標に挑み続けたからこそ力を伸ばせた」「浪人時代の辛い時間が自分の基礎を築いた」という大人もいる。「若い時の苦労は買ってでもせよ」といった言葉もある。こうした発想の上に立てば、なぜ、安定・安全志向にこだわるのかといった問いも生じよう。
 改めて考えると、安定・安全志向も一枚岩ではないはずだ。例えば、次の二つの可能性がある。
 一つは、一般論と我が子を分けて考える安定・安全志向である。苦労をし、失敗を積んだ人ほど活躍するというところはあるのだろう。それは分かっている。けれども、自分たちのことになれば、話は別だ。我が子には穏やかな人生を歩んでほしい。まずはこうしたタイプが想定される。
 もう一つは、辛い経験や挑戦に大きな意味はないという判断による安定・安全志向である。何かの媒体で「かわいい子には旅させよ」という諺ことわざが誤用されているという記事を読んだ。「愛する我が子をいろいろ楽しませてあげたい」という文脈で使われているという。旅がレジャーになったことの反映なのだろうが、先行き不透明な状態が続く中、厳しい旅の意義そのものに疑念が持たれるようになったと見ることもできよう。もはや一般論のレベルで挑戦に価値が置かれなくなっている可能性も捨てきれない。
 では、現代の高校生の母親における安定・安全志向はどちらに近いのか。「母親の子育て・教育観に関するアンケート調査」(概要は連載第一回を参照)には、この問いを探るための項目も設けておいた。分析結果を紹介しよう。
 まず強調しておくべきは、母親たちが抱く在学時代の苦労や失敗の価値は低下していないということだ。項目「これからの時代、社会で活躍する人材は、(A)順調な在学時代を過ごしてきた人材、(B)在学時代に挫折・失敗を経験した人材のどちらのタイプだと思いますか」の回答分布を示せば、(A)2割、(B)8割。子どもの大学進学当時の状況を答えた30代大卒母親の分布は(A)4割、(B)6割であるから、苦しい経験が重要だと考える傾向は、強化したきらいすらある。
 にもかかわらず、安定・安全志向が強いのは、やはり「我が子の問題は別」とする母親が多いからだ。「(B)在学時代に挫折・失敗を経験した人材」が社会で活躍すると答える母親の三人に二人が「我が子には安全志向の人生を送ってほしい」と答え、「大学受験は推薦入試などの確実な方法で」としている。公と私を切り離しているといえばそれまでだが、換言すれば、母親たちが我が子を「これからの社会の担い手」と見ていないということでもある。
 歴史学者の阿部謹也氏の論を借りれば、日本人は見知らぬ他人によって構成される「社会」ではなく、自分と直接関わり合いがある「世間」を意識しながら考えるところがある。なるほど、おそらく母親たちは世間をベースに我が子が活躍していく姿を描いているのではないか。だからこそ、まだ見ぬ困難をも乗り越えるほどの力を養うことが大事だという判断に至らないのではないか。
 いま動いている高大接続改革関連の政策文書には、若者たちが「国家と社会の形成者として十分な素養と行動規範を持てる」ことが重要だと説かれている。元来、政策と家族は決して近しいものではないのだろうが、あまりにも遠すぎる距離が気にかかる。
 政策関係者が見ているもの。母親たちが見ているもの。そして、高校の教員たちが見ているもの。その一致が見込めない間は、会話も成立しないのかもしれない。




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