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第3回 大学生の学習時間への着目

2020/06/18

連載 大学改革と高等教育政策

第3回 大学生の学習時間への着目

濱中 義隆

 2000年代に入り、日本の大学教育の構造的特質とでも言うべき、学生の学習経験の密度の低さが、政策的にも注目されるようになったことを前回述べた。
 こうした構造から脱却し、大学教育の質的転換を図るための始点として、授業外学習時間の増大・確保の必要性を訴えたのが、12年の中教審答申である。ざっくり言ってしまえば「大学生にもっと勉強させよう」ということであり、政策と呼ぶに値するのか当初は疑問に思ったことを覚えている。
 実際、学習時間を増やしたからといって、教育の質が向上するわけでも、学習成果の質が担保されるわけでもない、といった批判も当時は少なくなかった。
 答申の根拠となった学生調査のデータを見ると、日本の大学生は、1・2年生だと週に約20時間程度、授業に出席しているのに対して、授業の予習・復習、課題等に充てる時間は平均で週5時間弱である(6割の学生が週に5時間未満)。標準的な学生の学修科目数は12〜13程度なので、1コマ当たりの自習時間は30分に満たない。ここに授業と直接関係のない学習の時間を足しても、週平均7時間程度にとどまる。
 それに対して、欧米諸国の大学生は、授業への出席時間が若干少ないものの、自主的な学習時間は15〜20時間と日本の学生の2〜3倍に及ぶ。なお、日本の学生の授業出席時間20時間は、1・2年生の平均値であり、履修科目数が減少する3・4年生ではもっと少ない。その分、卒業論文などを通じて自主的な学習時間が増えると見る向きもあるだろうが、理工系・芸術系など一部の専門分野を除き、卒業論文に取り組む時間も決して多くないことが調査結果で示されている。
 ここでは、学習時間の絶対量もさることながら、授業への出席時間と自主的な学習時間の「比」に着目して欲しい。授業への出席時間と、その準備等に充てる時間がほぼ同程度というのが、データから読み取れる国際標準なのである。
 授業で学習した内容を基にして、自分なりにどう考えるか、その考えをいかにして他者に伝えるか、日本の学生はこの種の学習経験が圧倒的に不足していることが否めない。講義への出席と定期試験前の勉強だけでは、基礎的な知識・教養を十分に修得できるのかどうかもあやしいが、課題発見・解決力、自らの意思や考えを論理的に発信する能力などを獲得することは望むべくもないだろう。
 もちろん「学習時間の増大・確保」政策の目的は、これらの能力を育むような教授―学習プロセスへの転換にあり、組織的な教育改善への取り組みの必要性や、学生による事前の準備や事後の展開が不可欠とされる「アクティブ・ラーニング」の推進を合わせて提言している。学生の授業外学習時間は、それ自体が教育の質の良し悪しを表すものではないとしても、各大学が学生に対してどのような学習体験を提供できているかを表す指標として捉えることができるのである。
 答申から約10年が経過し、日本の大学生の学習経験は変化したのか―。最近実施された、複数の調査結果を見ても、授業外学習の時間は全くと言って良いほど変化していない。その一方で、グループワークやディスカッションを行うなどの参加型授業を経験した学生の比率は大きく増加した。事前の準備や事後の展開をほとんど伴わない、授業時間内完結型のアクティブ・ラーニング化が進行したことになる。
 教え方の工夫など授業改善は相当程度進む一方で、学生の自主的な学習時間は一向に増えない。授業外学習を重視しない日本の大学教育の特質は、日本的構造と称すことができる程度になかなか強固なのである。
 次回は、こうした日本的構造がなぜ維持されるのか、変化の兆しをどこに求めるのかといった点を、再びデータを紹介しながら、検討していくことにしたい。

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