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第6回 韓国と台湾

2023/10/26

連載 教養教育の謎解き:大学のカリキュラムの普遍性と現代性

第6回 韓国と台湾

吉田 文

 今回と次回は、日本の近隣諸国における教養教育の状況を検討し、日本のそれと比較しよう。今回は韓国と台湾、次回は中国である。
 言うまでもなく、韓国と台湾は第二次世界大戦以前、日本の植民地下のもと、教育システムは日本と同様だった。従って、高等教育は専門教育に特化しており、教養教育ないしは一般教育という概念は皆無だった。第二次世界大戦後、独立した両国・地域は独自の教育システムを構築するが、どちらも米国のそれをモデルとした。大学は4年制となり、そこに一般教育を導入した。その後の経緯を見ると、驚くほど日本と似ている。そこに、相互に参照し合った結果という話は聞かない。なぜ、これほどまで似るのだろうか。それを考えるために、まずは類似の傾向を❶一般教育の義務化とその廃止、❷一般教育を担当する組織――の2点から検討する。
 一般教育の義務化は、韓国では1952年、台湾では58年のことである。日本の義務化が56年だから、ほぼ同じ頃である。韓国では、人文・社会・自然の領域において6科目が必修とされ、台湾ではやや遅れるが、当初は人文科学主体だったが、73年に「文学と芸術」「歴史と文化」「社会と哲学」「数学と論理学」「物理科学」「生命科学」「応用科学と技術」と人文・社会・自然の7領域から科目が開講されることになった。
 このように一般教育が義務化され、その内容が充実しても、受容する風潮は弱かった。韓国でも台湾でも、一般教育に対する理解が深まらず、大学はそこに資源を投入せず、教員の多くはその教育にエネルギーを注がず、学生はそれを軽視といった状況だったことが記されている。まさしく、日本と同様の状況だ。
 そこで政府主導のテコ入れである。韓国では73年に卒業単位の30%を一般教育に充てるなどして活性化を図り、台湾では91年に全国科学技術会議が一般教育の活性化のための議論を始めた。
 しかしながら、こうした試みもむなしく、一般教育の義務化は廃止されるに至る。韓国は88年、台湾は94年である。日本の一般教育の廃止が91年だから、義務化同様、これも近似した年代だ。ただし、義務化が廃止されたといっても大学教育から一般教育相当のカリキュラムがなくなったわけではない。両国・地域とも、それぞれの形態のもとで一般教育を担当する組織を持ち、そこに専任の教員を置き、そこが責任部局となった。これも日本の経験と類似している。
 これら3カ国・地域の類似した共通点を考察してみよう。その最大の問題は、教員の組織である。かつて日本がそうだったように、一般教育担当教員の組織を設置している。韓国では80%程度の大学が、教養教育院という教員組織を設けている。そこにはノンテニュアで学科に所属していない教員も多く、組織として学内的に力を持つことが容易ではない。台湾においては、通識教育センターという組織が設置されたが、そこには教員が所属している組織とそうでない組織があり、後者の場合でも全学的な位置づけは不安定だという。
 こうした日本と類似の現象の背後には、日本と同様の論理が存在している。根本的には、高等教育は専門教育が主体で、一般教育は付加的なものとする認識が基底にあり、それが揺るがないことだ。高等教育進学率の上昇による学生の多様化に対してリメディアル教育等での対応はあっても、幅広く多様な学問領域を学ぶという教養教育が大学現場で受け入れられることはなかった。教養教育は重要とする政府関係者の意図と大学の現場との乖離が大きく、それを埋める手段を見い出せていない日本、韓国、台湾である。専門教育主体の高等教育システムに、後から一般教育を接合することがいかに困難であるかを示す事例だ。
 それでは、専門教育主体の高等教育システムに一般教育を接合するという試みは成功しないのだろうか。次回からは、それを検討しよう。




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