トップページ > 連載 高校生のための大学四方山話 > 第7回 大学のお金と教員の教育・研究
第7回 大学のお金と教員の教育・研究
2024/11/15
連載 高校生のための大学四方山話
第7回 大学のお金と教員の教育・研究
村澤 昌崇
今回は、私の授業(受講生30人程度)で授業料値上げ問題を扱った際の学生の反応を手始めに紹介する。学生からは「値上げやむなし」「10万円程度の値上げなら許容できる」「家計を圧迫するから嫌」「先生の研究に使われるのが嫌」「無駄遣いを減らせ」「関心がない」等の多様な意見が寄せられた。特に大学の無駄遣いに関する意見を深掘りすると、CMや広告、大学グッズ、学内のオブジェ等が無駄だと考える学生が多かった。これはあくまで私の授業の受講生の意見であって学生の総意ではない。しかし、共感できる部分も少なくない。国立大学における広告・広報は近年盛んに行われているが、多くの大学ではその効果検証が不透明であり、統計的因果推論や機械学習・AI(人工知能)を用いたリアルタイムの効果検証まで行っている企業に比べ、大きく遅れを取っている感があるからだ。公共性の高い大学は多様な評価観点を必要とするため、企業と同等の効果検証を行うことができるわけではない。しかし、データサイエンスが隆盛を迎えているいま、一層精緻な広告効果のエビデンスが求められるべきだろう。
もう一つ、授業料(値上げ分も含む)が教員の研究に使われる点を懸念する学生の声にも注目したい。このような批判は一部研究者からも発せられているが、国立大学の収入全体に占める授業料(入学料・入試の検定料含む)の割合が国立大学全体で16%程度(令和4年度、大学間で2%〜30%程度の開きあり)、支出に占める人件費の割合が50%程度(令和4年度、大学によって40%〜70%の開きあり)である点には注意する必要がある。なぜなら単純計算では、授業料収入のみで教育活動を支える教職員の人件費を賄うのは難しく、運営費交付金(税金)に大きく依存していることになり、授業料を研究費に流用することは難しいと考えるほうが自然だからだ。しかし、授業料が教員の研究に使われることへの懸念も理解できないわけではない。なぜなら、一般的に大学教員は、教育よりも研究を優先すると思われており、そのため大学の資源が研究に偏重されているのではないかという疑念が生じても無理はないからだ。大学教員が初等・中等教育の教員と異なる点は、研究活動が職務かつ権利として位置づけられ、研究業績がキャリア形成における評価の中核である点であり、この点において確かに大学教員が研究活動に偏重し得るのも事実だ。実際、広島大学名誉教授の有本章らの先行研究によれば、特に日本の大学教員は教育よりも研究を重視しがちであることも示されている。
加えて、授業料値上げを契機に授業料の対価や使い道に神経を尖らせた批判が起こったことは、筆者には少し不可思議に感じられるところもある。なぜなら、一方で授業料(+値上げ分)を教育以外に使うことに対して懸念や批判がありながらも、他方で教員の授業を評価する絶好の機会である学生による授業評価は、多くの大学でその回答率の低さに悩まされているという“ねじれ現象”が見受けられるからだ。果たして、学生はどこまで授業料の対価としての“教育”を求めているのだろうか。
[news]