トップページ > 連載 高校生のための大学四方山話 > 第9回 大学教員は社会にどう認識されているのか
第9回 大学教員は社会にどう認識されているのか
2025/02/16
連載 高校生のための大学四方山話
第9回 大学教員は社会にどう認識されているのか
村澤 昌崇
近年、日本学術会議会員の任命について、政府と会議が緊張関係にある。これは令和2年に日本学術会議が会員として推薦した105人のうち、当時の菅内閣が6人を除外したことに端を発した問題であり、これを契機として大学の自治や学問の自由が俄にわかに論じられることとなった。もちろんこの議論はいまに始まったわけではなく、古くは戦前の滝川事件、美濃部達吉の天皇機関説、そして家永三郎の歴史教科書に対する検定などを発端としてたびたび議論は勃興し今日に至っている。
政府の介入に対する大学教員の抵抗は、科学の中立性や真理の探求への侵害に対する危惧の表れである。さらに日本の場合は、過去の戦争への加担に対する反省がある。しかしこの問題は、国家の安全保障にも関わるため、政府対学術界という二項対立で捉えるのはやや拙速だろう。また、大学の研究者は必ずしも率先して政府をはじめ外部に対して排他的というわけではない。すでに連載の第一回でふれた通り、研究の高度専門性とその評価のための同僚評価(PeerReview)、専門的な後継者養成の水準の高さゆえに、半ば必然的に素人に対して排他的な職能集団となり、外部との線引きが生じてしまうのだ。
第9回 大学教員は社会にどう認識されているのか
村澤 昌崇
近年、日本学術会議会員の任命について、政府と会議が緊張関係にある。これは令和2年に日本学術会議が会員として推薦した105人のうち、当時の菅内閣が6人を除外したことに端を発した問題であり、これを契機として大学の自治や学問の自由が俄にわかに論じられることとなった。もちろんこの議論はいまに始まったわけではなく、古くは戦前の滝川事件、美濃部達吉の天皇機関説、そして家永三郎の歴史教科書に対する検定などを発端としてたびたび議論は勃興し今日に至っている。
政府の介入に対する大学教員の抵抗は、科学の中立性や真理の探求への侵害に対する危惧の表れである。さらに日本の場合は、過去の戦争への加担に対する反省がある。しかしこの問題は、国家の安全保障にも関わるため、政府対学術界という二項対立で捉えるのはやや拙速だろう。また、大学の研究者は必ずしも率先して政府をはじめ外部に対して排他的というわけではない。すでに連載の第一回でふれた通り、研究の高度専門性とその評価のための同僚評価(PeerReview)、専門的な後継者養成の水準の高さゆえに、半ば必然的に素人に対して排他的な職能集団となり、外部との線引きが生じてしまうのだ。
しかし、問題はその「専門性」である。大学の研究者にとっては自明なその専門性も、はたして一般市民には、その専門性の高さや重要性、ひいては学問の自由や大学の自治の意義がどこまで理解・受容されているだろうか。ここでようやく前号の伏線回収となるのだが、前号では授業料値上げ問題を取り上げ、大学がまだ市民社会に十分受け入れられていないのではないかという疑問を呈した。そこで本号では、『教育社会学研究』第114集の共著「大学教員の変容と市民社会の認識:調査データから論じる学問の自由・大学の自治」で取り上げた、市民から見た大学教員のイメージ調査の集計結果を紹介したい。調査では大学教員を含むいくつかの職に関するイメージを市民に尋ねている。まずそれぞれの職が専門職であるかどうかを尋ねた問いでは、大学教員を専門職と見なす人は45・2%、医師・弁護士・小学校教員はそれぞれ86・8%、90・9%、49・1%だった。専門性の高さについては、大学教員を高いと見なす人は38・2%、医師は74・7%、弁護士は69・6%、小学校教員が31・1%だった。
さらに、倫理性についても尋ねており、大学教授を倫理性の高い職と見なす人は34・7%、医師・弁護士が6割、小学校教員が47・6%となっており、大学教員の倫理性が他の三つの職を大きく下回った。また、それぞれの職について「学歴が高い職である」と思うかどうかも尋ねた結果、「とてもそう思う」の割合は大学教員45・5%、医師82・9%、弁護士72・7%、小学校教員11・1%だった。一般市民の半数以上は大学教員を学歴が高い職だとは思っていないようだ。とどめは「社会にとって重要な役割を果たしている」職かどうかを尋ねた質問の回答である。この問いについては、大学教員職は16・1%、医師が74・5%、弁護士36・4%そして小学校教員が38・7%となっており、大学教員にとっては残念な結果となっている。その他詳細は上記論文をぜひご一読いただきたい。
このように、市民から見た大学教員は、その専門性や倫理性、教育水準、社会的重要性の評価において、一般的に専門職とみなされる医師・弁護士に比して高くはない。もちろん市民が抱くイメージと事実とは異なる点には留意が必要だが、こうした民意を無視もできない。なぜなら大学は、社会からは半ば独立して自主自律が保証されるべき存在であると同時に、社会の中にあって民主主義社会を牽引し、かつ「責任ある大学」として社会の負託に応え得るべき存在でもあるからだ。「大衆化」した大学教員は、混迷する現代にあってこれら問題のせめぎ合いに真摯に向き合えているだろうか。
このように、市民から見た大学教員は、その専門性や倫理性、教育水準、社会的重要性の評価において、一般的に専門職とみなされる医師・弁護士に比して高くはない。もちろん市民が抱くイメージと事実とは異なる点には留意が必要だが、こうした民意を無視もできない。なぜなら大学は、社会からは半ば独立して自主自律が保証されるべき存在であると同時に、社会の中にあって民主主義社会を牽引し、かつ「責任ある大学」として社会の負託に応え得るべき存在でもあるからだ。「大衆化」した大学教員は、混迷する現代にあってこれら問題のせめぎ合いに真摯に向き合えているだろうか。
[news]