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第4回 学校法人国士舘 西原春夫理事長インタビュー
2000/09/20
西原春夫(にしはら・はるお)一九二八年生まれ。
一九五一年早稲田大学第一法学部卒業。
一九五六年同大大学院法学研究科博士課程修了。
一九六二年より六四年、一九七九年ドイツ・フライブルグ市のマックス・プランク外国・国際刑法研究所に留学。
一九七二年より七六年早稲田大学法学部長。
一九八二年より九〇年早稲田大学総長。
一九八八年より九二年日本私立大学団体連合会会長、全私学連合代表。
一九八八 年より九三年文部省大学設置・学校法人審議会委員・副会長、九一年より会長。
一九八八年より九五年全国大学体育連合会長。
一九九一年社団法人青少年育成国民会議副会長、九三年より会長(現在に至る)。
一九九五年より九八年早稲田大学ヨーロッパセンター(ボン)館長。
一九九八年より学校法人国士舘理事長。世界の多数の大学より名誉博士号及び名誉教授を受ける。
求められる「人を活かし、国を活かす教育」 を私学で
教育改革への真摯な取り組みを
本紙 まず、学校法人国士舘の理事長に就かれた経緯についてお聞かせ下さい。 西原春夫理事長(以下敬称略) 国士舘の理事長にというお話は、九八年の一月、ドイツのボンにある早稲田大学ヨーロッパセンターの館長として赴任していた時にいただきました。この理事長就任の要請は、全く予期していないことだったんですが、ちょうどその頃、神戸の中学生の幼児連続殺傷事件や栃木県黒磯市の女性教師刺殺事件といった、常識を超えた非常に残忍な事件が続いていて、教育に携わる人間として何をやるべきかを考えていたときでもあったんです。日本の教育の力が明らかに低下している時に、その建て直しはどうあるべきか・・・ということをですね。
そうしてみると、国士舘はひところ社会の指弾を浴びた時期があったんですが、その建学の精神の中には実は現代にとって非常に大切なものがあるということに気づいたのですね。つまり国士舘は、日本の教育改革に光明をともすことのできる潜在的能力を持った数少ない学園だと考えたのです。これが最終的に理事長就任をお引き受けした最大の理由です。
また、私自身がドイツのボンにいた頃考えていたことなんですが、これからの日本人は『地球人』という視点とともに『アジア人』としての視点も持たなければならないということです。なぜヨーロッパの統合なのかということを考えてみると、『地域の統合』という世界的な大きな流れが見えてきます。いわばヨーロッパの統合というのは、来るべき地球規模での統合の前段階であり、今我々が考えるべきことは、『アジア人としての日本人』という視点ではないのかということです。
そういってしまうと、『大東亜共栄圏構想』という言葉が連想されそうですが、決してそういったものではなく、あくまでも「共に栄える」ということであって、日本が盟主であるという考え方ではありません。いずれにしても、そうした私の考え方と国士舘のあり方、方向性は一致していると考えていますし、そうした方向性が日本の将来に必要であると考えています。今に生きる創立者の理念を再構築し、方向性を提示
私の最初の仕事は、国士舘の建学の理念を現代に活かしていく思想を再構築するということです。物質文明を指導すべき精神文明を燃え上がらせようという創立者の設立主旨は、現在私が考えていることと一緒であるといっていい。社会の規範としての「道徳、礼節教育の必要性」「アジアの中における日本」という視点は、今こそ見直されつつ求められているものだと思います。その考え方を具体的にまとめ、進めていくことが私の仕事だと思っています。
「人を活かす」ための教育を
今回新設した武道学科、スポーツ医科学科は、そうした「道徳、礼節教育の必要性」、つまり「人を活かす」ための教育を行おうとすることの現れです。武の力を養いながら、その力を使わずに人を活かすということ、「道としての武道を極める」ことを学ぶ武道学科。そして、生涯スポーツの視点に立ち、高齢者スポーツに伴う負傷や急病に対処できる知識、技術を持ったスポーツ指導者の育成を行うスポーツ医科学科は、人の生命を救うばかりでなく、寝たきり老人を減らすことによって崩壊に瀕した国の制度を救うという位置づけで理解してほしいものです。
アジア諸国との交流「アジアの中の日本」への積極的な取り組みを
本学では現在、二〇〇二年度をめどに「21世紀アジア学部」の開設を計画しています。これはまさしく、私、そして国士舘大学が求める「アジアの中の日本」という思想を教育と研究の中で実現しようという考え方によるものです。具体的な内容についてはまだお話しできませんが、これからの時代に対応したアジア学、日本学の学問体系を構築した上で、その方面の人材養成に貢献するつもりです。
アジア世界の相互理解が必要
二一世紀はアジア諸国が「アジア」というまとまりをもって世界に登場する、有史以来はじめての世紀です。その時に、一番欧米を知る日本が、重要な役割を担うべきなんです。日本の立場というのではなく、アジアの立場という視点ですね。アジア学部を開設するというのもその考え方に沿ったものです。そして、それこそが、閉塞した日本の現状を打破し、新しい目標を若者に与え、やるべきことを提示するために必要なことなんです。
大学院重視は必要 総合的な見地からの議論が求められる
本紙 今、日本の教育に求められるものは何だとお考えですか。 西原 いろいろな問題があると思いますが、今、見逃してはいけないのは「いじめ」の問題です。いじめられている生徒、そして教育困難校で働く先生の基本的な人権の保障は誰がやるのか。これは考えなければならない。教育改革国民会議の中でも取り上げられていますが、具体的な取り組みについて考えていただきたいと思っています。
また、私は以前から日本の教育において「六・三制」に非常に問題があるといってきました。これについても今度取り上げられているようですが、その中で大学はこうあるべきだという指針が、どうでてくるのか非常に注目しています。
最近になって大学院重視という傾向がでてきていますが、これは正しいと思っています。その教育を「後期高等教育」と名づけ、そこが学問の府であるという位置付けですね。つまり「六・三制」における四年制大学は、学問の府としては、不十分かつ中途半端だと思っています。どうしても現状では、レジャーランド化せざるを得ないんです。そんな状況では、大学教育がぼけたものになり、国際競争力を失うのは当然のことなんです。ですから大学院重視という考え方はいいんです。
ただ大学院のあり方を考えるのは非常に大変なことです。例えば今、「ロー・スクール構想」が出されていますが、法学教育をロー・スクールだけですまさられるわけはない。現在の司法試験のあり方自体を考えなければならない、というところからロー・スクール構想は生まれてきたんですが、その時にロー・スクール以外での法学教育はどうするのかということが併せて議論されていない。法学教育全体もそうですが、大学院についての、総合的な見地からの徹底的な議論が必要なんです。
求められる柔軟な学部教育のあり方
では、大学院重視とした時に学部教育はどうするのかということになりますが、その点については、例えば大学院に行く場合は学部を三年間にする、あるいは三年間と四年間の併用にするといったように柔軟に対応したらいいんです。いずれにしても、いきなり高度な専門教育は無理なんです。教養教育が不可欠です。それも教養課目の併列でなく、多少の専門性を持った教養教育の体系が必要なんです。中等教育から後期高等教育へ円滑に移行するためにも必要です。専門的な考え方のバックボーンとなるべき教養教育です。それを学部でやるべきなんです。
時代にあった教育体制の確立を
本紙 これからの短大のあり方についてはいかがでしょうか。 西原 これまでとは異なる教育体制を考えれば、いくらでも生きる道はあります。たとえばアニメですけれども、これは世界に誇れる日本の技術といっていいでしょう。ですから「アニメ学科」を作っていい先生を集めれば、世界中から学生が集まって来ますよ。短大はその時に二年という枠組みにとらわれないで、三年になればいいんです。
教育改革国民会議でも今、大学を三・四年併用制にするという話がでているようですが、そうなってしまえば、短大は大学に合流できます。学制改革が議論されている今がまたとないチャンスなんですよ。
日本の社会も周辺のアジアもドラスティックな変化を遂げつつあるのですから、世の中が新たに求めているものを見究め、それに応じた教育体制を作れば生きる道は必ず開けていきます。本学もそれを進めていくつもりです。