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第6回 中部大学 飯吉厚夫学長インタビュー
2001/04/25
飯吉厚夫(いいよし・あつお)一九三六年生まれ。
慶應義塾大学、同大学院工学研究博士課程修了、工学博士。京都大学工学部教授。
一九九九年四月中部大学学長就任。
(社)プラズマ・核融合学会会長など歴任。
時代をリードする『ビジョン』の発信が大学の役割
「総合的視野」と「専門性」を併せ持った教養人を育成
時代が変わり、社会自体が大きな変革を余儀なくされる今、21世紀を担う人材を育成する高等教育機関の責任は重い。そうした中で、1964年に中部工業大学としてスタートして以来、84年に経営情報学部、国際関係学部を開設、さらに98年に人文学部、そして本年4月には、中部地方では初となる応用生物学部を開設するなど、時代のニーズを見据え、地域に開かれた「総合大学」としての地歩を固めつつある中部大学(84年に現名称に変更)。
今回の学長インタビューは、自らが先頭にたって「大学改革」を進める飯吉厚夫学長に聞く。
私学としての役割認識が重要―総合大学として学際的な広がりを
本紙 大学における教育内容のあり方等、大学運営は非常に難しくなってきています。まず、そうした現状についてのお考えをお聞かせ下さい。
飯吉厚夫学長(以下敬称略) 確かに今、大学はいろいろな問題を抱えています。少子化の問題はもちろんシリアスな問題ですが、それ以前に社会や時代が変わろうとしているということが大きなポイントです。大学というのは、どんな時代になっても、どのように社会が変わっても、その国の基準がしっかりしているかどうか、その国のレベルがどうなっているのかを計るための一つの非常に大事な存在です。大学がしっかりしているということは、その国がしっかりしているということです。それが基本であり、社会や国民の期待でもあります。
大学というのは、これまで日本の一つのステイタスとして、真理を探求していればそれで良かったんです。しかし、今はそういう時代ではありません。今の日本社会の場合、経済も政治も行政も教育も全部方向性が定まらない状態の中にいるということがいえます。そんな時ですから、恐らく国民は、大学からいろんなことを発信してもらいたい、知性と伝統のある大学から、今の世の中に対する提言なり、批判なりがもっと出てきて欲しいと思っている。しかし、実際にはどうもそういったものがあまり出てきていない、国全体がどこへ行っていいかわからないというようなことがあるんじゃないでしょうか。
そういう意味で、大学全体の責任は非常に重い。今こそ、大学人がしっかりとした姿勢と考えをもって世の中に提示しなければならない。日本自体が大きく変わっているということに対しての危機感が、まだまだ大学には足りないと思いますね。
時代は二十一世紀。二十世紀は科学技術だけが突出して発達した時代だと言っても過言ではありません。生活が豊かになり、寿命も延びて、日本は物質面では豊かになったでしょう。ところが、その行き過ぎた部分が今、顕在化しているわけですね。環境の問題もそうですし、諫早の問題、クローンの問題等もある。21世紀はどういう時代なのかを考えることが非常に大切なところです。
もちろん、21世紀に科学技術の進歩がいらないということではありません。科学技術をさらに進歩させ、洗練する必要があります。そのときに、今までのように、科学技術一本槍で突っ走ればいいという時代ではなくて、専門性を備えながらも、それ以外に総合的なものの見方というものが非常に大切になっていくのではないでしょうか。
例えば、従来の工学部の機械の学生なら、自動車のエンジンとかトランスミッションを一生懸命に改良して、いいものをつくり、それで一生技術者としてやっていけたでしょう。しかし、今の車というのはカーナビは入っているし、エレクトロニクスが絶対に必要になってきている。さらに、排気ガスの問題が出てきて、化学や環境汚染の知識も必要になってきた。工学部だけの話でも、一つの専門分野だけではやっていけないということです。幅広い視野を持った企業人、技術者を育てていかなくてはいけないんです。それはその他の分野でもいえると思うんですね。
諫早の問題でも、ダムという土木関係者だけを見れば、立派なものを作って大成功で業績になるわけですが、あれを作ったために、海苔もできなくなり、諫早の自然がくずされたという。しかし一方では、干拓事業が必要だった。漁業に関する対策も必要だったということですね。本当は建設する最初の段階で、そういうアセスメントをちゃんとやるべきだったんですね。いろんな専門分野の人をいれてトータルに考えていこうという。
要するに、21世紀というのは、科学技術をもっと発達させなければいけないけれども、もっと総合的な視野から開発を進めていく必要があるということです。
本学には文科系として国際関係学部がありますが、これだってグローバルになって、地球の反対側のことがすぐ伝わってくるような時代ですから、日本の中だけで、研究していていいのかという問題もあるわけです。もっと、今のインターネットを活用したり、どんどん現地にふみ込んでいくような、そういう教育も大事だろうし、文化の共通性と同時にその独自性を大切にする教育も大事です。
大学はそういうことを積極的に提言して、なおかつそういう学生を育てていく。桜美林大学の寺ú±昌男教授の言われる『専門性を持った教養人』ですね。それが、これから大事なことではないかと思うわけです。なかなか云うは易しで、難しいですけれども、そういうものをカリキュラムの中にも、取り込んでいこうということで今、本学でも教育改革に取り組んでいる真っ最中です。
それから、もうひとつ心配しているのは、国立大学の独立法人化です。そこにいく前に、国としてやっておくことがあると思うんです。日本の大学には国・公・私立の三種類があって、高等教育、つまり大学教育というのはその三つがそれぞれの特徴を持ちながら行われてきたわけです。ところが、現在の国立大学の法人化については、そういう日本全体の高等教育をこれからどのようにシェアしながら、人材を養成していくのかということに関しての議論があまりなされていないように思うんです。
独立法人化とは国立大学の民営化です。私学との関係はどうなるのかといったような問題が、なぜもっと浮かび上がってこないのか。少なくとも国立大学にしかできないことというのがあります。何百億もかかるビッグプロジェクト、ビッグサイエンスというのは私学単独ではとてもできません。それでも国のためにナショナルプロジェクトとしてやるという場合には、やはり国立大学がやらないといけないんじゃないでしょうか。それから、いわゆるポピュラーではない、ごく一握りの学生しか興味を感じないような研究でも、大事な研究というのはあるんです。例えば、去年と一昨年、O―157が流行したときに、国内ではその細菌の性質がわからないというわけです。日本の大学では研究している人がいないので、やむなくアメリカのある研究所の研究成果を受けて日本で対策を施した。これはあくまでも一例ですが、そういった研究は、国立大学でなくてはできません。
ですから、国立大学でもそういう純粋な基礎研究をやるところは、国立のものとして残す。一律に独立法人化ということではなく、そうしたことを踏まえた上で、私学との関係をどうするのかということも考えるというスタンスが必要なんじゃないでしょうか。全体を見て、大事な学問が抜けているようでは、高等教育国家とは言えないのではないかと思いますね。今までの日本の高等教育は国際的に評価されていないと言われながらも、いくつか評価された部分もあったはずなのに、そういうものもなくなってしまう。そういった点について、もっと深く議論していただきたいと思っています。
そして私は、そういうバックグラウンドの中で、今こそ私学はがんばらなければいけないし、実際みんな、がんばっていると思います。これからの時代を支える人材を育てるという意味において、私学の責任がますます重くなってきたという認識を持っています。
バイオテクノロジーの知識は不可欠―『総合科目』『副専攻』導入でニーズに対応できる教養人を育成
本学としては、そうした認識から、やはり時代にマッチした、できるだけ時代を先取りした、社会のニーズに応えられる学生を育てて世の中に送り出したいと、いろいろな改革に取り組んでいます。
その一つが、今年から開設した応用生物学部です。21世紀に求められるのは、バイオテクノロジーです。バイオサイエンス、バイオテクノロジーというのは今、非常にもてはやされていますが、学部としてできるというのは先駆的なことです。農学部や理学部の中の応用生物ではなく、もっと広い社会科学を含めてより総合的なアプローチが可能になります。これは全国的にもまだ少ないと思います。これからは、生物学的な基礎知識を持つことは、工学系でも人文系でも必要になってくるでしょう。本学としては、これで工学部、国際関係学部、経営情報学部、人文学部、そして応用生物学部と、技術、国際化、情報、バイオといった基本的に21世紀に必要とされる大事なものは一応おさえたつもりなんです。総合大学としての形は整えられたということで、後は総合的な視野を持った専門家をどうやって育てるかということですね。
今年の4月からのカリキュラムは、それに沿ったものです。去年からスタートした本学の教育改革において、教養科目をどうするか、専門科目をどうするかを検討し、いくつかの成果が出ています。
一つは『総合科目』の採用です。これは新入生全員を対象として夏休みまでの半期に、本学の全体像を知ってもおうというものです。各学部で何を教えているのか、どういう学部なのかということをそれぞれの学部の先生から、講義をしてもらうのです。いずれ専門に進むにしても、本学としての総合的な視野、土台を知ってもらうということです。私がトップバッターとして、「大学でいかに学ぶべきか」「中部大学の建学の精神とは何か」といったことを話しました。学生は、非常に真剣に聞いてくれていましたね。これは本学でどう学んでいくのかを考えるための一つの取っ掛かりですね。
もう一つ、『副専攻』というシステムがあります。これは、例えば機械工学科の学生が、他の学科の講義も聞けるし、それから他の学部の講義も聞けるというものです。これによって、機械工学科の学生が化学的な知識を持つとか、もっと進めば、応用生物も学ぶことができる。そうすると、卒業式のときの証書には、あなたは工学部機械工学科を卒業しましたということと、副専攻は応用生物を勉強しましたということがわかるわけです。これは、企業の人にとってみれば、機械工学科を出て、バイオもできるのかという話になりますね。これは先ほどから申し上げている総合的な視野を持った専門性に通じるもので、将来的にはそういうふうな方向に行くだろうと思っています。
今は、これをしっかりと全学を挙げてやっていこうということです。そういう意味でも、教育改革というのは、少しずつ浸透してきてるはずです。
また本学は、いろんな入学試験を実施しています。特技推薦とかAOも一部やっています。AOはまだ完全ではなく、専門高校卒業者を対象としていますが、その他、一般の筆記試験だとか大学入試センターの試験でも入ってくるということで、とにかく多様な学生が入ってきます。これは可能性の追求でもありますし、学内の活性化を図る上でも必要です。ただ、ここで注意すべきは、入試は多様だけど、入ったら画一的な教育だったなんてことでは、何のための多様化だかわからないことになってしまう。そうなってしまったら、全く無意味ですね。
例えば、特技推薦で体育系の優秀な人が入学したとします。その学生にとってみれば、他の学生と同じような実技を課すというのは意味がないわけです。確かに入学したからには、他の学生と同じにしないと公平ではないという意見もあるんです。しかし、大学の方針としてそういう学生も本学にとって大事であり、そういう学生をさらに育てるということも大学の一つの使命なわけです。そうであれば、そういう学生にはクラブ活動というか体育活動をやっていれば、それを単位に認めるといった措置はあっていいと思うんです。
しかし、そういう一見当たり前のことが、今まであまり行われていなかったということで、今年からそれも取り入れていきます。これは一つの例ですが、やはり入ってきた学生に多様な対応をすることによって、それぞれ才能を伸ばしていくということが大切です。四年間でちゃんと各学生に付加価値をつけて送り出すというのは、大学の大きな使命です。
今言ったようなことを踏まえて、教育改革のもう一つの目玉としているのが『少人数制』なんです。これは、一方通行の講義ではなく、少人数教育をやりましょうということでゼミとか演習といったものを重視しています。いわゆるインタラクティブな、双方向のコミュニケーションをする。先生と直に接して、先生の人格、人間性を通して学問を身に付けていくということです。そのためには、入学当初の学生のレベルはいろいろと違いますから、それに合わせた構成も大切になってきます。
例えば英語ですと、本学ではフレッシュマンテストというのを実施して、その結果でクラス分けします。学生個々の進歩にあわせてクラスを変えていくという形です。語学教育は、そのほうが効果が上がりますね。また同じ学科でも、最近は専門が非常に広くなっていますから、専門性によってある程度コース分けをするといったことも行っています。できるだけ学生のニーズに対応しようということです。
その他、大学院の見直しも始めています。二年生ぐらいから、大学院、つまりマスターまでいくようなアドバンスコースのようなものも考えています。これはまだ検討中ですが、来年くらいから実施したいと思っています。
こうしたことを実施すると、当然の事ながら、これまで何十人、何百人という単位だったものが十人、二十人といったもっと小さな単位でのゼミができるようになりますから、ゼミ室といったハードウェアの方の整備もしながら、良い効果をあげていきたいと考えています。
本紙 最近多くの大学で導入されているAO入試について、どうお考えですか。
飯吉 実施にあたってはなかなか難しいところもあると思います。私は、AO入試っていうのは、スカウトだと思っています。プロ野球とか芸術でもそうだと思うんですけれども、見る人が見ればわかりますよね。自分の例でいうと、私もやはり、高校ぐらいから、理系だなと自分で思いました。物理や数学をやっていると楽しいんです。成績もそのほうがいいんですね。その辺のところが、基本ではないでしょうか。
自然科学とか、物理の話とかそういった話のときの学生の目の輝きとか、そういうのはわかるもんじゃないでしょうか。ですから、誰が見るかっていうことが重要なんです。大学に入る、本学の工学部なり応用生物学部に入ってきて、ちゃんと立派に育つというような学生はわかると思います。ただ、今までの大学は、いい学生を取りたいということに、あんまり努力してこなかったんじゃないでしょうか。
AOではありませんが、「わかる」ということでいえば、高校の先生でも同じような側面があると思います。理科の先生が例えば、この生徒はこの学部に行けば伸びるなということを思い推薦しているのであれば、大学としてはやはり、その推薦を大事にしたいと思います。
本紙 偏差値教育の弊害がいわれ、入試改革が進む一方で、学力低下のことが言われますが、その点についてはいかがでしょう。
飯吉 学力は知力の一部です。感性も含めた全体としての知力は低下しているとは思いません。どうしても高校では、一方通行であってもとにかく知識として、ある程度の基本的な知識を身に付けておかなければいけないということがあります。それはそれで、非常に大事なことだと思います。しかし、それだけではなく、「高校時代にしっかりやっていれば、それは将来やりたいことを大学に行って学ぶ時の基本につながるんですよ」と、教えることが必要なんでしょうね。
やはりあまりにも今までが、偏差値、偏差値と騒がれすぎたところがあったと思います。知性、インテリジェンスというのは、偏差値だけじゃないんです。インテリジェンス、知性も総合的に理解しないといけないんじゃないでしょうか。
例えばつめこみ的な傾向ではなく、科学の場合は実験とか観測とか、そういったものが非常に大事ですから、そういうものを通していろいろ自然の面白さとかを教える。あんまり色んなことを教えなくていいんですね。わからないことはまだいっぱいあるという、そこのところを味わってもらえればいいんです。その後は、大学にある程度はお任せくださいということですね。
それに学ぶことは、人生とイコールなんですよね。ちょっと大げさかもしれないですが、大学というのは、一生学びつづけられるノウハウを学ぶところです。とにかく、学び方を身に付けていれば、社会に出て何も怖くはないでしょう。ところが学び方がわからないと、独りよがりになったり、自分で何でもかんでもやろうする。しかし、そうすると人間の能力なんて微々たるものだから苦しくなってくるんです。
学問というのは、先人たちが延々と試行錯誤で組み立ててきた『学』という体系を通して、その上にさらに新しいものができてくるわけで、その学び方を理解してもらえればいいんです。今までわかっていることをまず勉強して、さらにその先をやれば、新しいことができ、創造的なことができるということですから。その点が、文化講座や新聞講座、あるいはテレビ等で話を聞くということとは基本的に違うところです。大学で学ぶ学び方っていうのは、学問を通して、先生を通して長い人間的なふれあいの中で身に付けていくものです。ですから、どんなにマスメディアが発達しても大学は存続すると思います。学ぶことは最初はつらいけども、わかるととてもハッピーになる。それを大学の四年間で経験すれば、学生は社会に出ても充分やっていけると思います。
本紙 教育を受ける機会の多様化ということでいえば、他大学との単位互換についてはいかがでしょうか。
飯吉 今、中部地区に愛知学長懇談会があります。これは国立も入っているし、私立も全部入っているんです。そこで、単位互換についての案も出ています。現在は、具体化に向けた検討をしているところです。外国とはやっています。オハイオ大学ですとか、姉妹提携した大学がありまして、長期派遣をしたら、その間向うで受けた単位をこちらで認定するということはやっています。
単位互換については実施してもいいかなとも思うんですが、ミスマッチのないようにすることが大事ですね。そこを考えていかないと長続きしないんじゃないでしょうか。
『トップダウン』ではない、全学挙げての『大学改革』―多様化への対応が基本
本紙 今、進めておられる学内の改革は、どのような形ですすめられているのでしょう。
飯吉 去年の4月から、「大学教育改革委員会」が発足しています。私が委員長ということで、その下に二つの大きな部会があります。一つは教育課程部会、もう一つは教育評価部会です。教育課程部会の中には、教養教育ワーキンググループと専門教育ワーキンググループの二つを設け、できるだけ大勢の先生に参加していただいています。先程の総合科目を作ったり、さまざまなゼミの構成を考えるといったことは教育課程部会から出てきたものです。教育評価部会の方でも、教員の表彰制度をつくるなど、新しい提案をしていますが、こちらは今年と来年の2年で結論を出したいと思っています。
もちろん、一年目でも、これはやったほうがいいなというものはどんどんやります。本学の建学の精神は不言実行ですからね。おかしければ、その都度修正するという考え方ですね。それに、トップダウンではダメなんです。みんなで考えて実行しないと。実際現場の先生が、それを真摯に受け止めて、自分の授業、教育に反映してもらわないと何も変わりません。それから、学生の参加も大事です。それが基本です。
実は私は、昨年ここの学長になったんですが、最初に私がやったことは、全学生に対するアンケート調査でした。その学生の意識調査が改革のベースになっているんです。そこに、授業が面白いとか面白くないというようないろいろな意見がありました。そこで、これはちょっと中部大学の授業の内容を変えなければいけないな、ということになったんですね。
ですから、本学の改革は教職員はもちろんですが、学生も含めた文字通り全学を挙げてのものなんです。ここにOBが入ってくればさらにいいんじゃないでしょうか。
「大学はいかにあるべきか」、そして「中部大学はどうあるべきか」という問いへの答えを見出すためにも今、学内の改革は必要であり、どんどん進めていくつもりです。それがすべからく学生のためになるんです。