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第8回 早稲田大学 奥島孝康総長インタビュー

2001/08/25

奥島孝康(おくしま・たかやす)

一九三九年生まれ。

一九六三年早稲田大第一法学部卒業。

一九七六年同大法学部教授、同年法学博士。

同年より三年間パリ大学交換研究員。

一九八一年教務部長。

一九八六年図書館長。

一九九〇年法学部長等歴任。

一九九四年早稲田大学総長就任。

韓国国立全北大学名誉博士、中国人民大学名誉教授、ウズベキスタン世界外交経済大学名誉博士、ロシア極東大学名誉博士、韓国東亜大学名誉博士、フィリピン・デ・ラ・サール大学名誉博士、マプア工科大学名誉博士。

日仏法学界理事、コーポレート・ガバナンス・フォーラム理事長、日本スポーツ産業学会理事長、日中法学会理事長、日韓法学会理事長、日本私立大学連盟会長、日本私立大学団体連合会会長、全私学連合代表、文部科学省中央教育審議会委員他。

「現代会社法における支配と参加」「フランス企業法の理論と動態」「現代企業法の理論と動態」「フランス競争法の形成過程」「私の大学論」「進取の精神」他著作、論文等多数。

変わりゆく大学、短大―二十一世紀の展望 大学は地球の未来防衛に向けての前衛

本紙 まず、これからの高等教育のあり方についてお考えをお聞かせ下さい。 奥島孝康総長(以下敬称略) これからの大学がどうあるべきかというよりは、これからの世界がどうなっていくのかを考えることが重要です。そしてそれは、二つの側面から考えられるんじゃないでしょうか。

一つは、『教育立国日本』の実現。これを私たちは、私大連(日本私立大学連盟)でも一貫して唱え続けてきています。日本の未来を考えていくと非常にはっきりしているじゃないですか。資源は何もないですし、あるのは人間だけといっていい。しかも、この人間が少なくなってきている。そうなると、教育に力を入れることこそが、日本の活力を生み出すことになるのです。もう一つは、地球人類の最大の課題というものを大局的に捉えた上で、その解決にどう寄与するかについて、大学が総力を上げて取り組まないといけないということです。これまで、地球人類の課題について大学がどう取り組むかという発想はほとんどなかった。これからの大学というものは、地球人類の課題ということを絶えず考えて、その課題の部分部分をそれぞれの大学が担っていくというような工夫をしないと、新しい世の中というのを拓いていくことはできない。大学の未来もない。

 ですから、大学はどうあるべきかということは、まず地球人類の未来というものをどう構築するか。では、そのために大学というのはどうあるべきか、というように考えるべきだと思っています。

 そういう考え方からすると、とにかくまず『教育立国日本』を実現しなければならない。「米百俵」で国づくりをやっていかなければいけない。知的存在感のある国づくりですね。そして、その知的存在感というものの方向性というのが非常に大事です。限られた時間の中で明確な方向性を見出さないと、地球人類の未来は暗い。未来を明るくするためには、あらゆる角度から地球人類の環境問題に取り組んでいけるような大学づくりをやっていかなければいけないんです。これからの大学がやっていかなければいけないことは、「地球の未来防衛にむけての前衛」でなければいけないということです。

本紙 地球の未来ということであれば、日本国内だけではなくて、世界の教育機関との連携というのも必要になってきますね。 奥島 それは、非常にはっきりしていることです。要するに、「棲み分け」をするということが非常に大切になってくるんです。

 棲み分けをするということは、お互いに自分たちが得意とするところで力を発揮するチームを組むことによって相互補完により力を高める、総合的な力を創っていく、これが大事なことです。私が今、日本の大学体制の中で一番問題だと思うのは、ワンセット方式の考え方なんです。例えば、東大にはあらゆる学部とかいろいろな研究施設がそろっている。それからそれよりちょっと規模の小さい大学でも一揃いそろえていくというように、東大と同じことをやっている。これは、資源の無駄づかいです。資源というものを有効に使っていくためには、棲み分けをやっていく。つまり、各大学の得意な部分を伸ばして、資源を最適配分していく。各大学が個性をもつ、得意な分野をもつ、それぞれ突出した部分をもつ。そして、国全体として大きな力が出せるようにです。

 これは、本学のような私立大学の場合、特に考えなければいけないことです。国立大学の場合には、学生一人に四五〇万円の国費がでます。旧帝大といわれるところは一千万円とも一千五百万円ともいわれる。しかし、私立大学の場合は十五万円です。これに授業料八十五万円をプラスしても百万円。単純に考えれば、こんな十対一とか、十五対一というような格差の中で東大と同じようなことをやっていたら、私立大学はすべて二流、三流、四流になってしまう。同じような考え方で戦うというのは、間違っているんです。 例えば本学は、本学らしい志が発揮できる分野において突出したものをつくればいい。そこでは東大に負けない。そういうように早稲田は東大と違うという、その違いを出していかなければならない。この大学は東大と違う、この大学は京大と違うと、みんなが違いを出していかなければならない。それこそが、その大学の存在理由になってくるわけです。そういう存在理由をみんながつくっていかなければ、結局二流、三流はいらないということになって、淘汰されてしまいます。もう五、六年前から言っているのは、この棲み分けなんです。

 各大学は、それぞれ自分の足りないところがあるわけですから、足りないところはコンソーシアムでもって、仲間として組んで、補っていけばいいんです。本学は今、隣近所で単位互換のコンソーシアムを組んでいますが、世界中の大学ともコンソーシアムを組むべく努めている。総長に就任したときには、協定校はわずか二十九校でしたが、今は三百校近くなっています。本学がもっていないものを学生たちは協定校に出かけていって勉強することができる、鍛えられていくことができるという、そういう仕掛けを作る必要があります。実は、これが単に教育の効果を高めるだけではなくて、研究に対する大きな刺激にもなると思っています。研究のコンソーシアムでは、非常に投資効率のよい資金の配分が行われるからです。

 とにかく、本学らしい志を明らかにしていかなければならない。では、本学らしさとは何かといえば、教育面では、世のため人のために汗を流そうという、そういう学生を養成していくことです。世のため人のために何をなすべきかを考えて研究の焦点も置いていかなければならないのは当然というべきです。

 例えば今、本学が力をいれているのは、一つはアジア太平洋地域の研究・教育のネットワークをつくっていこうということです。そこでアジア太平洋の未来を担うような若者たちのネットワークをつくっていく。そのためにアジア太平洋研究科という大学院をつくった。それからそのネットワークをつくっていくためには、やはり情報通信の分野を強めなければいけない。また、学生たちが絶えず世界を見ながら、そして自分たちが何をなすべきかということを考えていくためには、世界を見ることができる環境をつくる必要がある。これは明らかにITです。ですから、国際情報通信研究科という大学院をつくった。それも単にテクノロジーだけではなく、ソーシャルサイエンスまで含めた幅の広いものをつくっていく。そしてまた、国際化が進めば進むほど、日本文化に磨きをかけていかなければならない。日本人としての良さをつくっていかなければならない。日本の国としての良さをつくっていかなければならないんです。それはアメリカを真似ることではない。フランスを真似ることでもない。真似で済むなら、日本はそんなにがんばる必要はない。頑張らなければいけないのは、日本の良さ、日本人の良さ、日本の文化の良さに磨きをかけるということです。そして日本文化の一番の中心は何かといえば、日本語です。だから、日本語教育研究科という大学院を新しく今年の四月からスタートさせました。これを中心に、本学は日本文化というものをしっかり担っていく、そういう決意を表明したつもりでいます。

 本学の主たる研究教育ネットワークの対象は、アジア太平洋と日本だということです。どうも今までは、日本を捨てることが研究・教育のためには必要であるというような、間違った考えがあったように思いますが、もう一度早稲田という泥臭いカラーを復活しなければならない。それが早稲田の特色なんですから。

 本学は、かくして、視野は広く高いけれども、しかしやっていることといえば非常に泥臭い、足元をしっかり固めて着実に一歩前進することを目指さなければならない。「早稲田が耕し、慶應が種まき、東大が収穫する」という言われ方をすることがあるんですが、もし、そういう役割分担があるとしたら、我々は喜んで土を耕さなければいけない。そこに本学の存在価値を見出していかなければいけない。刈り取る側ではなく、耕す側という泥臭いぐらいの役割でいいんです。この泥臭さというのは、アジア太平洋とか、日本とかの土着文化をしっかり育てる。つまり、そういうところから世界というものへ寄与する。つまり日本の良さをつくるということが国際社会へ仲間入りをすることなんです。そういうことをきちんと考えた大学になっていかなければならないのです。

 今、本学ではいろんなことをやっていますが、次の取り組みとしては、どこの大学もやっていない幅広いテクノロジーからソーシャルサイエンスまでカバーする環境系の研究所をつくり、大学院もつくろうということを考えています。実はもうプロジェクトが組まれていて、どこにも負けないような特色のある地球環境系の大学院をつくろうということで検討を進めています。これこそが、地球人類の一番の課題ですからね。

 まだまだ考えていることは、いくらでもあります。何といっても本学には一一九年の間に築き上げた一つの伝統があるんです。その点で今、何よりも残念なのは、昭和恐慌時の石橋湛山、高橋亀吉、小汀利得といった、社会に希望を与え、方向付けのできるエコノミストが現在本学にいないということです。本学は伝統的に、民間のエコノミストをきちんと育ててきたはずなんです。現に民間エコノミストのかなりの部分は本学出身者です。しかし大学には育てる能力がない。その点を考えて、金融系の大学院をつくる準備をしています。兜町の近くにつくるつもりです。

 そのような形で本学が一一九年間に培ったもの、本学らしい伝統、理念、そうしたものを体現している教育分野を強めるということで、本学の未来を切り拓き、日本の未来を切り拓き、人類の課題に挑戦できるようにしたい。大げさな表現かもしれませんが、そういうことになります。

迫られる自己改革―素早い対応がカギ

本紙 国立大学の法人化という流れの中で、『トップ30』ということが出てきていますが、その点についてどうお考えですか。 奥島 その点については、私大連の会長の立場から言いますと、国立大学の独立行政法人化について足を引っ張ったり、邪魔したりするというようなことはありません。それどころか、きちんとやってくださいとエールを送りたい。しかし、一言いわせていただきますと、国立大学は独立法人になれば、私学と同じ学校法人になる。その時は、同等の大学としての扱いを考えてほしいということです。もともと日本は、教育に対する公的支出がGDPの比率でいうと欧米の半分なんです。では、なぜそれほど教育費が少なくて高い教育水準を維持できているかというと、理由は非常にはっきりしています。それは私立ががんばっているからです。私立が日本の教育水準を維持しているわけです。

 ですから、国立大学を法人化するのなら、うんと手厚くしても結構、もっと手厚くしてもいいんですが、私立にも、法律では五十%まで経常費補助をすると決められているわけですから、せめて今の十一%じゃなく、十二%、十三%と毎年一%ぐらいあげるぐらいのことは考えてもらえませんかと言いたいのです。競争条件を同じにしてほしいと言っているんです。

 とにかく、そういうことをちゃんとやってほしい。逆に、補助金を増やしてくれということは、その補助金に見合う以上の内容の教育をやっていますということを明らかにするために自己点検、自己評価もやる必要があります。連盟では、今年の三月には、自己点検・自己評価の検討委員会や情報公開の検討委員会をつくっているんです、我々は同等を主張する以上、そういうことをきちんとやりますと言っているわけです。ですから、ちゃんとした業績をあげているところには、国立大学と同じように資金的なバックアップをすべきじゃないですか。場合によっては、国立大学より私学の方が業績をあげていることが明らかになったなら、その国立大学の方ではなく、私学の方に力を入れたっていいじゃないですか。そういう形でこれからの教育を考えてほしいということを、私大連として主張しているのです。

 ところで『トップ30』についてですが、文科省はいろいろなことを言っています。特定の三十校だけではなく、いろいろな分野でそれぞれ三十校を意味するなんて説明もありますが、それは国立大学に対するアピールだと思っているんです。『トップ30』といっているのは、三十校の中には国立大学ではせいぜい二十しか入れない。そうすると国立大学が九十九あるわけですから、当然のことながら、残りはどうするのかということになります。それは、思い切った改革をしなかったら、国としては面倒を見ませんよということを、黙示のメッセージとして言っているんだと思うんです。あるいは、今の九十九ある国立大学を三十ぐらいに再編成して、これだけは世界超一流のものをつくる、そして残りは自由にやってもらおうじゃないかと考えているのかもしれないという穿った見方もある。ただこれは、限られた資源を今までのようにばらまくことはしないというメッセージとして捉える見方もできます。

限りある資源を有効に活用するためには、競争的研究資金の配分方式が必要であり、これを全面的に打ち出してきたということですね。逆にいうと、これまでみたいに普通にやっていれば自動的に割り当てがあるという時代ではなくなってくる。相当がんばらない限り資金の配分を受けることができない、ということになってくる。だから、そういう資金の配分を受けることのできるような大学になっていくにはどうしなければならないかという視点が必要です。そういう意味で、これから大学はますます自己改革を迫られるでしょう。そうならざるを得ないと思っています。そしてそうした動きに素早く対応できる大学が生き残っていくのです。

本紙 その意味では、早稲田大学のように伝統をもっている、これからやろうとしていることも見えてきているという大学はいいといえるのかも知れません。しかし、そうではない大学というのは、非常に苦しい立場に置かれる。その点についてはどうでしょう。 奥島 その点について私大連では、まず、どういう場合が危機的な状況なのか、そして危機的な状況の場合にはどういう選択の余地があるか、それを研究して加盟校へ参考として提示していくことにしています。その先はそれぞれの大学が判断していくよりしようがないことです。

 私大連として考えることは、会員個々が同一の情報をもっているということであり、これが重要です。みんなの智恵を出してみた上で、同じ智恵をみんなで共有した上でそれぞれが独自に決断する。その決断をするところとしないところがあるかも知れませんが、それは自己責任の問題になります。しかし、情報だけは加盟校みんなが共有する必要がある。そこに連盟というものの存在価値があるということです。

学生中心の大学づくりで『開かれた大学』を実現

本紙 東京女子医科大学との連携、大学院のあり方についてお聞かせ下さい。 東京女子医科大学と本学は、以前から関係が深く、研究上にとどまらず、本学の診療所に協力していただいているというように、多くのつながりがありました。それで話がどんどん進んできて、大学院の連携にはお互いメリットがあるんじゃないかということになったんです。例えば本学では人工心臓、人工血液といった研究をしていますが、それらを組織的に一緒にやろうということです。

 これまで本学の理工学部には生物系がなかったんですが、現在は生物系の人たちを理工学研究科の「生物理工学」という大学院レベルでグルーピングしたわけです。そこと東京女子医科大学の大学院とが共同研究をやるということにしたんです。本学には現在医学部がありませんが、いずれは作りたいと思っています。

 いずれにしても、一緒にやっていくということは、非常に相互メリットが大きい。両方がそれぞれ必要なだけのスタッフをそろえると大変なことですが、位置関係が歩いて通えるぐらいの距離ですから、メリットが大きい。現在、お互い非常に良い関係でやっています。こういう形を少しずついろいろな分野で広げていく必要があると思っています。

 問題は、やはり、これからのバイオの時代に対して、本学がどう対応するかということですね。今、学内のいろいろなところに分かれているバイオ関連の教員を学部レベルで一つの学科にグルーピングして、大々的にやろうということも全学で検討しています。本学は、医学部はもっていないものですから、東京女子医科大学との協力関係は今後ますます強固になっていくでしょう。

 二十一世紀は科学技術創造立国と言われる中で、注目されている分野というのは『IT』。それから『バイオ』。そして『ナノ・テクノロジー』ですね。ナノ・テクノロジーについては、本学が一番進んでいる研究グループをもつ大学の二つか三つのうちの一つです。この分野は今後、大々的に展開していくということになります。

 結局、本学の一番の泣きどころは、バイオの研究体制をどういうものにするかというところです。バイオのある特定の分野については、本学が世界で二、三位のチームとしてランクづけされているのです。これを全体としてまとめて、P4レベルの研究ができるような、そういう体制まで最終的には持っていかなければいけない。それは、いずれ本庄新キャンパスでやるつもりです。本庄は、新幹線本庄新駅が二〇〇四年にできますから、そこは環境とITとで固めることにしています。環境の方は、アジアでも注目されるゼロエミッションの新しい研究開発拠点になると思います。それから、早稲田実業学校の跡地を今、改装していますが、九月からは都内ではもっとも大規模な学生中心のインキュベータになります。ここは二十四時間オープンのキャンパスにして、学生たちのベンチャーや産学協同のプロジェクト研究の拠点にします。シリコンバレーとまではいかないにしても、『早稲田アレー』なんていうのができてくるんじゃないかと思っているんです。

『人生劇場』の主人公は学生―高い“視野”が、高い“志”をつくる

本紙 早稲田大学らしさ、早稲田大学としての個性を明確にするという取り組みの中で、その個性を今後、高校生に対してどのように告知していこうとお考えですか。 奥島 いつも高校生たちに言っているんです。『早稲田で高い志を養おう。早稲田で夢をみよう』と。本学は、いろんな可能性というものが実現する場でなければならないと考えています。そのための仕掛けもずいぶんと作りました。これは、本学のシステムは学生が中心のシステムだということなんです。それを忘れちゃいけない。人生劇場の主人公は学生だというところへ持っていく。

 学生中心の大学づくり、学生のための大学づくりというところに今、本学は方向を切り替えています。そういう意味では、本学には、どんな要求をもっている学生たちに対しても、それぞれに答えが出るような止まり木があっちにもこっちにも用意されています。そして、この止まり木は、他大学では容易に用意できないものであると思っています。

 例えば、図書館のシステムは日本一だというぐらいに思っていますが、勉強したい者は図書館で、何でも勉強できる。それから、情報環境は、おそらく今、日本一といえるでしょう。早稲田の中に設置されているパソコンだけで一万五千台を超えていますし、二十四時間使用できます。そして例えば、法学部だけでも四百席位の学生読書室をもっているわけです。そういういろいろな学生が勉強できるシステムができている。

 運動施設についてもはっきり言いまして、都内の国立大学には決して負けない。持っている運動施設は相当なものです。その他に、学生たちの自主性を生かしたインキュベータがある。それから何よりも日本一という学生のサークル活動がある。そしてそれを入れる日本一の学生会館がもうすぐオープンする、といったように、学生たちの自主性を生かし、その要求を満たす止まり木というものを全学に仕掛けてある。学生は、学内のどこかで自分の座り心地のいい止まり木を見つければいいんです。そこで自分の志を伸ばしていけばいい。

 そのために本学は、門のない大学、自由な大学、要するに「開かれた大学」を実現しているんです。「オープン教育センター」を設けた結果、各学部間の壁が低くなり、かなり自由にいろんな学部の科目が選択できるようにもなっています。これが進んでいけば、学部の意味が半減する。実は、狙いはそこにあり、学部教育は本来、アメリカのようにリベラルアーツであるべきなんです。このオープン・システムは、どこの大学よりも進んだ制度のはずです。

 そういう意味で、学生たちに身に付けて欲しいと思っているのは、大局観です。高い視野です。それが高い志をつくります。そして早稲田というジャングルの中でもがいている間に、生きる力を身に付けてもらう。つまり、総合力ですね。そういった生きる力を大学の四年間で身につけることができたら、卒業後、どんな環境に入ってもたくましく生き抜くことができるはずです。

 本学が考える大学教育というものは、とにかく高い志をもち、どんな困難な状況でも生き抜いていく力を養うことを目指しております。ですから、そういう早稲田の学生生活に挑戦してみないかというのが、私の高校生たちへのメッセージです。

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