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第9回 東京女子大学 船本弘毅学長インタビュー

2001/10/25

船本弘毅(ふなもと・ひろき)

一九三四年生まれ。

一九五七年関西学院大学神学部卒業。

一九五九年同大学院修士課程修了。

一九六二~六四年米国ニューヨーク州のユニオン神学大学大学院に留学(SMT)。

一九七三~七四年スコットランドのセント・アンドリュース大学博士課程に留学、一九八二年同大より博士号の学位授与。

一九八五~八六年南メソジスト大学客員教授、一九七六年関西学院大学教授、一九九四~九八年同宗教総主事を歴任。

一九九八年より東京女子大学学長。

主な著書に『キリスト教と現代』『聖書の読み方』『聖書の世界―旧約を読む』『聖書の世界―新約を読む』他多数がある。

独自性の再認識から、明確なメッセージの発信を

 共学志向が強まる中、女子大の苦戦が伝えられる。果たして現代において、女子教育は必要ないのか。今回は、そのはじめより「一人ひとりの学生を大事にする」という理念による女子教育を行う東京女子大学の船本弘毅学長に聞く。(インタビューは九月六日)

教育全体の見直しの時期

本紙 少子化社会を迎える中での、これからの私立大学のあるべき姿についてお聞かせ下さい。 船本弘毅学長(以下敬称略)

 少子化についてはかなり前から言われていましたが、大学人から考えれば予想したよりも早いなという印象はあります。二〇〇八年とか二〇〇七年位かなというところでした。いずれにしましても、大学そのものが今までのように、学生をふるいにかける時代ではなくて、学生が大学を選ぶ時代がやってくるということです。当然のことながら。私学にすれば、学生が来てくれなければ経営ができないということになります。そういう意味では確かにピンチです。数字の上で、全入の時代が来るといっても学生はまんべんなく全ての大学に入学する訳ではありませんから、当然大学間での格差がでてくる。定員割れの大学はすでに出てきていますし、これから増えることが予測されます。国公立と違って、私学の場合、もし定員が割れると財政的な大きな問題が出てきますから、大学にとって、自らの生き残りがこれからのテーマになるわけです。そういう意味では危機的な状況を迎えているというふうに認識しています。

 しかし、少子化ということを、学生が来るか来ないかとただ否定的に、消極的に受け止めるだけではならないと私は考えています。今この時、第三の教育改革という言葉がよく使われるわけですが、第一期の明治期、第二期の終戦後の改革とは違って、各大学の内的な改革を迫られていると理解すれば、周囲の困難な状況の中で、改めて大学が何をすべきなのか、どのような独自性、特色を出していくのかということを再認識する時であるということですね。私学の場合であれば、それは建学の精神という場合もあるだろうし、建学の理念ということもあるでしょう。改めて建学の精神、建学の理念というものを自分たちのものとして受け止め直していく。そして本来私学が持っていた教育の理念において、理想において、精神において、この時代に、若い人たちに訴えていく。

 そういう意味では、これは単なる危機であるとか、大変であるとかいうことだけではなく、大学はもう一度再出発をする、よい機会でもあると受け止めるべきではないでしょうか。ただ大変だ、大変だと、どうしたら切り抜けられるかという方策ばかりを考えていくのではなく、方策も確かに無視できないけれども、この機会に改めて大学とは何か、自らの大学は何をするのかという、独自性を明確にしていく一つのチャンスが与えられていると理解する姿勢が求められているわけです。

 本来、私学とはある理念があって成り立っているはずです。極端な言い方をすれば、国立や公立は権利と義務、教育を受ける権利があり、教育を授ける義務があって成立しているという面がありますけれども、極端にいえば、私学は何もやらなくてもいいわけです。

 しかし、こういう教育をしたいという理念があるからこそ、私立の大学なり、高校なり、中学なりがあるのです。ですから、私学は今果たして、その精神に従って教育を行っているのかということが、厳しく問われていると考えるべきではないかと思います。

本紙 では、最近いわれている、国立の行政法人化については、どのようにお考えですか。 船本 これはもう一つの流れですし、その流れを積極的に受け止めて、国立大学もそれぞれの教育というものを見直していく、そして私学も見直していく、これからの日本の教育をどうするのかということを国公立、私立が一緒になって考えるべき時が来ているのだと思っています。今までの私学が持っていた精神というようなものが、国公立にも取り入れられていく、一つのチャンスだと思いますよ。

本紙 確かに現行の国立大学では、独自性というものは打ち出しにくいという面があるのかもしれないですね。 船本 そうですね。それが、これから難しいところではないでしょうか。

 確かに、国立の先生と私立の先生とは、考え方といいますか、置かれている立場の違いがあると感じています。国立にとっては、初めて受ける大きな変革の波ではないでしょうか。

 そうすると、国立がそういう意味で私学のもっていた良さを取り入れていくという形になった時、では私学はどうするのかということになってきます。私学がそこで問われるのは、学校の独自性というか、特色というか、教育の理念がますます問われてくるのではないでしょうか。

本紙 短大の置かれている状況についてはいかかでしょうか。 船本 短大の問題については、なかなか難しいものがあります。本学にも短大がありましたが、四年制に組み込んだのは、もう十二年ほど前になります。現在のように、短大が危機に陥ったことで四年制に切り替えたということではなく、新しい教育を行うために必要であるとの判断があり、本学としての、短大の使命は終わったという認識だったと思います。

 今の全体的な状況を見ますと、本当に難しいところだと思うんです。当然のことながら、短大には短大としての意味があった。しかし最近の傾向としては、短大が非常に厳しい状況だというので、四年制に改組している。しかし、実際には、かなり無理が行われているのではないでしょうか。それが果たしてよいのかという問題はあると思いますし、内容の充実した個性的な短期大学があってもいいのではないか、全てが四年制を志向しなくてもいいのではないかという気持ちはあります。

本紙 『全入時代』ということが言われる中で、学生の教育について、また昨年から導入したAO入試についてはどのようにお考えですか。 船本 これも大きな問題ですね。大学は、非常に一般化してきました。しかし、高校生のうち大学に入学するのはまだ半数ですから、日本全体で見ればようやく五十%になるかならないかだといういい方もできます。また、高学歴化がいわれますが、高校生の就職ということをもっと真剣に考えなければいけない。

二人に一人とはいえ、やはり大学というのはまだ限られた人しかきていないという、そういう認識が私たちの中で弱くなりすぎているのではないかということが一つの問題だと思います。

 そして、大学が一般化されたため、大学は高校の延長みたいなもので、本当の学問は大学院でやるという、非常に安易な考え方があって、大学はもうマスプロ化したというか、大衆大学でいいんだという風潮がある。これは、問題だと思います。

 大学には、大学としての教育というものがあるわけです。それを、みんなが来るようになったのだから一般的な教養だけをやっておけばいい、本当に勉強したい者は大学院で絞ればいいということになり過ぎてはいないか。そうしたことは、実は大学側の怠慢で、違う方法、方向性があるんじゃないかということです。今、少子化の時代がやってきて、改めて大学の意味が問われる中で、本当に一人ひとりの学生を見、丁寧な大学教育を通して、それぞれの大学の卒業生として自信をもって送り出すという責任を大学は持っているんです。

 本学は、一人ひとりの教育というものを大切にしてきました。これは東京女子大学を英語にする時にも現れています。普通であれば女子のところは複数形を使いますが、本学では単数形のWOMAN'Sを使っています。これは、一人ひとりの学生を大事にしていこうという強い意志が、スタート時の願いとしてあったのです。

 現在も、本学の一番古い寮が一つ残っていますけれども、これは全て個室なんです。八十年前に全て個室で作っているんです。普通、寮というのはみんなが寝食を共にしてという二人部屋、四人部屋というイメージがあると思うんですが、本学では、個室を設けた。本学は、キリスト教の基盤のもとに立っていますから、一人になって自分を見つめることが大事である、一人を見つめ、一人を本当に大切にして、教育を行っていくんだという意思表示でもあるわけです。

 今や、AO入試も多くの学校で取り入れられていますが、本学では昨年から社会人対象で実施し、そして今年から高校生と、非常に慎重に取り組んできたわけです。これは、今までの入学試験への反省というのもありますし、本当に本学での教育を志す人を入学させたいということがあります。相互に良き理解をもって教育をしたいという願いです。 

 このAO入試というのは、実際には、かなりの時間と労力を要します。決して安易な入試ではないですね。ですが、これからのきめ細かな、質の良い教育をしようと思えば、AO入試を通して、本学で学びたいという学生を確保することも大事です。また、そうした学生に道を開くことが必要だと思います。そういう意味合いで現在のAOを解釈しています。今年のAO入試についてはまだわかりませんが、今までに行った入試の説明会等では、AO入試についての質問がかなりあるようですから、反応はいいのではないかと思っています。

本紙 確かに現在のAOは、学校によって形態が異なっています。 船本 そうですね。いわゆる一芸に秀でた者をとる形もあるだろうし、もう少し内容的に一回のペーパーテストでとるのではなくて、本人の声を尊重しながら話し合っていい人を見つけるとか、同じAOでもその方法については、かなり幅があります。

 私は、AOはうまく活用すると非常に良いものになりますけれども、下手をすると非常に安易なものになってしまうのではないかという危険性も感じています。

 その点本学では、良いものをきちんと伝えて来ているはずですし、かけた労力がそれだけの実を結んでくれれればいいなと思っています。

女子大ならではの教育の道筋を

本紙 女子の大学進学率が上がっているという状況がありますが、単純に考えれば、共学に比べて数的には対象は半分になりますし、しかも総合大学との間で学生を確保していかなければならないという点で、ご苦労があると思いますが。 船本 確かに女子大は、三重苦の中にあるといえます。一つは少子化で高校生が減っているということ。もう一つは共学志向が強まっているということ。そして三番目にはこれだけ不況が続き、就職難ということがいわれると、女子大は就職に不利であるという一般的な印象があるということですね。統計的に見ても、新聞等にでている数字を見ると、女子大の就職率は共学の女子よりもやや低いところに来ます。本学の場合は、非常に就職率が良く、そういう問題はないのですが、一般的には少子化・共学志向・就職難という三つの重荷が、女子大にかかっているということはいえます。

 このうちの一つ目と三つ目は、現実問題として止むを得ないところがあります。そして、二つ目の共学志向について、十八歳の女子が高等学校を出て大学へ行く場合に、女子だけの大学と男女のいる大学とどちらの方がおもしろいだろうか、楽しいだろうか、可能性があるだろうかと考えれば、共学の方がよいのではないかと考えることは、極めて自然なことです。それはノーマルな考え方だと思いますから、共学志向の高まりを抑える方法とか、阻止する方法なんてないと思います。それはそれでいいと思っています。そういう道を選択して行かれるのは高校生の自由です。

 その時、私たち女子大ができることは、共学よりも女子校がいいということではなく、女子大はこういう教育をする、こういう独特の味がある、そのことに関心をもち興味をもつのなら、ぜひ女子大にいらっしゃいと呼びかけることなんです。そういう形で勝負していく他はないと考えています。

 現在、色々な女子大がありますが、その中で、お付き合いのある女子大とは連絡を取り合っていますが、今は共学ということを考えないで、女子大で行こうということにおいては足並みがそろっています。

 本学が八十三年前に設立されたのは、北米やヨーロッパのキリスト教会が、当時の日本では女子教育というものが非常に遅れているから、女子の教育のために高等教育機関を作ろうという熱い願いと援助によりスタートしたのです。そういう設立の主旨から考えて、簡単に女子大が難しくなってきた、共学の方が学生が集まりやすそうだから共学大学に切り替えようというようなことは到底できるわけはありません。

 それに、本学八十年の歴史の中で守ってきた建学の精神というものは、今も生かされていかなければならないと考えています。本当に独立した自立的な女性を育てていく必要性がまだまだあるとも思います。当時に比べれば、平等化されてきましたし、一緒になって色々なことをやってきてはいます。しかし、やはり共学では、女性は男性に頼っていく、あるいは男性に任せてしまうということが色々なところで現れる。これが女子大であれば、全部自分たちでやっていかなければならない。一人ひとりの女性が、独立し、自立した人間として育っていくということのためにも、女子教育の必要性があると思います。

 さらに私たちは、女子大学でなければ得ることのできない教育の道筋・領域があって、そのためにも女子大として努力をしていかなければならないと思っています。そういう視点で、女子大として存続するということを明確にしています。

 これは一つの例にすぎませんが、本学の同窓会で参加者それぞれの自己紹介を行うと、かなりの時間がとられるということを覚悟しないといけません。それは、それだけ自分で生きてきたものを一人ひとりが持っているからなんです。自分が今からどういう風に生きたいのかという考えが、一人ひとりの中に明確にあるということを非常に強く感じます。そういうことからも、本当に独立し、自立した一人の女性を育てていく、女子大の女性教育というものが非常に大事だと思います。

 特に今日のように、生命の問題が非常に大きな問題になっている中で、一人ひとりの女性が子供の命に対する深い理解をもって巣立っていくことが、女性にとって大切なことです。その点においても、女子大の使命があると考えています。

 この一年の間にいくつかのキリスト教関係の女子大でも、共学校に切り替わったところがあります。しかし、日本におけるキリスト教学校は、概ね女子教育から入っていったんです。明治期に宣教師がやってきて、特に婦人宣教師などが、日本で女性の地位がまだまだ低いし、女性が一個の人格として十分に扱われていない、そういう中で女性教育を行おうとしたわけです。ですから、初期のキリスト教学校は女子校の方がはるかに多いのです。女子教育の領域でキリスト教は役割を果たしてきたということを大事にしたいと思っています。

本紙 最近は、単位互換等で大学間の交流する機会を設ける大学が増えてきています。男性が学校に入ってくるということもありますが、貴学ではいかがでしょう。 船本 本学でも、大学院で三年程前から共学校と単位互換をしています。学部でも、単位互換ができるような他の学校とのつながりを広げたいと考えて、現在、検討中です。

 学期制の問題とか、色々な問題がありますので、実際にやりたいという気持ちがあっても難しいところはあります。これまでにいくつかの大学と話し合いをしましたが、距離があると一つの科目をとりに行くと一日つぶれてしまうなどということがあり、言うほど簡単じゃないのですね。女子大だけれども男子学生との交流はあっていいと考えています。

 最近、関西の神戸女学院大学と交換留学を始めるということで合意しました。相互に二人ずつぐらいの学生を一年間送り、それぞれの単位を認める、国内留学制度です。そうした新しい試みが、今軌道に乗ろうとしています。

学ぶ姿勢を持ち、可能性ある大学生活を

本紙 今の女子高校生へメッセージをお願いします。 船本 一言でいえば大学に来る、大学に行くということを自分の課題として受け止めて学校を選んでほしいと思っています。みんなが行くから行くというのではなく、私はこういう勉強をしたい、将来こういうことをやりたい、自分を本当に生かすために、大学というところは自分にとって必要なんだという、そういう意識をもって学校を選ぶことが大事なことです。学ぶということは、やはり厳しいものです。ですから大学に入ったら遊ぶというのではなく、学ぶのだという姿勢をしっかり持っていないと、せっかくのチャンスのある、可能性のある大学生活が実り豊かにならない。そういう意識をもってほしいという気持ちがあります。

 それから、十八歳ぐらいでは、将来何をするとかは明確には決まらないとしても、できれば自分を伸ばして、経験をつんで、そのことが人々に役立つような人間になっていくという気構えのようなものを、もう少しもってほしいという気持ちがあります。成長して、その成長したことが、みんなに喜ばれて、社会に還元されていく、人のためにも社会のためにもなるような、そういう生涯を送ろうというような、自分の将来の夢とか希望とか、そういうものを持って大学にきてほしいと思っています。

本紙 その点については、中等教育機関とのつながりが重要になってくると思いますが。 船本 そうですね。例えば『二十一世紀にあなたは希望がありますか』といった質問に対して、中高生の六十一%は希望がない、三十九%は希望があると答えているという調査結果があります。そういう数字が出ることは、わからなくはないのですが、中高生がもう少し将来に明るさとか、希望とかを持ってほしいですね。それは与えられるものではなくて、自分たちが作っていくものだという理解が必要です。

 この点については、そういった結果を出すような教育をしている、私たち教育者の責任だといえるのでしょう。東南アジアや中南米の学校に行ってみると、自分たちが将来、国を引っ張っていくんだというような気構えがあります。そういうものが、日本の大学生や高校生に少なすぎる。非常に残念ですね。

 本学でいえば、初代の学長の新渡戸先生は、国際連盟であれだけ活躍した人ですから、将来国連の中で活躍するような人がこの大学から出てほしいと思っています。なかなかそういう気分というのが、今の学生の中に湧き上がってこないところが、教育の一つの大きな問題じゃないかと思っています。確かに本学でも、一人ひとりのボランティア活動等は活発にやっています。バングラディッシュに行ったり、タイに行ったり、夏休みをそういう時間に使う学生はたくさんいるのです。しかしそうした動き、思いがもう少し結集されていって、一つの力になっていくようなものがないと、日本の教育そのものが行き詰まってしまうと恐れています。

本紙 最近、模擬授業を大学でやっているところが増えてきています。貴学での取り組みはいかがですか。 船本 本学では、集中した期間に、本学の実際の授業をそのまま見てもらうことをずっと行ってきています。また、十一月にはVERA(ベラ)祭という大学祭を開くのですが、そこで公開授業をします。私自身も、今年は公開授業をやります。

 そういう試みの中では、大学と高校とどこが違うんだろうかということを知って欲しいと思っています。自分でやるということが、大学では必要になってきます。今までの延長ではなくて、新しい世界に飛び込むのだという意識を高校生にもってほしいと思います。

本紙 最後に貴学の女子教育が今の社会に対して、どのような力を持つものであるかをお聞かせください。 船本 教育というのは、知識とか技術を伝達していくものであるということ、これは当然の責任です。それと同時にひとりの人間として物事をどのように考えていくのか、心の問題とか精神の問題をそこにもっていなければならない。あるいは科学技術がどれだけ進歩しようと、それを支えていく精神というものがなければならない。

 そういう意味で、宗教的なバックグラウンドをもった教育機関の使命はとても大きいと思います。今のように生命科学がどんどん進んでいく、そのことは非常に良いことだけれども、ただ人の命を長引かせるといったようなことだけではなく、その人間がなぜ生きているのか、何のために生きていくのかということを抜きにして、生命科学や医学が進んでいくことは危険だと思います。そういうひとつの学問・技術を支えていくものとしての宗教、あるいは教育のひとつの理想なり、哲学というのが不可欠のものです。

 これを大学の現在の状況に置き換えれば、大学における建学の精神、建学の理念というものがそれぞれの大学、これからは国公立を含めて必要になってくる。そういうものを根底にして、教育というものがなされていかなければならないと考えています。

本紙 特徴という点で、貴学のそういったカラーを前面に押し出していくということについては、どうでしょう。 船本 実は、私が学長に選ばれて本学に来ることになった時のことですが、同僚の多くは、東京女子大学がキリスト教主義の学校という認識を持っていませんでした。どのようにこの点を強調するかということは、とても難しいことです。しかし、私たちの教育の根底にキリスト教の精神、あるいは聖書の精神がある、一人の人間というのはかけがえのない存在として創られているという考えに立って教育を行うことは、大事なことです。

 ですから、私は本学に来てから、私学であること、女子大であること、キリスト教の大学であるという三つの柱を強調してきました。そうした中から、本学としての特徴、意義というものを明確にし、新たな時代に対する、東京女子大学らしいメッセージを発信したいと考えています。

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