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第11回 獨協医科大学 大森健一学長インタビュー
2002/06/25
大森健一(おおもりけんいち)
一九三五年生まれ。
一九六三年東京医科歯科大学医学部卒業。
医学博士。
一九九六年~二〇〇〇年三月、獨協医科大学医学部教授(精神神経医学)。
二〇〇〇年四月、獨協医科大学学長。
同年六月、獨協学園理事長就任。
日本芸術療法学会理事長等、学会役職多数。
厚生労働省医道審議会臨時委員、薬事・食品衛生審議会臨時委員等歴任。
「うつ病に克つ(講談社刊)」等著書多数。
人間形成の場、地域医療の中核的機関としての役割を
個性化は、自分自身を見つめ直すことから
本紙 高等教育機関としての、全般的な大学のあり方について伺いたいと思います。大学像や問題点も含め、どのようにお考えでしょうか。 大森健一学長(以下敬称略)
私は、獨協医科大学の学長であるとともに、本学を含む三つの大学、二つの中学・高等学校、ひとつの看護学校を擁する学校法人獨協学園の理事長も兼任しています。そういう意味では、教育を俯瞰できる立場にあるわけです。
そんな中で率直に私自身が感じているのは、高等教育機関に進学する人が多くなったということです。多くの人が長い期間勉強できるということは、非常にすばらしいことだと思いますね。中には高校卒業後、就職する方もいらっしゃるでしょうが、専門学校なども含めて、修学期間が長くなったということは、昔のことを考えたら、本当に感慨深いことです。
しかし、その一方で現在の厳しい社会状況や少子化傾向、競争社会の中にあって、大学は、そのあり方、また存続そのものが問われる時代になってきています。大学経営の危機管理、立ち行かなくなった場合の処理方法、あるいは合併する場合の考え方とか、そういうことを考えざるを得ない厳しい状況に置かれています。
前向きに捉えれば、大学が競争していく時代を迎えたということでしょう。そこで生き残るためには何をすればよいのか。私は、「大学の個性化」が明暗を分けるポイントになると思います。この大学はこういう特色がある、あの大学はこんな個性や優れた点を持っているという具合に、各大学が個性を発揮することが大事なのです。
それから、大学の「使命」の再認識も必要かもしれません。その使命は大きく二つあります。
ひとつは、大学本来の使命。たとえば、本学の場合は、中興の祖である天野貞祐先生が『大学は学問を通じての人間形成の場である』と、言い残しているのですが、これはどこの大学でも同じだと思います。単に知識や技術の伝授に留まるだけの大学では済まされない。学ぶことにより人格が高められ、人間としての豊かな存在を育てる役割を、本来の大学は担っているわけです。
もうひとつは、「大学は開かれた場でなければならない」という使命。大学は知的生産をする場ですが、知的資産を還元する場でもあらねばならない。学生教育だけではなく、社会に向かって大学が所有する知的資産を還元していく使命があるのです。たとえば、サテライト教室の設置や、市民フォーラム、公開講座という形で大学を市民に開放して、生涯教育に寄与するような活動が、大学には求められていると思います。
また、国際化の時代にあって、国際化への対応という命題もあります。いずれの大学も、国際的に競争できる力を持たなければならない、その前段階として、「開かれた場」としての国際的交流をひとつの目的としてもつべきだろうということですね。
本紙 学生について、感じていらっしゃることはありますか。 大森 最近、よく学力低下ということが言われていますね。本学の人文社会系・自然科学系教員の中でも、やはり基礎学力が充分でないと感じている先生方もいます。これは微妙な問題ではありますが、ゆとりある教育、それから自分で問題を発見して自分で解決していく能力を養うことはもちろん大切ですが、その前提となる基本的な知識をしっかりと身につけた上で大学に進む必要がありますね。
加えて、目的意識の希薄さという問題があります。自分はなにゆえにこの大学を選び、進学してきたのかという目的意識が脆弱な学生が多い印象を受けます。大学在学中に自分が生きる道や進む道を発見することは大事なのですが、少なくとも選んで進学する以上、若い諸君はその意図が何かをもう少し明確にした方がいいのではないでしょうか。
たとえば、医大生でも医者になりたくない人がいる。何となく、あるいは成績がいいから入学してしまったという人は、入ってから悩むわけです。「本当に医者になりたかったのだろうか」と。これは、文系でも理系でも同じことが言えると思いますね。
また、私は師弟のあり方にも、常々疑問をもっています。現代の大学では、師弟関係が薄いということです。ゼミの学生と先生の付き合いは濃厚なものだと思うのですが、一般的に教員と学生の関係は昔よりも希薄になっているような気がします。学生数が多いということや、授業の形態とか、いろいろな理由があるのでしょう。でも、やはりもっと教師と学生は密接な交流を持つべきだと思うのです。
これらのことを解決するためにも、大学の個性化は必要です。文科系でも理科系でも、大学自体が一体何をめざして教育活動・研究活動をするのかという、目的意識を明確にすることで、必然的に学生の意識も変わると思います。
機能化、多様な試みで個性化を推進
本紙 個性化のための具体的な方策には、どのようなものがありますか。 大森 まず、教師のあり方を考え直したいですね。大学には研究と教育という機能があります。医科大学には、さらに診療という面が加わりますが、私はそれら各面における機能化をいっそう推進すべきだと思います。
研究については研究所をもち、そこで研究をもっぱら行う人がいて、また教育なら教育を専門にする人、また中には教育と研究をバランスよくやる人もいる。医科大学の場合には、主に診療を行い、教育といっても診療面で教育するという人もいるといった感じでしょうか。そういう具合に、機能に応じて職分を果たしていく体制にする。そうすることで教育を、教師の質を充実させたいということです。もちろんさまざまなタイプの教師がいていいのですが、やはり学生の教育にあたる人は、教育に情熱を持つべきだと思うのです。研究の傍ら教育をするのは、もう古い時代の話ではないでしょうか。
また、任用制度も問題になってくると思います。原則的にいまは一度就職すると、ずっと教師でいられますが、これからは一定期間だけ研究あるいは教育に参加して、五年とか十年とか任期を区切るという任用制度が導入されてくるでしょう。いままでの常勤と非常勤の中間的なカタチですね。それがまた、望ましい成果を生むのではないかと思っています。
本紙 文部科学省では新しい大学のあり方をめざして、トップ三〇という構想を打ち出していますが。 大森 それは、特に研究分野が対象になっています。私自身は、研究をして世界で競争していくために、重点的な改良をしていくということは、大事なことだと思っています。しかし、我が国にもいろいろな大学があり、多くの学生が学んでいるわけですから、やはり、すべての大学のレベルを上げなくてはならないという視点も一方であってほしいのです。いいところをさらに伸ばしていくのは結構なのですが、全体としての大学のレベルをあげることが必要だと思いますね。
本紙 国立大学の独立行政法人化の動きもありますが。 大森 国立大学がある意味での自主性と自己責任性を問われるということは、私学に似てくる面も出てくるわけです。しかも予算的な裏付けがあっての自主性・独立性というなら、私学より活動しやすいでしょうね。私学で働く者にとっては、より厳しい競争が起こるというように考えられます。
そういう点からも個性化が急務になってくるわけです。
本紙 そうした競争への対応のひとつでしょうか、最近AO入試という選抜方法を導入する大学が増えてきています。その時、そのアドミッション・ポリシーとは何かと尋ねたとき、大学ではどのように答えるのでしょうか。 大森 それぞれが求める学生像というのは、やはり明確にあるわけです。それがアドミッションポリシーとなるのではないでしょうか。大学としては、できるだけその求める学生像に近い人を入学させたい。センター入試を行う学校が増えてきたということが新聞に出ていましたが、それも競争への対応策であるとともに、学生像を求めるひとつの方向なのでしょうね。
本学の場合ですと、今年の入試からセンター入試を導入しました。これは私立医大ではあまりない例です。もちろん他に実施している大学もありますが、定員はそれほど多くないようです。本学は二十人を定員としています。
しかし、どのような選抜をしても、やはり大学に魅力がなければ意味がない。魅力が個性になっていくわけですから。
二十一世紀の医療を担う医師としての資質を明確に
本紙 医学部または医科大学としての個性とは、たとえばどのようなものですか。 大森 医科大学の個性として、ある医学領域において非常に優れている、臨床・研究ともに優れているという特長を打ち出していくことは大事でしょうね。それは大学の看板になるわけです。でも他はどうでもいいかというと、そうではない。他ももちろん一流で、その上に突出している何物かを看板にするということです。
最近導入されている「医学教育モデル・コア・カリキュラム」も、各大学の看板を打ち出す、個性化を促す一助となるものです。
モデル・コア・カリキュラムとは、二十一世紀の医学に対応するために医科大学の教育を見つめ直し、膨大になった知識の中で、最低限必要な基本的内容を精選したもの。それを設定した意図は医学教育の質を確保し、いっそう高めると同時に、教育内容を再編成し多様化することにあります。つまり基本はしっかり押さえながら、それぞれの大学の教育の特色を打ち出して、各学生の主体性や適性を養成しようというもので、ひいては、大学の個性化につながっていくわけです。
よく誤解されるのですが、モデル・コア・カリキュラムは必要最低条件であり、それさえクリアすれば国家試験にも受かるから、それだけやればいいということでは、決してないのです。
本紙 最近、若年層のコミュニケーション能力の不足が言われますが、医学生としてのコミュニケーション能力の必要性については、どうお考えでしょう。 大森 非常に重要視しています。医師に必要なのは正確な知識と優れた技術ですが、あくまでも対象は人間です。医師と患者の間に、確かな心の交流ができていないと治療はうまくいきません。信頼できない人には診てもらいたくないですよね、誰でも。
極端なケースですけど、医事紛争や患者から訴えられるケースの背景には、コミュニケーション不足があると思います。充分なコミュニケーションがあれば、同じようなことが起きても、争い事に発展していかないはずです。「基本的な信頼の関係」が必要なのです。それを確立するためには、対人関係の能力を伸ばしてもらうより方法はないわけです。
ですから本学では、教育の中に対人関係、人の心を理解する、あるいは自分の意志を上手に伝える、そういうコミュニケーション能力を高めるための工夫をずいぶん取り入れています。
たとえば、教養教育で医学と一見、直接関係ないように思える芸術や哲学・人間学を教えるとか、そういうことを重要視している。それと同時に、実際に具体的な患者との関係の持ち方も教育する。
その最たるものが、客観的臨床能力試験(OSCE・オスキー)です。これはまさに医師としての基本的なコミュニケーション・ノウハウを修得するためのものです。問診での情報の取り方、情報を取り始める前の自己紹介の仕方、自己紹介する前の身なりの整え方から始まる教育です。要するに、自分が誰であるかをはっきりと紹介できて、相手の話をよく聴いて要点をつかんで、それを確実にカルテに記述できる。何か行動をするにあたっては明確な説明の上で行動する。たとえばお腹をさわる場合でも、なぜ触るのか、何のためなのかを話して行う。そういう能力を育てます。
いまの医学は、臨床実習を非常に重要視していますから、四年生ぐらいから病院で医療チームの一員になって働き、患者と接する中で、その対応能力ができているかどうかを確かめます。できていなければ、さらに指導をする、そういう工夫をしています。
またコミュニケーション能力は、医療スタッフの間でも必要な能力です。医者は、看護師、臨床工学技士、診療放射線技師、薬剤師、臨床心理士など、さまざまな人たちとチームを組んでやらなければ、十全な治療はできない。これからの医療、そして高度医療はチーム医療であり、一人の名人芸ではないのです。少人数教育の意図するところのひとつがまさに、ここにあります。教師と学生が、上手にコミュニケーションをとれるような能力を少人数指導で開発していくのです。
しかし、正直に言いますと、基本的な対人関係については大学に入る前にある程度、身につけてきてほしいという思いがありますね。
本紙 そうした能力や資質を確かめるために、入試における面接の必要性などが考えられるわけですが。 大森 そうですね。しかし短い入試の面接で判断するのは難しいことです。私は精神科医なので、面接の難しさをよく知っていますが、十分や十五分ですべて人間を見抜けるわけではないし、見る側にも訓練が必要です。ですから、もし医学部の入試、あるいは大学入試に面接を取り入れて、それを重要視するのなら、第一に面接する者の能力を高めなければなりません。これは簡単なことではありません。
本紙 医師の資質を確保することを目的とした、メディカルスクールという従来の医学部に片寄らない道も考えられていますが。 大森 ほかの大学を卒業した学士が、医学部に進学するというものですね。ある分野を四年学び、その後四年医学部で学ぶというカタチも決して悪くはないと思います。
本学でも学士の入学に積極的に取り組んでいこうと考えています。その場合は他の現役生と同じ年数を学ぶことになるので、メディカルスクールとは異なりますが。
なぜ学士なのかといいますと、当然のことながら学士は現役生より年齢が少し上ですし、医学と異なる他方面の知識をもっている。たとえば哲学や文学、薬学、工学をやっているとか、社会人生活を経験しているとか。人間性が非常に豊かであり、多彩です。ある意味で大人であり、目的意識が非常に高いと考えられます。そういった意味において、若い学生のいい刺激にもなるのではないでしょうか。
本紙 これからの医科大学、及び獨協医科大学のめざすところについてお話ください。 大森 なによりも良き臨床家、すぐれた研究者を育成することです。これからの医科大学にとって大事なのは、昔のいわゆる基礎、臨床の区別を取り払うこと。教育面、研究面、診療面においても同じことが言えます。たとえば、遺伝子治療や再生医療という先端的なものをやるときは、研究者と臨床家が一体化してやらなければならない。そうしなければ高度なものはできないわけです。臨床的知識、あるいは研究的な要素が一緒になって、全人的な医療を行っていく必要性が高まります。チームプレーの重要性ですね。
特に本学では、医学総合研究所という研究機関を設けています。その名にふさわしい研究・教育成果をあげられるように、それぞれの分野の専門性を高めるとともに、垣根を低くして相互の知的財産の交流を図りながら、内容を豊かにしていきたいと思っています。
診療面においては、栃木県あるいは北関東で、中核的役割を果たし、高度医療を提供する。そして高度医療を提供できる中核的役割の病院としての確かな評価を獲得することが、大事なことです。
さらに、いずれの場合にも、根底には「大学は人間形成の場である」という中興の祖の精神があり、獨協学園が創設以来大切にしてきたテーマ、ドイツ文化における精神や学問と国際的な視野との融合をめざすという建学の精神があります。
「行うは難し」の部分もありますが、めざすべき姿を見失わず、怯まず前に進んでいきたいですね。