トップページ > トップインタビュー > 第13回 駒沢大学大谷哲夫学長インタビュー

前の記事 | 次の記事

第13回 駒沢大学大谷哲夫学長インタビュー

2002/12/25

大谷哲夫(おおたに・てつお)一九三九年生まれ。

一九六三年早稲田大学第一文学部(東洋哲学専修)卒業、

一九六五年同大学院文研(東洋哲学専修修士課程)修了。

一九六八年駒澤大学大学院文研(仏教学専攻博士課程)満期退学。

曹洞宗宗学研究所所員・幹事・講師を経て一九七七年駒澤大学勤務。

一九九四年より学生部長、教務部長、副学長を歴任。

二〇〇二年四月駒澤大学・駒澤短期大学学長就任。

「訓注 永平広録(上下二卷・大蔵出版)」「卍山本 永平広録 祖山本対校」「永平の風 道元の生涯(文芸社)」他著書多数。

求められる大学の「知」の再構築、社会的要求の再確認

 少子化、国際化といわれ、高校教育のあり方も大きく変わる中で、今、高等教育機関に対しては、これからの時代を見据えた学校運営の方針、方向性の明確化が求められている。

 今回の学長インタビューは、本年十月に開校百二十周年を迎える長い伝統を持ち、「行学一如」という理論と実践の融合を理念とした教育・研究を展開する駒澤大学・駒澤短期大学の大谷哲夫学長にお話を伺った。(インタビューは九月二十七日)

本紙 現代の高等教育機関を取り巻く環境についていかがお考えでしょうか。 大谷哲夫学長(以下敬称略)

 まず、二十一世紀という時代は、二十世紀を支えてきた枠組みの有効性を検証しつつ、新たな枠組みの再構築が進められる時代であると考えています。これは、社会状況でいえば、地球規模での協調と共生が叫ばれる一方で、国際競争の熾烈化、国内的には少子化・高齢化の進行、産業構造や雇用形態の大きな変化等、これまで私たちが経験したことのない事態を迎えつつあるということです。大学を取り巻く環境もまた、国際化・総合化の必要性や職業人の再学習・生涯学習需要の増大等、大きく転換しようとしています。こうしたことから今、大学の「知」の再構築、大学への社会的要求の再確認が厳しく求められているんじゃないでしょうか。

 そうした時に、私たちは、時代の行く末を見定めつつ、大学のありよう、使命について真摯に考えていかなければならない。時代の要請に合った、あるいはそれを先取りする「知」の枠組みはどうあるべきか、社会構造の変化に対応しうる学生をどのように育てていくかを根本から考え、独自の具体的な方向性を打ち出し、実行していくことが重要です。

『行学一如』の理念を活かし、知的生産力の高い都市型大学へ

本紙 百二十周年を迎えるその年に、学長に就任されましたが、今後の改革、具体的な方向性についてはいかがでしょう。 大谷 本学は、本年十月十五日に百二十周年を迎えますが、実は文禄元(一五九二)年、江戸駿河台の吉祥寺に曹洞禅と漢学の参究を目的として開かれた学林から始まります。ですから、その学林から数えますと、ちょうど四百十年目になります。これは、イタリアのボローニャ大学が八百年と言われていますが、世界的に見ましても古い伝統を持つ大学ということができます。ですから、その歴史と伝統を踏まえ、二十一世紀に大きく飛躍するための礎を築きあげることが学長としての使命であると考えています。

 この百二十周年記念事業につきましては、まさに建学の理念を再確認する大切な事業であると位置づけています。また、その伝統を重んじながら、確かな建学の理念の下に高等教育を行っていることを広く知らせ、本学の独自性を明確に示すいい機会でもあります。「記念式典・祝賀会」「国際フォーラム」「深沢校舎の建設」「大学会館二四六の建設」「禅文化歴史博物館の創設」などの記念事業がありますが、この流れの中に「国際交流館の建設」「医療健康科学部」「法科大学院」の設置も位置づけられます。

 大学改革の「改革」というのは、具体的な改革作業を通して問題の所在を検証することの積み重ねと連続性によって成果を上げうるというのが基本的な考え方です。これまで、本学において学生部長、教務部長として、また副学長として大学改革の基盤整備に携わってきましたが、今、本格的に「大学改革」を論じ、具体的な諸々の施策をたてる環境が整ったことを実感しています。この「大学改革」にはなにより総合的な視点が必要です。我々にとって「大学冬の時代」の学生確保が緊急の問題であり、即効的な対応が必要なことはもちろんですが、カリキュラムの改革や授業改革を核とする教育環境の充実に大学の根幹があるという認識がないかぎり、どういう対応策をとったとしても、一時的なものに終わることは間違いありません。そうした視点にたった具体的な改革が、これから本学でも進められます。

 そこで大切なことは、本学の建学の理念である「行学一如」の考え方です。要するに行うこと学ぶこと、これが一つでなければならないという理念です。これを現代的に解釈すると、「理論と実践の融和」ということがいえると思いますが、それを根本として、今まで教育をしてきました。一貫してその「行学一如」による研究・教育活動を展開してきたわけです。今後もそれに基づいて展開していきたいと思っています。これほど明確な理念というか設立の趣旨というのはないと思っています。

 本学としては、百二十周年を迎え、ここでまたより一層の知的生産力の高い都市型大学へ飛躍していこうということです。

 そこでは、学生は学生なりに学んで知的生産力を高めていく、教員も教員なりに学問的領域を深めていく、そこで生まれる相乗効果が、高い知的生産力を生み出すということです。幸いなことに本学は、都市型大学としての条件をすべて備えています。ですから今、「二十一世紀プラン」という中・長期計画を進めていこうと考えています。このプランは、教育施設・設備の拡充に集約されるハード面と、教育環境の充実・進展に集約されるソフト面の双方の施策を有機的に統合し、「知的生産力の高い都市型大学」としての駒澤大学を実現させるための、中・長期的な総合計画のことです。

 ハード面でいえば、今後の本学のキャンパス構想に不可欠な深沢校舎の建設、総合整備計画の下に展開されようとしている本校キャンパスの再開発、そして玉川キャンパスの運用という、この三キャンパスの有機的、機能的、効率的な活用をイメージしたマスタープランの策定を考えています。これらは、「二十一世紀プラン策定委員会」を立ち上げ、着手していきます。

 ソフト面についてはまず、 学部学科等の改組転換があります。これは、短期大学の放射線科を改組して、「医療健康科学部」を設置します。学部の新設は昭和四十四年の経営学部以来、三十三年ぶりのことですが、これに続いて、短期大学の国文科と英文科、それに外国語部を加えての改組転換についても、具体的な実現が視野に入ってきていますし、同じく短大仏教科についても早急に改善策を打ち出すことが必要だと考えています。こうした学部学科等の改組転換は、本学の方向性の具体的な表明という、大きな意味があります。

 また、本学の活性化のためには、大学院の整備も重要なポイントとなります。法科大学院の設置については、平成十六年度開設に向け、具体的な準備段階に入っています。その他、専門大学院の検討、大学院の定員増、カリキュラムの見直し、他大学院との交流等についても視野に入れています。

 これらの動きは、大学の経営の一環であるといえると思いますが、大学というのは、決して財産をつくるところではありません。本学にしても、基本的には一万七千名からの学生の授業料で成り立っているわけですから、それを還元していかなければならない責任があります。ですから、知的生産力の高い大学にするために、必要である施設は限りなく充実しなければなりませんが、それで儲けたのでは大学じゃない。学生や社会に還元しなきゃならないんです。そういう意味では、学長のあり方もこれまでとは変わらざるを得ない状況です。本学の場合、学長は六代前から公選制になっているんです。宗立の大学といっていいところもありながら、限りなく民主化された大学だからこそ、変革の力を持っているということがいえます。

本紙 短大の学長としては、これからの短大のあり方について、いかがお考えでしょうか。 大谷 確かに、現在の短大は厳しい状況に置かれています。地方であればなおさらという話はよく聞きますし、その通りなのかもしれません。その点では、本学の場合は都心にあります。短大として存在するとした場合、真剣に見直すべきは、やはり教育の内容ではないでしょうか。それによっては、短大の存在意義をもう一度見いだすことができるんじゃないでしょうか。大学でできることを短大でやるということではなく、より具体的、実践的にできる短大へという方向性ですね。例えば、オーラルイングリッシュを短大で二年間、徹底的に勉強すれば実際に身に付くと思うんです。そうしたことが可能であり、社会のニーズに応えられるものを見いだすことで、発展の可能性はまだあるということだと思います。

本紙 数ある改革の中で、あえて重要なポイントとなるものというとなんでしょう。 大谷 「行学一如」をベースにした、二十一世紀にふさわしい「知的生産力の高い都市型大学」として発展するためには、教育システムの改革と、教員の意識改革が必要です。昔のような観念の中で、十年一日のごときの教育していたのでは駄目です。それから、学生が教室の中へ入ってきて帽子をかぶったまま授業を受けるとか、私語が多いという状況を見ながら教員が注意をしないというのはおかしいですね。仮にそうしたことがあったとしたら、そこで教育をしなければならないはずなんです。身近な教育というものは、言ってあげて、そして自分が示さないから崩れていくものだと思います。大学の教育ではないという意見もあるかとは思いますが、それこそ行と学を一致させていかないと駄目です。学生に対しては、今の流行を完全に否定するわけではないんですが、何をするにしても上品にしなさいっていうんです。そうするとみな聞いてくれますね。どうも教育の原点が忘れ去られているような気がしています。中学、高校の先生方も苦労していると思いますが、注意ができない、しないというのは、いずれの段階においても間違っていると思います。自分の感情のままにうるさいから「黙れ」と言っても無理です。二十一世紀は「心の時代」といわれていますが、それは二十世紀の反省の上に立っているわけです。具体的にいいますと、物質文明、物質至上主義であったところへの反省です。これはいつも揺り返しがくるんです。「物質が大事」の次には、「心の時代」がやってくる。この繰り返しといえるのかもしれません。そこで必要なのは、仏教でいえば「慈悲」の心。仏教に限らなくても、人を慈しむ心を持って教育にあたるということが求められているんじゃないでしょうか。そうした点も含めて、ファカルティ・ディベロップメントの推進、教授方法を研究する「教授法開発室」等の開設を考えています。授業の質を高め、学生の学習意欲を掘り起こし、知的成長を確かなものとするためです。また、学生による授業評価やオフィスアワー制度の導入等の検討・実施も急がなければなりません。こうした諸施策を実行し、社会に評価される学生を育てるためには、教員の徹底した意識改革が不可欠なんです。近来、「教員中心の大学から学生中心の大学へ」と言われていますが、旧来の教育方法や学生支援の方法を漫然と墨守するだけでは学生は育ちませんし、時代に取り残されることになります。海外学習制度の充実や他大学との単位互換制度等といったことも前向きに進めていく必要があります。

 また、教育の質の向上、魅力的な大学作りが個性化への基本的な対応であることは言うまでもありませんが、学生を確保するためには、場合によっては即効的な方法も実施する必要があります。入試のあり方についての検討もそうです。さらに、本年四月より「入学センター」が本格的にスタートしましたが、今後は「入学センター」を中心として、高校生の授業参加、高校での模擬授業の実施、オープンキャンパスの充実、目的意識を持った留学生の確保、インターネット出願の実施等も考えられますが、準備の整ったものから順次実施していこうと考えています。

 こうしたことは「二十一世紀プラン」の核となるものですが、これからもプランをたてたら実行していくということが重要になってきます。チャレンジすることです。例えば、今回、文科省の「二十一世紀COEプログラム」に、本学の建学の理念にも関連するので、今後の展開も視野に入れて申請の準備をしています。

 いずれにしても、「行学一如」という、明確で現代に生きる理念を持つ大学として、社会を活性化する知的生産力の高い人材を輩出することをめざしていきます。それこそが駒澤大学であると思います。

前の記事 | 次の記事