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第14回 武蔵大学横倉尚学長インタビュー

2003/02/25

蔵大学

横倉 尚学長

一九四三年生まれ。

一九六六年東京大学経済学部経済学科卒業後、通産省入省、

一九七一年に依頼退職し東京大学経済学部経営学科に学士入学、

一九七三年同大学卒業。

一九七五年慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了、

一九七八年同研究科博士課程満期退学。

その後、武蔵大学専任講師、助教授、教授、経済部学長を歴任。

二〇〇〇年同大学学長就任。「講座・公的規制と産業 第二巻 都市ガス」他著書多数。専門分野は産業組織論。日本経済政策学会理事。公益事業学会評議員。

少子化・高学歴時代の大学教育

多様であることを受け入れること。

そこから展開は始まる

本紙 学長がお考えになる現在の大学・短大の問題点をお聞きしたいと思います。 横倉 尚学長(以下敬称略)

 高等教育機関としての大学の社会的役割や位置づけは、大学への進学率の低い時代に比べれば、今日大きく変わってきていることは間違いありません。

 現在、大学に進学する学生は、同じ年齢層のなかで五割近くになっているという状況があります。教育の機会がより多くの人に用意され、進学したい学生が進学できるということは社会全体にとっても意味があることだと思います。

 しかし、少子化で大学に進学する学生の絶対数が減っている中で、進学率は高いという状況に対して、受け止める側の大学は困惑し、混乱しているといえるかもしれません。限られた絶対数のなかで、どのように学生を確保するのかということは大学にとって重要な問題であり、入学制度の見直しや個性化への方策を見出す動きの中で、様々な課題も現れてきました。

 最も大きな課題は、入学してくる学生の意欲や資質、能力の分布の分散が大きく、一定していないことにどのように対応するかです。そうした学生たちに対して、どんなふうに大学教育を提供したらよいのかという問題が生じている。実際に教育にあたる教員サイドの期待と現実とのギャップは予想以上に大きくなったのではないでしょうか。

 大学教育の効果や効率を考えると、各分野において必要な基礎的な学力というものは、当然求められます。基礎学力があるということは、教える側にとっても、そのほうが効率的ですし、学生にとっても理解が高まるわけです。しかしながら、入試の多様化により、必要な勉強を大学に入るまでに必ずしも十分にしていない学生がいるということは、問題がある、問題にならざるを得ない状況に直面しつつあります。現状は、大学に入ってから必要最低限の勉強を教えざるを得なくなっています。本学では、制度としてはスタートしていないものの、その必要性は認識していますし、具体的にどんな方法でカバーしていけば良いのかを検討しています。

 また、文科系と理科系の知識・素養バランスの問題もよく言われることです。文科系といえども基本的な理系の素養がないと社会に出てから苦労するという話もあります。

 社会全体の今後を考えると、従来のように文科系・理科系とはっきり分かれていて、文科系は自然科学等にまったく理解がない、理科系は社会や人間のベーシックな部分を勉強する機会がないということでは、今日の社会のニーズに応えることができないのではないかと思います。

 ただ、バランスのとれた教育を提供できる大学というのは限られてくるのではないでしょうか。「多様」が意味するごとく、例えばある大学では新しい試みを行い、別の大学はそれとは異なる試みをするという具合に、役割は分かれていくでしょう。文科系・理科系のバランスの問題も、そういう意識で臨んでいかなければ、どこもが昔よく言われた『ミニ東大』を目指すようなことになりかねません。それは非常に中途半端で、意味がないことだと思います。

 大学という大きな括りのなかで、みんな同じでなければいけないという意識がいままで強すぎました。不十分なカタチで東大の真似をして、全てをカバーする必要はないのです。総合大学であることだけがベストというわけではないでしょう。役割を分業するということでよいのです。それより、どうやってその大学の背丈に見合った新しい試みの成果を実現できるかが大切です。

 アメリカなどでは、地方の小さなカレッジでも、歴史と実績があって、そういうところからハーバードの大学院などへ毎年多数進学したりしています。

 従来は文部科学省の大学設置基準等の制約もきびしく、かなり細かいところまで定められ、特色が出しづらい枠組みがありました。 しかし現在は、多様なタイプの大学を生み出す必要性があり、それに応えていくために文部科学省の規制の枠組みもだいぶ変わってきています。社会がそれを期待しているという流れもあります。

 現実の流れとして、色々な異なるタイプの大学が出てきて、受験生の選択肢が増えていく方向に進んでいると思います。その結果、まさしく大学の経営努力や自己責任が問われることになり、その意味では教育の分野も普通の『産業』のスタイルに近くなってきていると言えるでしょう。

多様化する学生の資質への対応が課題

本紙 武蔵大学としては、どういうタイプでやっていかれるのでしょうか。 横倉 旧制高等学校以来の本学の伝統は、少人数・小規模教育ということです。確かに、経営においてはデメリットであるといえますが、教育的にはその教育効果なり、教員と学生あるいは学生同士の密度の濃いふれあいを実現し得る教育環境は、これからも変わらぬ本学のコアにしたいと思っています。

 それを具体的に生かす方法は、少人数で自ら調べ自ら考えるという姿勢を実際に発揮できるようにするということです。教育システムにおいて、そういう場としてのコアとなるのは、四年間のゼミ・演習です。全員が一年から四年までゼミ・演習に参加できるというのは、小規模でないとなかなか難しい。本学はそれをやっています。このゼミ・演習は、教員と学生が接触する時間であり、一方的な講義ではなく、各自の考えを発表する場としてあります。この本学独自の教育土壌によって、二十一世紀にあって求められる問題を解決する能力や必要なスキルを育てられるのではないかと期待しています。

 ただし、気をつけなければならないこともあります。この教育システムには、ともすれば内に閉じこもりやすくなるというデメリットがあります。そこを注意しないと目が内側に向きがちになる。学生が外へ関心を持つなり、外への接触をするような努力、あるいは大学側がそういう機会、制度を設けていくべきだと思っています。

 本学で提供しているものの一つに、国際交流があります。本学は、アメリカ・ヨーロッパ・アジアに多くの提携大学があり、留学をするチャンスが比較的多くなっています。いま、十数人が長期留学していますけれども、できるだけ外国の大学に留学する機会を広げると同時に、外国の大学からも本学へ留学生が来るように努力をしています。

 今年は、韓国から五名が決定しています。他にもいくつかの大学からの留学生が予定されています。そういう環境の整備を通じて、できるだけ学生の目を外に開かせていきたいですね。

 来年度の後半からは英語による授業も始めます。東アジアの政治・経済・社会・文化を対象にして、全部英語で授業をするプログラムを作りました。外国人留学生向けであると同時に、本学の学生も単位を取得できるようになります。留学を希望する学生には授業を英語で聞くという点で事前勉強になるし、留学を考えていない学生にとっても英語を聞くよい機会になると考えています。

 科目数では十科目くらい。ゼミや演習に準じた方式で、フェイス・トゥ・フェイスで授業を行うつもりです。

武蔵大学校舎<8号館>

本紙 短大の学長としては、これからの短大のあり方について、いかがお考えでしょうか。 大谷 確かに、現在の短大は厳しい状況に置かれています。地方であればなおさらという話はよく聞きますし、その通りなのかもしれません。その点では、本学の場合は都心にあります。短大として存在するとした場合、真剣に見直すべきは、やはり教育の内容ではないでしょうか。それによっては、短大の存在意義をもう一度見いだすことができるんじゃないでしょうか。大学でできることを短大でやるということではなく、より具体的、実践的にできる短大へという方向性ですね。例えば、オーラルイングリッシュを短大で二年間、徹底的に勉強すれば実際に身に付くと思うんです。そうしたことが可能であり、社会のニーズに応えられるものを見いだすことで、発展の可能性はまだあるということだと思います。

本紙 これからのゼミ・演習では、ネットの時代であるからこそできる、そんなおもしろさも考えられると思うのですが、いかがですか。 横倉 ネットを活用するのはよいけれど、教育にはそれだけではカバーできない部分があります。うまく活用するには、学生だけではなく教員がその気にならなければだめですね。学生は発展途上だからまだよいのですが、とくに教員はプロとしての自覚と努力が必要です。

 『いろいろなタイプの大学』には、研究中心の大学があってもいいし、教育中心の大学があってもいいわけで、それぞれの大学がもつ伝統や人的資源、学校方針を明確にしたほうが良いわけです。そういう意味では、本学では教育に力を入れるべきだと思っています。

 しかし、いい教育をするためには、個々の教員が日々研究していないとできませんから、研究活動も重要です。教育という点では、ある種のスキルのようなものを求められているのかもしれません。小・中・高の先生がもっていらっしゃるようなスキルですね。魅力ある授業をつくるための意識に基づいたスキルといいますか。大学の教員には、いままでそういうものがありませんでしたし、強く求められることもなかったといえるんじゃないでしょうか。

 大学進学率が一割や二割の時代には、大学に進学することは特別なことですから、学生にも大学に入ったら勉強してやろうという気合いがあったわけで、教育については、それで済んでいたという部分があった。しかしながら現在は、そういう要素はかなり弱くなっています。ですから、教員はそれをカバーする努力をしないと、これからはますます難しくなりますね。

 本学では、昨年から学生が授業を評価する制度を導入していますが、そのせいか教員の認識も変化し、教育のプロとしての意識が浸透してきています。

 そもそも教員にとっては、ゼミや演習で学生の指導をして、そこで非常に力をつける学生がいるということは、直接身近に確かめられて、おもしろいはずなのです。逆に、うまくいかない場合でも、そのことがすぐに自分で感じられる。本学には、人数が少ないからそういう機会はいっぱいあります。学生の顔と名前がはっきりしていて、教員は自分の目で自分の教育成果を確かめられる。教員にとって刺激のある環境は整っていると思っています。

本紙 武蔵大学では高大連携の試みも行われていますね。 横倉 今までは、高等学校と大学の接点は入学試験だけといってよかった。しかしこれは、社会的な仕組みやひとりの高校生の立場からみても、入学試験だけの結びつきというのは、不十分であると思います。高等学校に対して大学としてできることはやっていかなければいけません。

 実際に、いま高等学校の先生と私どものスタッフで高大連携のあり方について研究会を開き、勉強してもらっています。受験生を確保するというよりは、現在の教育制度やシステムのなかで、高校と大学がどういう分野でどういう工夫なり努力をすれば、高校生にとって意味のある貢献ができるかということを考えています。本学のできることがあればやろうという姿勢です。

 また、昨年夏からは卒業生で教職についている人を中心に、その地域の高等学校にも声をかけて勉強会をしています。そのなかでいくつか案も出てきています。最終的にはレポートにまとめる予定ですが、高大連携については、それぞれの大学がもっと本格的に考えるべき、大学全体と高校全体でどうあるべきかを議論する必要があるのではないでしょうか。

 方法にしても、考えればいろいろあるわけです。実は、甲南大学との間で十五年度・十六年度に、金融の分野で単位互換を前提とした遠隔教育を始めることにしています。双方の授業をリアルタイムに送るというものですが、それは大学同士だけではなく、高等学校と大学の間でも使えるはずです。

 例えば情報教育に力を入れている高校があれば、少し距離が離れていても、土曜日でも、放課後でも、遠隔教育により授業を提供することは十分に可能です。連携といっても、いろいろなカタチが考えられるんです。

密度の濃い触れ合いが教育の『核』

本紙 最近の高校生の保護者は、進路選択の際に就職できるかどうかを強く意識しているようです。大学として就職指導についてはどのようにお考えでしょう。 横倉 本学は学生数が少ないということもあって、就職指導には力をいれてやってきました。ところが、学生の就職に対する考え方や意欲が変化していることもあって、新しい状況のなかで就職指導をどのように工夫していくかについては、今がちょっとした転機だと思っています。

 どういうことかと申しますと、学生自身が就職についてもう少し自分のやりたいことなり、将来についてきちっと考えたほうがいいんじゃないかと思うところがあります。もっと自分のこととして捉える姿勢が欲しいということです。この点については、かつての本学の学生と比べて、今の学生には心許ないところがあります。

 一方では、就職について厳しい状況がある。親御さんたちは、就職の心配がないようにしたいと希望しておられますが、当の学生が主体的に自分の就職に対して取り組む姿勢が弱い。こういう状況は本学だけではなく、よその大学でも共通した問題であると思います。ですから、そういった現在の状況にあった体制をつくるべきだろうという話をしているんです。

 早い時期に、就職活動のテクニカルな準備ではなくて、自分のやりたいことや仕事というベーシックな点について考えさせる機会を設けないといけない。大学に入っても、あっという間に一年、二年は経ちますし、就職活動の時期も前倒しになってきていて、気が付けば将来の選択をしなければならない時期が来てしまう。そこで初めて、さて何をしたらよいのだろうと考えても遅いんです。

 いま本学では、就職部がマン・ツー・マンで相談に応じています。最終的には、いわゆるフリーター率も高くないし、全体の就職率も悪くはない。しかし、学生をその気にさせるまでに時間がかかるようです。もう少し学生が主体的に取り組めば、そんなに就職部が手間暇かけなくても済むのですが。そういう意味で、早い時期に就職を自分の問題として考えさせるような、そんな仕組みを学校側が提供する必要があると思っています。

 その点については、ゼミ・演習を活用するという手もありますが、これは教員と学生がどんな意識で取り組むかにかかっています。ゼミの先輩に社会人になってからのことや就職活動の苦労を聞くことは、努力をすればできるわけです。そうした機会を積極的に利用してほしいし、今以上にうまく活用するようなことも含めて、やはり学生をその気にさせる必要は従来以上にあります。

本紙 最後に、これからの大学のあり方について、国立大学の法人化を含めてどのようにお考えでしょうか。 横倉 国立の場合、財政的には国の予算がなんらかのルールで独法化された大学に配分されるので、私立と違い、授業料収入で賄う分というのは基本的にあまり大きく変わらないと思います。

 しかし、大学全体という視点で考えると、流れは大きくかわるかもしれない。文部科学省の国立大学に対するコントロールは残るでしょうが、個々の大学にとっては努力や創意を工夫する余地が広がります。それが直接評価され、国からの予算配分に反映されるということだから、結構変わることが予想されるのです。それらの流れは当然、私立にも影響を与えるでしょう。私立にとって、良くも悪くも大きなターニング・ポイントになるんじゃないでしょうか。

 いずれにせよ学生にとっては、いろいろなタイプの大学が増えるということは、選択肢が広がるわけですから、幸せなことといえるんじゃないでしょうか。本学としても、個性、独自性といったものを明確に打ち出す努力を一層強めていきたいと考えています。

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