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第20回 大阪産業大学・大阪産業大学短期大学部 瀬島順一郎学長インタビュー

2004/04/25

 大阪産業大学・大阪産業大学短期大学部

瀬島順一郎(せじま じゅんいちろう)

一九四七年生まれ。早稲田大学教育学部卒業、慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻修士課程修了、文学修士。大阪産業大学・同短期大学部学長。社団法人大阪総合医学教育研究所理事兼カウンセラー。社団法人日本奇術協会参与。守口市文化功労賞(一九九五年)。主な著書に「人間論の可能性」(北樹出版)、「人間行動の心理」(福村出版)、「現代心理学」(八千代出版)、「行動心理学ハンドブック」(培風館)ほか多数。

変わりゆく大学、短大ー21世紀の展望

社会を支え、歴史を創る「偉大なる平凡人」

地に足のついた、優れた産業人を育成

本紙 はじめに、貴学創設の背景と、建学の精神についてお教えください。 瀬島順一郎学長(以下敬称略) 本学の前身は鉄道学校です。昭和三年(一九二八年)設立で、戦前から戦後にかけては「大阪鉄道学校」の名称でした。

私の祖父であり、本学の設立者である瀬島源三郎は、出身地の岡山県で教員をした後、上京して鉄道教習所というところで教務の仕事に就きました。当時の鉄道教習所にはそうそうたる教授陣がいらっしゃったのですが、関東大震災で被災し、一面焼け野原となってしまいました。教務係長という立場上、祖父は焼け野原を歩き、先生方に給料を届けて回ったそうです。そんなこともあってか、先生方からかわいがっていただいたようです。

 やがて、大阪では私鉄があれほど発達しているのに、鉄道マンを養成する学校がないのはおかしい、と考えるようになりました。鉄道教習所の先生方からの後押しもあり、大阪での鉄道学校創設を決心したのです。

その後、自動車の時代が来ると考え、鉄道に限らず「交通」をキーワードに、「大阪交通短期大学」を設立しました。昭和二十五年のことでした。さらに、四年制大学を設置、昭和四十年に現在の校名となりました。「産業大学」は、当時としては非常に珍しい名称でした。

 そのような経緯から本学は、実学志向の強い、工学部と経営学部が中心の大学としてスタートしました。交通というコンセプトに基づき、交通機械や、短期大学の自動車工業科などを中心として、ディーラーの方からも高い評価をいただいております。それらに加えて、実業的分野である経営学部と経済学部、さらに企業倫理や環境問題を重視し、人間環境学部も立ち上げました。

なお本学は、鉄道学校の伝統の影響からか、かつては男子校的なところがありました。昭和五十七、八年頃までは、全員の名前が覚えられる程度の女子学生しかいませんでした。新学部設置のほか、女子学生にも本学で学んでもらおうと、いくつかの施策をとった結果、最近は増加傾向にあります。

建学の精神である「偉大なる平凡人たれ」というのは、祖父が故郷で出会ったひとりの人物の影響を強く受けています。社会事業に注力なさっていた小松哲一朗さんという方です。その方は、裕福な家庭に生まれたのですが、相続した遺産をすべて社会事業に費消したといいます。小松先生はクリスチャンだったのですが、私財を投じて社会事業をなさったのです。

 元来、瀬島源三郎は、生まれたからには一国一城の主に、という気概をもった人でした。ところが、人びとのために地道な活動を続ける小松先生に会うたびに、影響を受けていったようです。小松先生は、「みな、富士山の頂上を狙っているんだよ。ところがあそこは非常に狭い。狭いところに人びとがひしめきあう、それでは住みにくいだろう。それよりも、ふもとにいることだ。頂上にいて多くの人から見上げられるような、自分が人を下に見る生活は、けっしてほかの者が思うほど、いいものではないはずだ」と説いたそうです。生きるために寸尺の土地を争い、競争者を押しのけ、突き落とすような浅ましい戦いで、清い心を憎悪と哀歓という人間苦で汚している世間に対する、小松先生の警告だったようです。

 それが非常に心に残ったようですね。自分は一生懸命やってきたつもりでも、人を育てるという大きな目標を達成するのであれば、いま一度、考えるべきことがあるのではないか。なぜ教育をするのか、なぜこういう事業をするのか。人間社会を本当に支えているのは、総理大臣でも大統領でもない。多くの働く国民であり、その人たちがいるからリーダーがいるのです。そういう人たちが創り出すものこそ、本当に国のため、社会のためになっているのではないか。そのような考えから、「偉大なる平凡人たれ」という建学の精神が生まれてきました。

 この精神には、ひとつはクリスチャンの考え方があります。また、祖父は漢文学者でもあり、ずっと論語を学んでいましたが、晩年は老子に親しむようになりました。老子の言葉に「施して求めず」という思想があります。「天地の間に万物が起こり創られるけれども、天地はその労を辞さず、万物が生じても己のものとしない。またそれを成し遂げても恃(たの)みとしない。事が成就してもそこに安んじない、だからこそ永久に失うことがない」という一節です。

 クリスチャンである小松先生の教えと、自身が学んだ東洋思想の老子から、「不有」、すなわち「私は何も持たない」という言葉をよく口にしていました。学校教育の現場で、普通の人を育成するのですが、その普通の人が本当の意味で、偉大な人類の歴史を創っていく。これが「偉大なる平凡人たれ」の意味なのです。

 一昨年、ノーベル賞を受賞なさった田中耕一さんは、まさにそんな人物だと思います。野心を持って何かを狙うのではなく、日頃の研究生活、実務のなかで創り出したものが、ノーベル賞に結びついた。あの方は普通の人であり、そのあたりが日本人の感覚に合っていて、親しみを覚えるのではないでしょうか。「偉大なる平凡人」のモデルのように思えます。

 そういった教育理念を生かす人物像として、私は「つねに社会貢献を価値とする人物」、「実務的、実践的な事柄を着実に実行できる産業人」、「信頼できる実務能力を発揮する人」、「社会の価値変動に迷わされることのない本質価値を追求する人」などがあると考えています。

地域密着型の社会貢献

本紙 基本理念である「開かれた大学」についてお聞かせください。

瀬島 大学のカリキュラムを変えるのは難しいことですが、最近の学生は興味が多様化しています。そこで、新たな試みとしてこの四月から、大阪中小企業同友会のご協力を仰ぎ、地元企業の社長をお招きしてリレー講義を始めます。本学が位置する大阪の東部は日本でも有数の産業集積地であり、しかも本学は、産業大学であるという特徴を活かしたものです。

中小企業といえども経営者と呼ばれる方は、やはり一家言もっていらっしゃる。しっかりした考えをお持ちで、話もおもしろい方がたくさんいらっしゃいます。学生だけでなく、教員が聞いても非常に参考になると思います。アカデミズムのみならず、実学的な経験をお持ちの方の力もお借りする。このあたりが「開かれた大学」の一面といえます。

ベンチャーも非常に盛んです。大学が半分出資しているケースは珍しいのではないでしょうか。学生社長も何人かいます。あるいは、企業に対し、学生がCADを教えに行くこともあります。共同開発でこんな物を作りたい、こんな物を研究してくれないか、とお声がかかることもあります。そんな中から新しい物が生まれる、大学も刺激を受ける、企業も大学に、より注目し、期待してくれるようになる。地域密着型の本学のさまざまな活動も、「開かれた大学」の大きな要素です。

 また、高大連携の面では、これまでにも出張講義を実施してきましたし、私自身も、かつては出張講義を行っていました。

 高大連携の場合、スケジュール調整などの難しさもありますが、それよりも、大学の先生は高等学校でいまどんな授業が行われているかを知らない、高等学校の先生は、大学でいま、なにを教えているのかを知らないことの方が問題です。高等学校の先生は教育学部系出身の方が多い。ですから、経済学部や経営学部について、細かな内容までは知らない場合があります。進路指導をする際、経済学部と経営学部がどう違うのか、わからないことがあるようです。ですから、高等学校の先生方への働きかけが重要になってくるのです。今後は、高等学校の先生を本学に招いて、大学の現状をより知ってもらうことも検討しています。 本紙 学生に対しても「開かれた大学」であるとお聞きしました。 瀬島 大学においては、教職員と学生の関係がうまくいっていることも大切です。私たち教職員と学生とでは、年齢差がありますし、対処方法が難しい問題もあります。意思疎通の方法としてメールも便利ですが、最近ではむしろ、学生たちと直接話をする機会が多くなっています。卒業生が私を訪ねてくることもあります。ちなみに学長室は、学生の立ち入りが自由です。大学の主役は学生ですから、当然、最優先されるべきなのです。

 「偉大なる平凡人」のごとく、学生がいるからこそ教職員がおり、学長がいるのです。学長を学長たらしめているのは学生ですから、そこを大切にしなければなりません。 本紙 従来の実学を旨とする学部に加え「人間環境学部」を設置された目的、意義をお教えください。 瀬島 ご存じのように、京都議定書等、環境問題は全世界的なこととして、今後避けては通れないでしょう。たとえばスーパーのレジ袋は、全世界で年間二兆枚も使用されています。原油に換算すると、五億キロリットル以上も消費されているのです。

これからの社会では、物を生産し、販売し、それによって利潤を追求するという経営経済の実学的な流れだけでは不十分です。実際、経営学の中でも経営倫理学という分野が確立されてきています。環境全体を守ろうとしたとき、利潤追求だけではなく、持続可能な発展をさせていかなければなりません。

企業は利潤追求のために、環境問題に目をつぶってきたがゆえに、公害などさまざまな問題を引き起こしてきました。ですから、経営や経済などの実学的分野をアセスメントする、違う観点から見直していく方向性がどうしても必要です。

本学の人間環境学部には、二つの学科があります。都市環境学科は、環境汚染と生産との問題を扱うために、自然科学や工学など理系の基礎をはじめ、環境に関わる政策や経済なども学び、環境問題のエキスパートを育成します。

一方、文化環境学科では、宗教や歴史も含めた文化、日本人のおかれている地理的な状況、世界史的な流れのなかでの問題点をとらえていく。環境を、歴史や文化の範疇でとらえようとする学科です。

このように、実学だけの視点ではなく、環境問題もとらえるべきだという観点から、新学部の設置に至りました。

学生に付加価値を

本紙 教育改革についての貴学のお考え、取り組みなどをお聞かせください。 瀬島 本学は、産学連携の推進や、ハイテクリサーチセンターなどにより、研究にも力を入れておりますが、やはり教育機関である大学として、きめの細かい教育を行い、四年間で付加価値をつけなければならないと考えます。その際に問題となるのは、学生の基礎学力の低下です。ただし、本学に入学した以上、高校の教育が悪いとか、中学がどうといってもはじまりません。われわれがやらなければ仕方がない。たとえば工学部の場合、入学直後に数学、英語、物理、化学の四科目のプレイスメントテストを実施し、その結果により習熟度別のクラス分けを行っています。とにかく基礎教育を徹底する方針です。もちろん、基礎クラスで一定以上の成果が認められれば、上のクラスに移ってもらいます。当たり前のことですが、基礎さえしっかりしていれば、専門的分野で必要な応用力も身につけられるのです。

 やはり学校である限り、あの学校に行ったら力がついた、卒業時には実力が上がっていた、と実感してもらえることが本筋です。

 入学したものの、将来の進路についてどうしたらよいかわからないとか、経営と経済の区別がつかない、といった学生もいます。であれば、本学に入ってきてから見つけ出してもらいたい。九州大学などが先鞭をつけていますが、どこの学部にも属さない、三年次に進むまでに決定するシステムも検討しています。

 一方、優秀な学生には特別コースを考えています。たとえばビジネス英語であるとか、日本の歴史、道徳、美術などを幅広く身につけてもらうものです。

 ただし、教育改革には時間がかかります。二〇〇九年には大学全入時代を迎えますが、地道にやっていくことが一番だと思います。困難なときには本道に帰るべきです。もちろん、二十一世紀の社会を見通すことも必要ではありますが、なにが流行っているかではなく、地に足をつけ、社会に要求される人材を輩出していきたい。それが、建学の精神であるからです。 本紙 カリキュラム以外の新たな取り組みをお教えください。 瀬島 大学においてもっとも大切なのは学生であり、学生を指導する先生方も非常に重要な存在です。ただし私は、職員も同様に大切な存在であると考えます。

 本学の職員には、それぞれのエキスパートになっていただきたい。もちろん、若いうちはいろいろな部署でさまざまな経験を積むことも大事ですが、専門職と呼べるだけの能力を身につけないと、これからの時代は大変だと思います。職員の方はどうしても、縁の下の力持ち的な存在になりがちですが、受け身にならずに、どんどん発言してほしい。そのためには今後、事務職の方々の発言権や意思決定権を強化していく必要があると考えています。

 本学では今年度もIT化の推進を図っていきますが、職員にはコンピュータに関しても、もっと勉強してもらうつもりです。授業でのe―-ラーニングも積極的に進めていますが、職員のスキルアップもさらに図っていきます。

情報編集力を身につける

本紙 めまぐるしい変化を遂げる現代、あるいは将来に向けて、貴学の使命をお聞かせください。 瀬島 昨今、価値観が非常に多様化しており、流行であるとか、これがグローバル・スタンダードだ、といった情報もたくさんはいってくる。IT化がさらに進み、情報が即座にとらえられる。しかし、あふれる情報の中で、自分が欲する情報が何であるかが明確になっていなければ、結局は何も変わらないのです。インターネットがあってもなくても同じです。

 情報というものは今もあり、昔もあった。そのあり方が変わってきているにすぎません。問題は、その情報をどのようにつかんで、いかに利用するか、いわば「情報編集力」がかぎになります。「情報編集力」を得るためには、主体化、すなわち自立した人間にならなければならない。自分はどんなことをしたいのか、どんな目標を持っているのかがはっきりすれば、それにまつわる的確な情報を収集できるようになります。

 そういう意味で、本学では自主性と自我を確立させ、自立的な産業人を育てたいと考えています。トレンドであるとか世間の流れを取り入れても、主体性がないと流されてしまうだけです。ですから、自分がいま行っていることが、自分の気持ちの奥底で納得できるのか、問い直すことが必要になってくるのです。

 建学の精神、教育理念のもとに、本質価値観をしっかりと持ち、周囲に流されることなく、物事を批判的に見ることができる目を持つ。そして、常に自分が生まれ育ってきた文化を理解し、そこからものを見られる。そんな人材として、大阪産業大学から巣立っていただきたいのです。

 周囲はめまぐるしい変化を遂げていますが、人間が存在する限りは、『食べて、飲んで、寝て、話して、そして読み、書き、そろばん』です。基本はそれだけなのです。大事なものは普遍である、と信じて生きていくべきです。

 もちろん、学生に夢を与えることは必要ですし、夢に向かって進んでいくことも重要です。しかし、やはり身近な問題に、具体的にどう対処していくかをまず考えねばならないのです。

 大学は、学生が集まってくれなければならないわけですし、受験してもらえるような魅力をアピールすることも必要です。そのためにはブランド力も必要になる。本学のブランドはまだまだ弱いと思いますが、ブランド力を作っていくことは、非常におもしろいと思う。けっして派手なことはしなくても、大阪産業大学は何かやっているな、自分の姿勢に合いそうだな、と感じてくれる学生が増えることを望んでいます。

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