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第25回 一橋大学 杉山武彦学長インタビュー

2005/02/25

 杉山武彦(すぎやま・たけひこ)

一九四四年生。一九七〇年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一九八六年より一橋大学商学部教授(二〇〇〇年以降、大学院商学研究科教授)。一九九八年から二〇〇〇年まで商学部長。二〇〇一年十二月一橋大学副学長二〇〇四年四月より一橋大学理事(兼副学長)。二〇〇四年十二月より現職。研究分野は交通経済。一九九五年「ロジスティックスの分析」高橋、伊丹、杉山編『意思決定の経済分析』、(有斐閣)など。

産業界のリーダーを輩出する

学長の仕事とは

充実した大学生活の環境づくり

本紙 まず学長に就任されてのご抱負をお聞かせください。

杉山武彦一橋大学学長(以下敬称略)

 私にできることといえば、大学を構成している人たちがそれぞれの活動をしやすいように、条件を整え、その支援をしていくということです。

 最近は、学長のリーダーシップが問われると言われますけれど、実際には指示を出したからといって、みんながすべて同じ方向を向くとは限りません。

 昔からわれわれの学風としては、一般的にリベラルと表現されます。リベラルということの意味は、研究を例に取ってみれば、だれから指示されるのでもなく、自分の信念に従い、自由に研究をすることだと思います。そういうリベラルな学風を堅持するためにも、すべてのことがやりやすい環境をつくるということが、学長の仕事だと思うのです。

 一橋大学は商業からスタートしましたが、現在は、そこに経済学、社会学、法律も加わり、「社会科学の総合大学」という言い方をします。ですから、社会科学という分野において、これからも国のこと、世界のこと、そして人間のことをつねに頭に置いて、それぞれの領域の研究に励んで、あるいは仕事を行うという人材を輩出しつづけていくということを本学の理念としています。

 一八七五年に商法講習所としてスタートしたあと、高等商業学校の時代から「Captains of In dustry」という標語を使っています。イギリスの思想家で歴史家でもあるトーマス・カーライルが『過去と現在』という著書の中で、この言葉を使いました。「Captains of In dustry」は産業界における高貴な騎士道精神、つまり高い志を持って経済活動、産業活動を行うことを理念として掲げています。

大学改革によって求められる教育の統一性

本紙 国立大学が法人化して一年を迎えようとしていますが、課題などは見つかりましたか。

杉山 法人化で大きく変わったことは、マネジメント・サイクルという考え方が、大学の中にはじめてきちんと入り込んできたということです。マネジメント・サイクルの意味は、一つの組織として、ある目標を立て、その目標に沿って計画し、それを実行し、それがどれくらいできたのか、できなかったのかをつねにチェックをし、そのチェックした事柄をフィードバックさせることです。

 具体的には中期目標、中期計画というものを提出します。年度末までに初年度の自分たちの活動を全部自己評価、点検をして、それを報告書として提出しなければなりません。それと同時に、次年度の計画をきちんと見直して、改めて提出をします。

 ただ、いまの段階では法人化による真の成果というのは、まだ目に見えるものではありません。成果が上がってくるのはまだ先の話で、このサイクルが始まったことによって、研究のレベルと教育のレベルが上がり、十年後、二十年後に素晴らしい人材が育ってくれば、法人化による成果といえるでしょう。

 このような大学改革がはじまった背景には、日本の経済が低迷するようになってから、主に財界や産業界の人たちが大学教育に問題があるのではないかと指摘しはじめたことがあります。大学というのは、ある意味で自由な世界でしたから、自由の中でいろんな活動をして成果が上がった人もいますし、一方では、チェックもないままに安逸に流れる人たちもいたことも事実です。それが現在の大学改革を求める大きな声になってきました。

本紙 大学には自由すぎた面があるとおっしゃいましたが、多くの国立大学では法人化によって、不自由が生じているということも聞いています。

杉山 たしかに私自身も以前は、まさに自分の好きなような勉強をしていた立場ですし、法人化に伴ってある種の制約が生じたことも事実です。

 教育の面でも、ある程度の統一性が要求されるようになりました。例えば、どんな学科目であれ、学生がそれを履修し、合格をしたならば、その学生には「ここまでの知識がある」と社会に対して言えることが、現在の大学には求められるのです。授業を担当している教員には、授業の進め方、目的、使用するテキスト、参考文献などを、シラバス(授業実施要項)に明示してもらわなければなりません。欧米、とくにアメリカでは、担当する教員によって教える内容が違ったりすることがないような状況ができあがっています。

 また、どんな学科目についても、「最低ここまで到達しなければいけない」という水準があるはずです。学生が授業を受け、そのミニマムレベルをきちんと身につければ、それを成績のCとします。そこでひとまず合格です。その水準をさらに超えることによって、初めてB、Aと成績の評価が上がることになります。

 例えば会計学の初級を受講したならば、簡単なデータから貸借対照表と損益計算書を作り上げることが要求されるでしょう。したがって、それを作れる人間はそれで合格レベルに達する。

 では、明確な到達ラインが見えにくい、例えば哲学のような科目ではどうするのかという問題が生じます。しかし、哲学も授業科目として存在する以上は、一定の体系と枠組みがあるはずです。明確に基準を設けるのは難しいとしても、やはり学ぶことの目的を示し、学習の達成度がきちんと測れるような試験で、成績をつけていくことが求めらます。

 アメリカの場合には、GPA(Grade Point Average:成績の平均点)によって奨学金を得る資格が判定されたりしますから、いわばGPAによる処遇の違いを学生がしっかりと認識しています。学生は、GPAを上げようとがんばります。アメリカの学生ががんばる背景には、つけられる成績が正確であるということが根底にあります。だから全体のシステムとして、どの先生でも説明が可能な基準で成績がついているという、すなわち、アカウンタビリティがあるのです。

本紙 これからは、教育の統一性というような、成果が形に出てこないといけない時代になってきましたね。

杉山 大学に対する世の中における認識が変わってきたからだと思います。昔は、大学での四年間は、世の中に出ていくまでのウォーミングアップの期間と、世の中も認識をして、大学生に対しては寛容だったわけです。「大学生である」というだけで許される時代があったと思うのです。

 ところが、大学に対する見方が変わり、いま社会は、良し悪しは別として、大学に即戦力となる人材を輩出する役割をはたしてもらうことを要求する状況になってきました。即戦力になるからには、大学にいる間に、自分がどういう職業に就くかという方向をきちんと決め、その方向の役に立つことを身につけて、社会へ出てもらいたい。大学とは、そのための四年間だという認識になってきました。

本紙 二〇〇七年には「大学全入時代」が来るといわれています。その時に、大学はなにか特色を持つことが要求されると思いますが、そのあたりについてのお考えはいかがでしょうか。

杉山 五~六年前に大学院重点化というプロセスが完了しまして、一橋大学としての特色といえば、大学院が中心となります。その下に学部があるという体制です。基本的に大学のスタッフは、研究科、つまり大学院所属となり、その大学院に所属している先生が、学部でも教えるという形です。

 大学院が中心ということで、そこでの教育の目的というのは、研究者を養成すること、それから学校の教員を養成すること、もう一つは、高度専門職業人を育成することの三つがあります。私たちはこのうちでも、とくに、その研究者と高度専門職業人の養成というのが大学の使命だと思います。ですから、ロースクールや、ビジネススクール、また今年四月に公共政策大学院というものができますが、このようなところで、即戦力となる人材を養成するために、レベルの高いものを教える。

 一方、研究者の方は、高度専門職業人の人たちよりさらに幅の広い知識や学識を加えることによって、高いレベルの研究者の養成をめざしていきます。

 ただ、誤解のないようにしないといけないのは、大学院が中心だからといって、学部が重要ではないというわけではありません。学部から上がってくる学生を大事にしないと、なかなか大学院そのもののレベルも上がってこないという意識はあります。

本紙 これからは、質の高い学生を集めるため、入試制度も、いろいろ工夫しなくてはならないと思います。第一志望で受験してくる生徒を確保するために、なにか対策はお考えですか。

杉山 入試制度を考える場合、第一志望で受験してくれる学生が増えれば、むろん本学としては、とても嬉しいことです。しかし、入試制度全体でことを考えると、複雑な面もあります。

 まずその前提となるのは、受験生の立場です。受験生としては、自由にいくつもの大学を受験して、受かった学校のなかから、自分の行きたい大学を最終的に選ぶことができれば理想です。これまでの入試制度は、受験生にとっての受験機会の複数化や入試方法の多様化ということに配慮してきました。その結果として、分離分割方式、推薦入学、AO入試などが行われてきたというわけです。

 現在、国立大学協会における入試制度についての議論には、国立大学における教育や研究はその大きな部分を国の予算に依存している以上、国立大学全体としての秩序のある入試体制を考えるべきだという意見と、個々の大学が競争しながら自由な方法で入試を行うべきだという意見の両方があります。

 入試制度に関しては、各大学の考え方がまとまっていない部分もありますから、結論を出すには、これからも検討を重ねる必要があると思います。

大学を拠点としてアジアの架け橋にする

本紙 昨年、中国に進出した目的などについてお教えください。

杉山 いま、グローバリゼーションの時代ですから、学内的にも、英語で行う講義などを増やして、卒業生がどんどん世界で活躍していくべき時代になってきています。さらに、単にそうした力のある人材を輩出するだけでなく、大学として、強いネットワークを世界に張り巡らせなければいけないと思うのです。

 ネットワークを持つことの狙いは、協定を結んだ大学や機関を拠点として、不断の交流を図るということです。現在、本学には五百数十人の留学生がいます。その多くは中国からですが、そのほかにもアジア諸国、最近は欧米からも多くなってきています。留学生の受け入れに関しては、かなり力をいれてきたと思うのですが、ただ、彼らが国に帰ってしまったあとの追跡調査や交流などのアフターケアをあまり行っていませんでした。母国に帰った彼らは、実はたいへん活躍しています。そこで、本学の同窓会組織である如水会の援助などもあり、そうした卒業生とすぐにコンタクトが取れるよう、卒業生が世界のどこでどんな仕事をしているかなどを把握できるような、ネットワークづくりに着手しはじめたのです。こうした人びとを架け橋として、世界と関係を持っていきたいと考えています。

本紙 卒業生との交流といえば、東京大学などは卒業生に対し、ホームカミングデーなどの同窓会関係の催しに力を入れていると聞いています。

杉山 本学もリユニオン(同窓会)など、ぜひ行いたいと思っています。

 いまの大学は、「学生支援・学生サービス」が、大学の競争力を形づくる一つの重要な要素と考えられてきています。われわれも昨年、そうしたワーキンググループを作って、学生支援のあり方を、六つ七つの種類に分けて、どういうことが必要かを調査しはじめました。

 例えば、奨学金制度の充実を計ること。授業料の値上げがサービスの質を維持、あるいは向上させる上で、やむを得ないと考えられる状況も出てくるかもしれません。しかし、その場合でも、「奨学金制度を充実させて、多くの学生にゆきわたるような用意ができています」と学生に提示できれば、問題は少しは解決できるはずです。そうするためには、次に一歩進めて、大学としての財政基盤を一体どうやって作っていくかを考えなければなりません。ハーバード大学など欧米の著名な大学は、大きな財政的基盤を持っています。世界の大学を手本に、本学としても努力していきたいと思います。

本紙 最後に若者への提言をお願いします。

杉山 大学に入学してくる若者に対しては、昔といまは、社会の求めるものが違うから、大学の四年間をできるだけ有効に使うために、「計画性を持って、意識的に過ごしてほしい」と言っています。大学としては、学生が過ごしやすい環境を作り、できるだけたくさんの選択肢を用意してあげたいと思います。

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